第10話 集いし者①
厳しい冬が明け、山からの雪解け水が暖かな日差しと共に大地に潤いを与える。
故郷を離れた鳥たちや、眠りから覚めた動物たちの息吹が満ちて、再び生命の賑やかな躍動が森の中に溢れ始める。
待ちに待った春の訪れ。
― みんな、おはよう。
― ふぁぁぁぁ… やっと冬が終わったのか…
― 寝ぼすけだなぁ、みんなとっくに起きてるよ。
― はぁ~あ、起きたばっかだりだけど、お腹すいたなぁ。
― 相変わらず君は食いしん坊だなぁ…
― でも私もお腹ぺこぺこよ。だってもう何ヶ月も何も食べてないんですもの。
― 餌を取るのも面倒くさいなぁ。…何かいい匂いがして来ない?
― 本当だ。山の下の方から。たまらないわ。
― 今年はついてるなぁ。よぅし、早い者勝ちだ。
― あ、ずるい!
― 急げ急げ。早くしないとあいつに一人占めされるぞ。
◇ ◇ ◇
見通しの良い盆地に朝日が差し込み始め、昨晩この地で起こった出来事、そしてその結果を克明に映し出す。
そこには高い知能を持つとされる動物たちの遺体が、所狭しと地面に敷き詰められていた。見に纏っている無骨な金属の板の輝きも、血液に覆われてしまっている。辺りには早くも死体の異臭が漂い始めており、この匂いを嗅ぎつけた鳥や動物たちが我先にと肉の取り合いを始めている。
そんな中で、僅かに蠢く一際大きな姿があった。
その物体は死体の海に紛れるようにして、身を屈めながら山の方角へと進んで行く。
「生きてる味方は… もういねぇのか。くそっ」
身長は2mは超えようかと言う大男。全身に鋼鉄の鎧を纏っていたが、その色は既に赤黒く染まりきっていた。
―始めの方は押していた…いや、そう思わされていただけか。
日が沈み始めて辺りが暗くなってきた上に、周囲が霧に囲まれて視界が悪くなっていたので、少し嫌な予感を覚えて身構えていた矢先にこれだ。霧の奥から飛んでくる矢、矢、矢の雨霰。
それが一旦止んだかと思うと、次は雪崩の様に押し寄せてくる敵兵の数々。斬っても斬っても、後から後から湧いてくる。味方は一人、また一人と倒れ、気づけば周りの事など気にせず闇雲に剣を振っていた。
で、一晩明けた結果がこのざまだ。
この倒れている兵士の大半は味方のもの。人数なんて数える気にもならない。
幸い霧と暗闇で視界が遮られるのは相手方も同じだったようで、敵は無理に進軍しようとせず、ほどなくして悠々と勝ち鬨を上げて撤退していった。自分は上手く遺体にまぎれて相手をやり過ごすことが出来たようだ。だが辺りは真っ暗で逃げる方角も解からなかったので、明るくなるまで死体を枕にしながらひと眠りした。
そして今が夜明けのの真っ最中だが、もう少ししたら敵さんも自分たちの戦果を確認しに来ることであろう。そうなる前に、とっととこの場から退散しなければならない。よりにもよって、今朝は思いのほか霧が薄いようだ。ここらへんも敵さんの予想通りというわけだろうか。
地面と死体の上を張って進んでいるためか、微妙な振動も感じ取ることが出来る。
「くそ… もう結構な数が向かって来てるな…」
だが無防備に立ちあがってすたこらと逃げるわけにはいかない。歩兵の大軍がぞろぞろ近づいてきてると言うことは、既に目の良い弓兵が哨戒を行っているということ。この死体の山で立ち上がるとたちまち彼らの的になるだけだ。事実、さっきから矢がぽつぽつ近くを飛んでおり、断末魔の声もいくつか聞こえる。
「このまま、ちまちまと進んでいくわけにもいかねぇし… 本隊はどこだよまったく… みんなおっ死んだとか洒落にならない冗談は…」
その刹那、一本の矢が男の頬をかすめた。
「っておい」
続いて、二本、三本と男の足元、胴体の脇に矢が突き刺さる。
「限界かっ!」
生きている男の存在がばれたと言うのなら話は別。すぐに手元に会った手ごろな死体を前方に掲げ、矢の軌道を遮る。
戦うのは嫌いじゃないが、自分が死ぬのは流石に御免被る。
男は死体を背負って盾にして矢を防ぎながら、男は山の方角へと向かって走った。
その最中に右前方に男と同様に味方の死体を盾にして攻撃を防いでいる味方と思われる槍兵の姿が見えた。男は正直なところ方角的に真っ直ぐ逃げたかったが、何とか現状の確認を取りたいと思い、その兵の近くへと向かう。
