第3話 不運なる標的
次の話までがプロローグ的なものになります。
ちょっと長いですかね(汗)
時間は少し遡り―
炭鉱の町ギブールの領主はこの日も上機嫌に屋敷に来た行商人の売り物を眺めていた。領主は貴金属で出来た細工や装飾品が所狭しと並べられているジュエリーケースを覗きこみながら、今が最も充実した一時と言わんばかりに品定めを行っていた。
「いかがでしょう? この指輪は縁は白金、中には金剛石の特級の物をあつらえております。御存じのとおり金剛石は今グングン値段が上がっている最中ですから、買うなら今のうち、ですよ!」
「ほほう。これだけ立派だと加工するのも大変だろう」
「はい、お値段は少し張りますが…」
商人はそう言って算盤をはじき、そっと領主に見せる。領主は一瞬目を丸くしたが、すぐに口元がにんまりと緩み行商人の肩を軽く叩く。
「あなた、この首飾り似合ってるかしら?」
隣で別に品定めをしていた、彼の妻と言うにはあまりにも若すぎるような女性がきらびやかな飾りを首に当てて夫に尋ねた。
「おほ~ 綺麗だよ!それも頂こう」
「毎度ご贔屓にー」
一通りの商談が終わり行商人が帰った後、領主はまだ昼前だと言うのに、酒を飲みながら購入した置物や装飾品を眺めてほろ酔い気分で悦に浸っていた。買い物の品定めが最も充実した時なら、こちらは至福の時と言うべきか。しばらくしてドアがノックする音が聞こえてくるが、その後の声で相手が誰か解かったので、今の自分の姿を改めることなく入るように薦める。そしていつもの如く、口うるさい秘書(♂)が気難しい顔をしながら部屋に入ってくる。
領主はこの男が正直言って嫌いであった。首都ウーツハインから派遣されて来た結構なエリートで、ご多分に漏れず優秀ではあるのだが、それ以上に自分の私生活の経済面にまで口を出してくるのが気に入らなかった。
実際のところ、彼は本国より派遣されたお目付け役、ぶっちゃけて言えば監視役の様なものである。国内の鉱山資源は国が、ひいては全ての国民が等しく恩恵を受けるべきという理念のリムソーンでは、たとえ個人が見つけた鉱脈でもその独占は許されない。すぐにでも国へ届け出を出してあくまでも、国営の鉱山として創業しなければならない。もちろんそれを怠ると、厳重注意のもと、厳しい罰金刑が待っている。平民からすれば休耕期に安定した仕事が貰えるので助かることこの上ないのだが、鉱脈の発見者にとってはあまり面白くない法律なのも事実である。
「旦那さま、本国から上納金の催促が来ておりますが…」
「催促だと? ふん! 何の金にも成らぬ役人どもらしいな」
「しかし、税金を納めないと罰則が…」
「そのくらい分かっておる。チッ、何が国全体の資源だ。この鉱脈はわしが見つけたと言うのに… 役人どもはロクに管理もしているわけでもしいくせに税金だけむしりおって!」
正確にはこの炭鉱を見つけたのは彼と彼の兄であった。幼い頃決して裕福ではなかった領主一家は、国の決まりに反して個人の鉱山を持ちたいと言う父の身勝手な野望に随分振り回された。父は母と体の弱い幼い妹を実質人質に取るようにして、自分の息子二人を小さい頃からこき使った。来る日も来る日も、農作業の後に兄弟二人でこっそり山を掘りつづけ、11年目にしてようやく石炭の鉱脈を見つけたと思ったら、父は「俺は今からお偉いさんに根回しをしてくる」と告げて姿を消し、その後は石炭をとっとと売ってしまいたい衝動を抑えつつ兄と共に延々と山を掘り続けた。
父が役人への賄賂や取引の約束を終えた後には、兄は粉じんで肺をやられ帰らぬ人となっていた。その時に父の言った「これで遺産で揉めなくてすむな」という人間性の欠片も無い言葉は忘れようにも忘れない。自分たちが逆らえないように父に離されて暮らしていた母や妹はとっくに娼婦として売られた後であった。
