27話
◆27話
猫の大群が道をあけるようにして、ひとりの男が歩いてきた。
それは……ケンジだった。逢いたかったケンジが歩いてくる。
なのに、言葉が出ない。私はやっと、彼の名前を舌に乗せることができた。
「……ケンジ」
胸がいっぱいで、ただケンジの顔を見つめるしかできない私を、ケンジは無言で助け起こした。
そして、そのまま手をひいた。
ケンジの手ってこんなに冷たかったっけ?
私の記憶だと、温かくて適度に湿り気があって……人肌で温まった布団のように離れがたい手だったと思うが……。
「ニャー!」
私を呼び止めるかのようにさっき、私を助けてくれた三毛猫が叫んだ。
「ちょ、ちょっと待って。ケンジ、あの猫は……」
「いいんだ」
ケンジはなんだか機械の様な話し方だった。
勝手に長崎にやってきた私を怒っているんだろうか?
それっきりだまって、冷たい手で私の手をとり、早足で歩いていく。
あの三毛猫は私たちのあとをずっとついてきた。
ケンジが私を連れてきたのは古い民家だった。
軒先に木でつくった大きなタイヤキのような魚が下がっている。
『それは魚板といって、昔お寺で合図に使われとったと』
私はかつてそれをケンジから聞いた。
和風の古い町家は、いかにもケンジが好みそうな家だった。
ケンジは無言で利休色になった古い格子をあけた。
「おかえりなさい。あら」
中から出てきたのは美しい浴衣姿の女性だった。私に気がついて軽く会釈をする。
小柄でいまどき珍しい真っ黒な髪が腰まである。
磁器のように滑らかな肌はまっ白で、潤んだような瞳は黒い部分がほとんどだった。
と、さっきの三毛猫は、格子戸から家の中へするり、と入り込んだ。
ここの飼い猫なのだろうか?
ケンジ、といえば、どういうわけか寡黙であまり言葉を発しなかった。
というより呆けたような表情でせっかく再会できたのに、心ここにあらず、といった風情だ。
彼女のことを私に紹介するわけでもなく、私のことを彼女に紹介するわけでもない。
ぼんやりと畳の上に座っている。
「あら、ちょっとお湯が沸いたようですわ」
お茶を淹れに女性が席をはずしたすきに、私は彼に擦り寄った。
「ねえ、……あのヒトは誰なの」
私の問いかけへの彼の答えは
無言→終章4へ
実は妻なんだ
→33話へ