槍兵も向かってくる味方の存在に気づいたらしく、遺体の壁を新しく横に立てる。男も背負っていた盾を投げ捨て、その死体の壁の裏に滑り込んだ。
「よぅ、味方とはぐれちまってよ。本隊に合流したいんだが…」
「本隊? もうとっとと逃げ帰りましたよ」
「な…! じゃあ、お前は?」
「殿です。といってももう潮時ですかねぇ。僕以外いませんし」
細目の若い槍兵の男は半ば諦めともとれる表情で淡々と答え、そっと前方を指差す。
霧は昨日に比べると薄くなっているが、それでも遠くの輪郭はぼんやりとしか見えないので、さっきからこちらに弓を射てくる者の姿も皆目見当が付かない。
が、先程とは明らかに異なるところが。
霧の向こうに薄らと見える凸凹の地平線が、段々高くなっていく。
「おい…あの数はマズいだろ…」
「魔剣士くらいしか相手に出来ませんよ」
「笑えねぇなぁ…」
男も腰を上げ、槍兵の男と同じ片ひざの体勢になる。そこから先は互いに無言であった。
タイミングを計る打ち合わせも無く、矢が放たれる間隔の僅かな隙を狙って、そのまま一目散に後方に走り出す。
そして二人はあえて距離を取る。
互いが互いを利用する。
そこから暗黙の、動きだけのやり取りがしばらく続いた。
「生き残りがいるぞ! 逃がすな!」
「折角の余り物だ! 美味しくいただけ!」
相手方の怒号で音声による意思疎通がとても出来る状態じゃ無かったと言うのもあるが。
―で、その一週間後。
「だからよ、俺は50人は斬ったんだって! 勲章の一つくらい貰ってもいいんじゃないのか?」
怪我人がひしめき合う城の中の兵舎で、頭に包帯を巻いた赤髪の大男が口髭を生やした兵士長に向かって必死に食いついていた。
「だから証明するものがないからどうしようもないんだって。お前が敵の鼻とか持ち帰っていれば話は別なんだがな」
約20分に及ぶ健闘も空しく最終的に兵士長に軽くあしらわれ、大男はふてくされながら粗末な筵の上に胡坐をかいて座る。
「お疲れ様です」
その隣には腕に包帯を巻いた細目の槍兵の男が寝っ転がっていた。
「お前は悔しくないのかよ… あんなところで殿までさせられて貰ったのは、髭生やしたおっさんの労いの言葉だけ。感謝の言葉なんていくらでも安売りできんだぜ?」
「そんなこと言っても。僕らが敗走した時点で褒美なんて貰えるわけないでしょう」
「畜生! 指揮官はどこのどいつだ! 責任者出てこい!」
負傷した兵士たちの悲痛な声で充満している兵舎の一角で、今回の敗戦に関する不満とそれを必死になだめる声が鳴り響いていた。彼らのそばにいた他の負傷兵達も上司の悪口を言っている者のとばっちりは食いたくないと言わんばかりに、そそくさとその場を離れる。
「はぁ、はぁ…! つーか今回の指揮官はどこのどいつだって言ってんだよ…!」
「『野戦に定評のある』ハリガン将軍だと聞いてますけど…?」
「そのおっさんは…! いくら払って、その定評って奴を買ったんだ…!?」
「そんなこと… 僕に聞かないでください…!」
二人はなおも言い合い続けた。
だが考え方の違いこそあれど共通するものは確かにあった。
いつしか、二人の言い合いは今回の指揮官に対しての愚痴になりかわっていった。
「霧にまみれたロクに視界もきかねぇ敵地の中に、馬鹿正直に突っ込むド阿呆がなんで指揮官なんかやってんだよ!?」
「10人足らずの小隊に7000の兵の殿を押し付けるなんて非常識でしょ!?」
「『少なく見積もっても』50人! 下手すりゃ70人は斬ったあの時の俺の苦労は一体何なんだぁーっ!?」
「土嚢や堀も無しにあんな平野の真ん中で殿させられて、10分足らずで僕一人になったあの絶望感が君には解かるんですかぁぁーっ!?」
彼らの半径15m以内に近づく者は誰一人としていなかった。
『というかちょっとでも偉い人たちがこの話を耳にしたら、あいつら即首はねられるだろ。
口には出さなかったけど、あの時はみんなそう思っていました。』
(当時現場にいた負傷兵:談)
「…あいつらが?」
「ええ、例の殿二人です。素行は… 見ての通りですが」