その報いと言わんばかりに父は早世し、その鉱山は自分の手に引き継がれた。表向きは国の管轄下でありながら、父の根回しのおかげかある程度の裁量は自分で行えることになっており、その後は何一つ不自由しない裕福な生活を送った。広大な屋敷、20歳も年の離れた美人の妻、豪勢な食事、一般人には決して手に届くことのない家具や装飾品に囲まれながらも、領主の心が満たされることは無かった。今はただ父への仕返しと言わんばかりに、散財を続ける日々である。
「し、しかし最近の旦那さまは少しやり過ぎではありませんか? 労働者達の賃金も安くしているようですし… 例年出稼ぎに来ている者の中には不満を持つ連中もいるそうで…」
秘書は領主に逆らえない自分の身分を心の中で呪いながらも、可能な限りの言葉と範囲で抗議する。しかし、それは今の領主にとってはかえって逆効果であった。酔いも手伝ってか脳内に行きわたるアルコールに火がついたかの如く領主はどなり散らす。
「不満!? 誰が言ってるんだ? 連れて来てみろ!」
「い、いえ。あくまでもそう言う噂が…」
「ならいいのだよ。みんな今の給料で満足しているんだ。それだったら後は何をしようがわしの勝手だ。上納金は今日にでも運ばせる! それで文句ないだろう!」
領主はお前の意見などこれ以上聞きたくも無いし、顔も見たくも無いと言わんばかりに、しっし、と手を振って若い秘書を追い出す。秘書はがっくりと項垂れながら部屋を後にした。
機嫌を損ねてすっかり酔いも冷めた領主は、しばらく酒を飲む気がしなくなり、渋々ながらも部屋の鋼鉄製の金庫を開けて残りの資金を確認する。
(む…しかしあいつの言う通りでもある。少し後先考えずに使いすぎてしまったようだな…)
金庫にはまだ多くの金銀の貨幣が残っていたが、ここからいつもどおりに上納金を出し、さらに労働者に給料を払うとなると、今月の生活は少し苦しくなる。石炭が売られて、領主の手元にその金が来るのはもう少し後だ。領主は僅かに後悔の念を抱きつつも、テーブルに置いてあるチェイサーをコップに並々と注ぎ、それをぐいと飲んで頭の中の残留アルコールを流しながら対応策を考える。
(仕方あるまい、また労働者の給料を下げてそこから―?)
不意に地面が揺れる。
10秒にも満たない間の揺れであったが、生涯の中で地震というもの全く経験してこなかった領主は、その場にへたり込み自分の椅子の脚にしがみついていた。
(じ、地震!? 馬鹿な。ここは地震などそうそう起こらぬ土地のはず…)
領主は慎重に立ち上がり、窓の外から町の景色を覗きこむ。案の定、外で働いていた住民たちは、生まれてこの方経験したことのない地震で大騒ぎしていたが、遠くから見る分には家屋の倒壊など目立った被害はなさそうだ。領主は内心ほっとしたのと同時に、自分の頭の中に僅かなひらめきが生まれるのを感じた。
「旦那さま! 大変です!」
ノックも無しに部屋のドアが開け放たれ、秘書が血相を抱えて飛び込んでくる。
「どうした? 見たところ大した被害は無さそうだが…」
「ま、町には被害は無いのですが… どうやら炭鉱の一部で落盤事故があったようで…!」
「なんだと!?」
「すぐに旦那様も現場に…!」
「う、うむ!」
炭鉱の入り口は騒然となっていた。
周囲は町の人で溢れかえっており、未だにすす汚れた炭鉱夫達が慌てて飛び出してきているのが見える。野次馬は町の領主の姿を見るとそそくさと道を開ける。出稼ぎの男達もいたので何人かは戸惑っていたが、周りに合わせるように動く。
「状況はどうなっている?」
「は、はい。落盤は3番道と5番道で起こったようで、3番道は比較的被害が小さかったので、鉱夫達も皆無事なようですが…」
「5番道の奴らが生き埋めになっちまってるんだ! 領主さま、なんとかしてくだせぇ!」
