第6話 願い
ようやくプロローグと言う名の序章終了です。
エディオは自室で国への報告書を書いていた。
扉のノックの音が聞こえたが、彼は特に手を止めることも無く入るように促す。既に廊下から聞こえる台車の音でノックの主は解かっている。
「やぁ、ノーマさん。随分と彼女を絞ったそうだね」
エディオは笑いながら手紙の最後の仕上げに熱した蝋を塗り、そこへ判を押す。ノーマはいつものように淡々とお茶を注ぐがその顔は浮かれぬままであった。
「…どうしたんですか?」
「ウェルチが付いて来ることは分かってたんですか?」
ノーマは茶を注いだカップをわざと少し乱暴にエディオの机に置く。エディオも彼女の言わんとすることは大体予想が付いた。いつもよりかなり濃いめに淹れられた茶を一口飲み、エディオは軽く嘆息する。
「はい、今の彼女はこちらが何を言っても無駄だと思ったので」
「だから、止めなかった?」
「…はい」
ノーマはエディオの瞳を直視し、静かな威圧感を与える。
「…もし、彼女が死にでもしたら?」
「死なせませんよ…」
エディオは自分を直視しようとするノーマからこげ茶色のお茶の表面へ目を逸らす。ノーマの瞳は僅かに潤んでいた。
「あなたがいくら魔剣使いだからって… 戦場で他人を完璧に護れる、わけ、ないわ…!」
ノーマの言葉は徐々に途切れ途切れになっていく。その痛々しさを感じ取りエディオも思わず立ち上がり、彼女の肩を取る。
「あの子も… やっと、人並みに、笑えるようになってきたのに… どうして…? どうしてこんなことになるの…?」
「あいつは…優しいよ。変な所で強情だけど…口の上では仇を討つと言っているが、実際に人を殺せるとは到底思えない… 俺だって解かってるさ」
「じゃあ、どうして!? あの子を戦いに出そうとするの!? 何であなたの口から止めてあげられないの!?」
ノーマは嗚咽をもう隠すことなく、感情任せに言葉をぶつける。エディオの拳も掌に爪が食い込むほど強く握りしめられていた。
「俺は…今のあいつの気持ちがよく解かるんだ。解かり過ぎて…だから、俺の言葉ではもう彼女は止められない。だから、あいつに直接解かってもらうしかないんだ…」
ノーマは溢れる涙を拭いながらただ首を振る。エディオはそれ以上何も言うことが出来ず、僅かな沈黙が流れる。
「エディオ… あの子を拾った時のこと覚えている?」
「ええ、よく覚えてますよ…」
「生きている人間の目じゃ… なかったわよね?」
「ええ、彼女が初めて人前で笑った時は二人でお祝いしましたっけ、とっておきの酒を開けて」
ノーマは嗚咽を続けながらも僅かに優しい笑みを見せる。エディオもその時を懐かしみ、ノーマの肩に手を添えながら軽く微笑む。
「私はあの子を幸せにしてあげたいの… それが身勝手な願いだってことも解かってる…」
「ノーマさん…」
「もう…誰も大切な人を失いたくは、無いの…」
それ以上の言葉は、無かった。
ただ、沈黙がその場を支配する。
しばらくしてノーマは黙ってエディオから離れ、彼の机の上のカップを見る。
「紅茶…冷めちゃってるわね… また淹れ直してくるわ…」
「…お願いします」
そう言うとノーマはカップを台車の上に置き、一礼し部屋を出る。エディオは体中の張りつめた気が抜けたかの如く、椅子の上に座り込む。その状態でしばらくぼんやりと天井を見上げた後、ポツリと呟いた。
「誰も大切な人を失いたくは無い、か…」
自分が今背負っている宿命。
これを果たすまでは絶対に死ねない。
死ぬわけにはいかない。
だが、そのためにこれから何人の人間を巻き込む?
そうまでしてその血生臭い宿命は果たすべきものなのか?
…答えは今の自分の中には無かった。
その答えがあるのは『結果』の先のみである。
エディオは机の引き出しを開ける。
その中には棺桶のような形の銅の下地の上に、まるで樹木の枝とそこになる果実を象ったような装飾が施されたペンダントが置かれてあった。彼はそれを手に取り、じっと見つめる。
「お祖父さん… 俺たちは間違っていないよな?」
今まで信じ続けてきたもの。
返事は、無い。
「父さん… シル…」
そして今の自分に更なる迷いを与える言葉。
なぜ、こんなことを思い返すのか彼自身も解からなかった。
そして再びノックの音が鳴り響く。
音は先ほどよりも軽い。
「ああ、入ってくれ」
「失礼します」
入ってきたのはサティであった。彼女は窓の外を眺めるエディオのことをちらちら気にしつつ、お茶を入れる。
「どうぞ」
「ありがとう」
サティの淹れたお茶はやや薄く、そして淹れ直したと言うのに少し温めであった。だが、少なくとも今のエディオにとっては絶妙の温度と濃さであった。彼女はこういうところで上手く気を効かせてくれるから中々侮れない。
「エディオ様… ノーマさんと何かあったんですか?」
特に目立った表情は見せずにサティが尋ねてくる。相変わらず人の事はよく見えている娘だ。
「なに、彼女と少し昔話をしていたら、ついつい盛り上がってお茶が冷めてしまってさ。君でも失敗することあるんだねって言ったら、凄く恥ずかしそうにしちゃって」
我ながら何て嘘の下手さだ、と内心自嘲していたが、サティは「そうですか」とだけ、にこやかに言った。
「もう一杯頼む」
「はいは~い」
彼女は上機嫌にお茶のお替わりを継ぐ。自分の対応が上手くいって心の中でガッツポーズでもしているのだろうか。こうして感情がそのまま表に出過ぎるのが彼女の欠点なのかもしれない。
「そういえば、ウェルチは? あの後どうなったんだ?」
二杯目の茶を啜りながら、何気なく尋ねる。
「今頃下でひーこら言ってますよ。なんせ過去記録タイの2.4倍コースですからね。私は3倍コース大台に行くかな~ と思ってたんですけど… 最近はノーマさんも丸くなりましたねー」
サティは意地の悪い表情を浮かべけらけらと笑いながら言った。エディオもその様子が容易に想像できてしまい、彼女につられて笑ってしまう。
宿命など捨てられたら、何と楽になれることか。
「ごちそうさま」
「お粗末さまでした」
サティはてきぱきと食器を片づけ部屋を出る。アフターケアも万全… ということなのだろうか。
先程の重い気持ちはどこかへ吹き飛んでいた。
…こんなにも優しい世界があるというのに。
窓から顔を出して、大きく息を吸い込んでみる。
ファーリーンにも冬がだんだん近づいてきているらしく、思っていたよりも空気は冷たかった。
「ウェルチ、庭の草むしりが終わったらロドンさんの部屋のゴミ出しに厠と風呂場の掃除! ああ、後、町まで買い出しもね。夕飯の一時間までには絶対に戻ってくること! それが終わったら…」
「うぇ~ん!」
…庭の方からいたいけな少女の悲鳴が上がる。
エディオは小声で「ご愁傷さま、ウェルチ」とつぶやいた。
ここまでがプロローグとなります。
思ったよりも時間がかかってしまった…
次の更新は少し間が空きますが一週間以内には書き上げます。
次回からは過去に遡り、ウェルチの戦いの動機を描く予定です。
稚拙な文章が長々ぐだぐだと続いておりますが、読んでくださった皆様の感想やご指摘、批評などお待ちしております。