第1話 潜入任務
時は大陸歴 881年、ヌエの月(現代世界で言うところの11月)。
所は大陸中部に位置する小国家リムソーン大公国のとある町の一角。
ただ今の時刻、午前5時半。
「う~さびぃ~ まだヌエの中頃だってのに、なんなんだよこの寒さは~?」
まだ薄暗い街中で、身長は2mに届くかのような赤い角刈の大男が危うく垂れそうになる鼻水を啜りながら、レンガ造りの民家の外壁に持たれかけ体を震わせていた。
「山に囲まれた盆地ですからね。夏はとろけそうに暑く、冬は凍りつくくらい寒いってもんでしょう。まぁ炭鉱の中はもう少しマシですよきっと」
その民家の路地の影から今度は一見ひょろりとした体格の目の細い黒髪の男が表れた。
大男と並ぶと解かり難いが、こちらも背丈はそれなりにある。
「こんな寒い中、朝っぱらごくろーさんって感じだなぁ? 鉱夫ってやつはよ」
かじかむ手をふーふー言わせながら大男は手をすり合わせる。この時の気温は現代世界で言うところの摂氏3℃。本格的な冬が来ると氷点下を楽々と下回るので、これでもこの地域に住む人たちにとってはまだ暖かい方である。
「心配はいらないでしょうけど、情けは無用ですよ? 彼らにはこれから『さらに』苦労してもらうんですから」
細目の男が少し強めの口調で言う。
二人の男はぱっと見、その場にいればいかにも炭鉱夫というような黒ずんだツナギと帽子を身に着けていた。だがその一瞬、善良な、というよりまともな一般市民にはとても真似出来ないような顔の筋肉の遷移が行われたが、すぐに二人とも表情を戻し「一般人」の真面目な表情になった。
わずかの間の沈黙。一瞬周囲の空気すらも変化したような雰囲気が流れる。
遠くの方の家で数件ほど明りがつき始めている。細目の男が口を開いた。
「ガラム、人が来る前にもう一度打ち合わせをしましょうか」
「ん? あぁ… どうにも気乗りしねぇけどなぁ」
「どうせ君のことだから死合いたくてしょうがないんでしょう?」
ガラムと呼ばれた大男はおぅよ、と言い野球のグローブでもつけているかのように大きな拳でもう一方の手のひらを軽く殴り、小気味よい音を出した。
「なんか最近地味な任務ばっかじゃねぇか? こんなしみったれた工作とか」
「まぁ旋風の騎士団は規模的にも元々破壊工作専門ですし。あの隊長が来てから随分変わっちゃいましたけどね」
「にしても、もっとこうパーッとした景気のいい仕事は無いものかねぇ? 体がなまってブヨブヨになっちまうぜ」
「…そのぶッとい体支えて生活するだけでも、筋肉の維持は簡単だと思うんですけねぇ」
「何か言ったかい、ツォン君?」
「いえ何も」
四方を山に囲まれたリムソーン大公国の寒さは厳しい。
本格的な冬が来ると水や食料も凍り、外から来た人間はまともに生活することが出来ない。この通称「冬将軍」こそが何百年もの間リムソーンを小国ながらも外敵からの侵入を防いできた最大の要因である。と、同時にこの寒さはそこに住む国民にも多大な負荷を与えているのだが、幸いにもリムソーン東部では石炭が多く取れ、燃料には事欠かない。さらに西部の山では鉱物資源が多く取れ、鉱山大国の名を欲しいままにしている。
またこの資源を使っての貿易も盛んで、燃料や資源の輸出をバックに、隣接する大陸最大の国家、神聖アラスティア皇国との同盟を結びその信用を勝ち取っている。リムソーンの国力はアラスティアの20分の1にも満たないと言われているが、対等な条約を結べているのはこの寒さと潤沢な資源に頼る所が大きい。
「ま、逆に言うとその資源さえなければ張子の虎… それをつぶせばうちの軍も攻めやすくなると。まぁ占拠後のことも考えて不運な事故程度の規模で抑えときますけどね」
この二人、ガラムとツォンと言う男は長年リムソーンと争っている隣国、ファーリーン王国より派遣された兵士である。所属部隊は旋風の騎士団。ツォンが言ったように敵国への潜入工作が主な仕事となる部隊である。規模はかなり小さく人数はガラムとツォンを入れてたったの5人。もっとも、作戦に応じて他の騎士団から引き抜きが行われるので人数はその限りではないが。
この二人も元々は他の部隊出身である。ガラムは大人数を相手にしても全く引くことなく、寧ろ楽しむかの様に勇猛果敢に暴れまわるその度胸と戦闘力を買われて、ツォンはその槍の腕と冷静な判断力を買われて現在の騎士団長に引き抜かれた。
「みみっちいやり方だぜ、まったく。…つーか、総力戦になったらどの道一緒じゃねーのか?」
「向こうとしても、自分のところの炭鉱で事故が起きたなんて表沙汰には言えませんよ。総力戦になったとしても資源だけは余力を残しておきたいはずです。アラスティアがどう動いてくるか解かったもんじゃないですからね」
「同盟国じゃねーのかよ?」
「高い金払って輸入するより自国で管理した方が安上がりでしょう? 」
あっけらかんとした顔で答えるツォンに対して、ガラムはまだ納得いかないような表情を続ける。
「ウチもそうならねーといいけどな…」
「はいはい、この話はここまで。さ、本日の作業を確認しますよ」
ツォンはそう言うと腰に巻いた小物入れから、ぼろ布でまかれた物体を取りだし使い方をガラムに説明する。実は国を出るときにも一度説明を受けてはいるのだが、ガラムがちゃんと覚えているか心配だったので念のため確認をしたのであった。案の定、初めて使い方を習うかのような彼の目を見て、ツォンは内心胸をなでおろすのであった。