秘書が言葉を言い終える前に、隣にいた鉱夫の一人が叫ぶように言う。だが何とかしようにもこの状況下では難しい。流石の領主も人前で命を粗末に扱うことは避けたいので、救助したいのは山々だが、いつまたあの地震が起こるかもしない。
住民や労働者は好き放題言うが、最終的に責任を取るのは自分だ。どう動いたものかと領主が頭を抱えていると、たった今洞窟から出てきた細い目をした体格のいい鉱夫が彼に近づき一人が落ち着いた声で申し出た。
「領主さま、とりあえず今いる鉱夫で崩れた岩盤を掘り出してみませんか?」
「う、うむ。わしも今はそうするしかないと思ってはいるのだが…」
「お、おらは嫌だ! いつまた地震が起こって崩れるかもしれねぇのに!」
若い鉱夫の提案に、隣の髭を生やした鉱夫は猛反対する。しかし男は別段気にすることもなく、その細い目を見開いて領主に迫る。
「領主さまの言葉ならみんな動いてくれると思います。実は既に何人か向かっているのですが、とても手が足りないのです」
若い男は強めの口調で進言する。領主はそのえも言われぬ迫力に少し戸惑ったが、やがて男の右肩を叩き大きく頷いた。
「お前はとても勇敢な若者の様だな… みんな! 聞いての通りだ! 今わしらに出来ることはとにかく掘ることだけだ! こんな不甲斐ないわしを許してくれとは言わんが、今は一刻を争う時だ! 自分は臆病者ではないと思う者だけついて来い!」
領主はそう言うと髭を生やした鉱夫からピッケルを奪い取り、真っ先に炭鉱の中へ消えていった。その姿に先導されたのか、男達は一人、また一人と引き寄せられるかのように炭鉱の中へと走って行った。
領主は普段は贅沢気ままに暮らしているが、流石に何十年も人の上に立ち、自分より上の者には媚びへつらうといった所謂中間管理職的な立ち位置にいると人心掌握の術も自然と身についてしまうものである。
閉じ込められた人が助かろうとそうでなかろうと、とりあえず人前では誠意を見せなくてはならない。
領主は現場に着き、もう何年も握っていなかったピッケルを使って岩を砕きながら、頭の中で事後処理の算段を立てていた。
その数時間後―
「…音だ! 中から音が聞こえるぞ!」
領主と彼に進言した細めの男含め、10名の有志が落盤した5番坑道の入口の岩を砕いて取り除く作業をしているうちに、岩の奥から微かな金属音が聞こえてきた。しかも複数。
救出に向かった有志たちは、お互いの顔を見合わせて喜び、ラストスパートと言わんばかりにピッケルを唸らせて、岩を掘り続けた。
さらに掘り続けること数十分、遂には岩の隙間から人の声が聞こえてきた。
「みんなが助けに来てくれたぞ!」
「やったー! 助かった!」
こうして5番坑道に閉じ込められていた男達は無事全員救助された。酸素が少ないので松明もロクに灯すことができない、暗がりのなかで男達は諦めずに中から崩れた岩を掘り続けていたおかげでもあった。
それを先導していたのは、赤髪の頭に手ぬぐいを巻いていた身長2mはあろうかという筋骨隆々の赤髪の大男であった。彼は領主にその勇気を讃えられ、洞窟を出た後も皆の熱い歓迎が待っていた。こうしてギブールの町は普段にも増して喧騒に満ちた。
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「民衆共はああして気楽に喜んでいていいですね」
領主の書斎の外から町を眺めながら、秘書は重い溜息をつく。大変なのはこれからだ。何とか死者を出さなかったから良かったものの、このような事件が起きてしまった今、これからこの炭鉱で働く者は減るだろう。そうなると産出量は大幅に落ちるわけで。
「何を言っている、あれは自然の悪戯。わしら人間にはどうしようもないことではないか。金など後でどうにでもなる。それよりも今は死者が出なかったことを喜ぼうではないか」
救出活動ですす汚れた体を洗うために風呂に入った後、バスローブ姿になった領主は風呂上がりの冷たい水を飲みながら秘書を嗜める。先程の酔っぱらった身勝手な姿とはうって変わり、急に住民の事を気遣うことを言いだす領主に秘書は若干の違和感を覚えながらも、本国への報告を任され、部屋を出る。
部屋に一人残された領主は、憂いた目で窓から一通り町の様子を眺めた後、窓の閉じまりを確認しカーテンを閉める。一度部屋のドアを開けて廊下に誰もいないことを確認し、部屋の鍵も閉め金庫の方に向かって歩く。表情は先程の憂う目とはまた別の意味での真剣な表情になっていた。
「この商売もそろそろ潮時か… 本国への上納金はあいつが何とかやってくれるだろう… 地震もあったことだし、上の方は不幸な事故だったと納税を多めに見てくれるさ。あとは適当に冬の終わりまで営業を続けてから…」
領主は金庫を開ける。中には相変わらず大量の貨幣が入っているが、それを軽く取り除けると金庫の中の天井部に小さな「ツマミ」があるのが見える。それを何度か回すと天井部がそのまま落ちてきて、厚さ2cm程度の小さな黒い箱が姿を現す。金庫は二重天井になっているのだが、この存在は妻にも教えていない。黒い箱をそっと開けると中には、空豆くらいの大きさの赤く輝く丸い宝石が6個ほど転がっていた。
「ふふ、この超高純度の『魔結晶』。宝石など掘れば掘るだけ出てくるが、こいつを作れるのは時間だけだ… これだけあれば向こうもわしをすんなり受け入れるであろう…」
領主は怪しい笑みを浮かべながら、再び箱を隠し天井に戻す。事を終えると妻の部屋に向かう。以前から考えていた『高飛び』の算段をするためだ。炭鉱など何十年も続く商売ではない、領主はしかるべき時が来たら隣の大国アラスティアに逃げて悠々自適の生活を送るつもりであった。少々その計画を早める必要になったが、タイミング的にはちょうどいい。
妻の部屋のドアをノックをしたが返事は無く、部屋の鍵も空いていた。部屋に入ってみたが人の気配はなく、いつものきらびやかな家具と置き物で飾り付けられた光景が広がっているだけであった。ベッドの上に今朝買ったばかりのネックレスが乱暴に置いてあるが、これもいつものこと。
「なんだ、おらんのか。まぁ外があの騒ぎだし見に行くのも解からんではないが…」
そう言って領主は部屋を出ようとする。と、
― 不意に首筋に生温かい風を感じた。
全身から身の毛のよだつ感覚を与えられ、思わず後ろを振り向くが視界には誰もいない。だがカーテンが揺らめいていることに気づく。
(開けっぱなしにしていたのか? しかしこの季節にあの暖かい風は…)
領主は窓に近づき、あることに気が付く。
窓の淵についた不自然な丸い黒ずみ… 二階だと言うのに僅かについた土。
あっ、と領主は息を洩らす。
その瞬間黒い影の手が彼の首に伸びた。
―その翌日、首が無残に折られた領主の遺体が用水路で見つかる。そして彼の妻の遺体も、同様の死因で部屋のベッドの下から発見された。二人とも服の内側に奇妙な幾何学模様の絵が描かれているカードが添えられていた。
誰の仕業か、一体なぜ領主が殺されたのかと町は再び騒然となったが、その後の兵士の調べで、領主の金品が丸々盗まれていることから当初は強盗目的の犯行と思われた。だが更なる調査により、炭鉱の崩落場所の不自然さと火薬らしき物の跡、領主が行っていた横領行為の発覚、更には炭鉱の東の町で起こった妙な出来事によって、この事件に関して様々な疑念が抱かれることになる。
だがいずれにせよ、この時点で領主を殺害した本当の意図について知る物は誰もいない。
相も変わらず雑な文章ですが、読んでくれた方には最大限の感謝を。
世界観については順を追って書こうと思います。
魔結晶…この世界の戦争の根本的原因に関わるものです。
詳しい解説は後々に。