「それと、出来るだけ死傷者は出さないようにしてください。設置場所はなるべく作業場から遠目に。爆破後の立ち回りは各々に任せるそうです」
「ま、どっちにしろ正体がバレたら即刻捕縛されて激しい尋問、拷問の日々。んでその後は薪代わりに燃やされるってか」
「我々の仕事はあくまでも陽動です。やることやったら、下手に動かず脱出経路の確認をということで」
「で? メインはいつもの隊長さんってわけか」
ガラムは両手を後頭部に当て、壁に背をもたれかけながらつまらなさそうに答える。
「…口が過ぎますよ、ガラム」
「わぁーってるって。俺だってあの隊長さんの強さと頭の良さは重々承知しているさ。あの人に任せとけば何とかなる。今までもそうだった。別に信頼してねぇってわけじゃねえ。ただよ…」
「ただ…?」
「もう少し部下に華を持たせるって考えはないのかって言いてえんだ。自分ばっかりイイ格好しやがって。そもそも屋敷と城のメイドたちの人気を独り占めってのが気にくわねぇ。あんなにいるんだったら一人くらいこっちに回せってんだよ。ったく」
(まーた始まった…)
ガラムの子供じみた愚痴はいつものことだ。ツォンはその相手を毎回勤めなければならないと言うのが、今の隊長に対する唯一の不満であった。
二人とも現在の隊長の実力を認めているのは本心である。強さも賢さも自分たちを上回っている。…だけならガラムもこんな愚痴を言わなかったであろう。問題はガラムと同じ年(ツォンの1つ年上)というその若さ、そして端正な顔立ち、つまりはイケメンというステータスが部下(主にガラム)に余計な反感を与えていた。
どの時代、どこの世界でもイケメン補正というのは理不尽なものである。何をしても、何を言っても女性は好評価に解釈する。顔が良ければそれだけで人生イージーモードとは良く言ったものだ。
ガラムもツォンも特に目立って不細工というわけではないのだが、彼の前では単なる引き立て役にしかならない。男だらけのむさ苦しい兵舎から、可愛いメイド達の御奉仕を受けられる(温泉付き)という触れ込みの部隊への転属とあって、最初はワクテカのノリノリだったガラムだが、待っていたのは上司のハーレムライフを見せつけられるだけの悶々とした日々。これは彼にとってこの上ない地獄であった。
おまけにその屋敷のメイド達も綺麗どころばかりではあるが、みな一癖も二癖もある性格。入団して三日目にして「あしらい方」を覚えられ日々扱いが悪くなる一方。
「俺だって目立った活躍をすれば、もうちょっと女達に評価されると思うんだ…」
「結局はそれですか…」
「女のために戦っちゃいけないってか!?」
「いや格好良く言い直しても無駄ですよ。煩悩と下心丸出しの部下に重要な任務を任せるなんて、僕がもしも隊長だったら、ええまず無理ですね」
こんな感じの会話はもはや彼らにとって日常と化していた。モテない男達の僻みと妬みと哀愁はいつ、どこの世界でも起こりうるものである。
「お前さんたち、こんな時間から元気じゃのう」
ガラムの肩が思わずすくみ上がる。声の方向を振りかえると、年齢による皺のたるみが瞼まで達している、頭部の毛という毛が全て真っ白な腰の曲がった老人が杖をつきながら立っていた。
「お、おう。じーさんこそこんな朝早くに。散歩かい?」
「ふぇっふぇ。まぁそんなもんじゃ。いや、どうじゃったかのう?」
自分の行動理由すら疑問を抱く老人を見て、ガラムは内心ほっとする。ツォンとも目が合うが、彼も目だけで「大丈夫」という視線を送ってきた。
「と、とにかくじーさん。もう年なんだし、無理しないようにな。風邪引くぜ」
「若いものはええのう。ワシも昔は『早掘りのファルケ』と呼ばれた時期があってだな…」
しまった、長くなりそうだと思った時には後の祭り老人はその場に座り込み完全に昔話モードの体勢に入ろうとする。すると今度は後ろの方から、中年の女性が血相を抱えて飛んできた。
「ちょっとおじーさん! こんなところで何やってるんですか! 風邪引きますよ!」
「おや、トメさん。そんなに慌ててどうしたんじゃ?」
「私はマーサです! まったく便所に行ったっきり戻ってこないと思ったらこんなところまで… あら、若いお兄さんたち。見かけない顔だけど出稼ぎの方? ごめんなさいねぇ、うちのおじーさんが迷惑かけて」
女性はガラム達の顔を見ると申し訳なさそうにほほほ、と口に手を当てて笑う。
「いえいえ奥さん。全然構いませんよ。こちらも早く目覚めてしまって退屈していたところでしから」
ツォンの礼儀正しいにこやかな答えに中年女性も一瞬少し安堵した顔になると、すぐにまた険しい顔つきになって老人の襟をつかみ、おそらく家の方へと向かって行った。二人の姿が見えなくなるのを確認した後、ツォンは肩をすくめ、ガラムは溜息を吐く。
「何か労働意欲無くすよな~ あーゆーの見ると」
「だから情けは無用ですってば」
「…わかってるよ」
気がつくと街全体が家の光で明るくなっていた。日の出はまだ上がっていないが炭鉱夫の朝は早い。同様にツナギを着た男達が炭鉱へ向かって道を歩いている姿もちらほら見受けられる。
「さて…と、そろそろ時間ですね」
「んじゃ、我らが上司、ひいてはお国のためにお仕事といきますか!」
ガラムは腰に巻いていた手ぬぐいを頭にバンダナの様に固く巻き付けた。
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