まるで何かの結界でも張られているかのように生命が近寄らない男二人の周りのその空間に足を踏み入れる者がいた。
「ちょっといいかな?」
「ああ!?」「はい!?」
見たところ彼らと変わらないくらいの年頃の男であった。身なりは小奇麗ではあるが、身につけている鎧はまるで足軽かと思うほど軽装である。青い長髪に軍人とは思えないような端正な顔をしている。要は大男が第一印象でなんとなくムカついたくらいのイケメンであった。
「えーっと、お前らの名前は?」
二人の男はその若い兵の端正な顔立ちにも関わらず、どこかすっとボケたようなその表情と物言いに軽く毒気を抜かれる。と、同時に僅かに嫌な予感が脳内を走り、急に改まった体勢になる。
「…ガラム=ノックっす」
「ツォン=オルエンです」
「よし二人とも、今回の戦についてだが… まぁ気持ちはわからんでもない」
あの死の国境と言われる関所を突破し、ようやくリムソーンを本格的に攻められると意気込んで1万の兵を先陣に送り込んだはいいが、見事に敵の術中にはまりおめおめと後退… まだ公式には発表されてないが最終的に約3000の兵を失ったわけだ。これはファーリーン史上、ワースト5に食い込む大敗北であった。
「だがお前らは最終的にたった2人で殿を果たし、無事に戻って来たわけだ。一応目撃証言もある。経緯は何であれ、まぁ大したもんだ」
「お褒め頂いて光栄ですが、それなら勲章や褒美の一つも欲しいもんですがね」
相変わらず大男、ガラムは悪態を付く。ガラムもツォンもこの若者が結構な身分の者であると頭の中では薄々勘付いていた。
「悪いが俺の方からは特に何も与えることは出来ない。与える褒美も勲章も持ってないしな」
若者はからからと笑いながら水を差すようなことを言う。かくん、とガラムは頭を下げ、そして今度は不満丸出しの表情で抗議する。
「じゃあ一体何を言いに…!」
「今回の件を受けて、お前達に転属の意思はあるか聞きに来たんだ」
「転属?」
寧ろ今回の件(愚痴)で僻地にでも飛ばされるのかとツォンは一瞬思ったが、若者の口ぶりを見る限りどうも違うようだ。
「ああ俺の部隊… 旋風の騎士団だ」
「旋風の… 騎士団? っていうかあんたが隊長?」
「そんな部隊ありましたっけ?」
二人は首をかしげる。
そして若者も微妙に顔を背ける。
「まぁ部隊自体は結構前からあったんだが… 色々あって活動中止しててな。この度上からのお達しで再結成することになった」
「はぁ…」
「始めに言っておくが『超』が付くほどの精鋭部隊だぞ。隊員には漏れなく騎士の称号が与えられる」
「騎士っ!?」「マジで!?」
ガラムとツォンは驚愕する。
騎士とは要はウマに乗って戦う兵のことである。
そう、ウマに乗って移動でき、戦うことの出来る身分の兵の事である。
念のために世界観の補足をしておくが、この世界では馬術を習うにしてもそれなりの金と身分がいる。ウマの育成にもコストがかかるため、戦場に連れて行ける頭数だってもちろん限られる。そんな中でウマに乗って戦えるということはまさにステイタス。地位の証。
ただの一歩兵に過ぎなかったガラムとツォンが、いきなり騎士に。これはもう死んで二階級特進なんて全く目じゃない。出世、圧倒的大出世。
息子の身を案じて送りだした田舎の父ちゃん母ちゃんが、穴と言う穴から体液を出して喜びを表現するほどの立身出世。
「待ってください、そんなに美味い話が…!」
騎士の称号という特上の餌に釣られて逸るガラムを文字通り押さえつけながら、今度はツォンが食い下がる。
「大体、精鋭部隊と言うのならわが国には既に『暁の騎士団』があるはずです! ついこの間大敗したばっかりなのに、そんなにやすやすと騎士だけの部隊を作っているなんて騎士の称号の安売りとしか思えませんよ!」
(こいつは意外と頭が回るようだな…)
若者はあくまでも表向きはにこやかな表情を崩さなかったが、心の中では感心していた。そしてどう説得すれば自分の部隊に来てくれるか… 次の手を考えていた。
「念を押しておくが… 騎士の称号を貰えるのは本当だ。まぁウチは、その『暁の騎士団』よりも精鋭中の精鋭を集めていると言うか…」
「念のために聞いておきますが、規模は…?」
「今のところ4人だ。お前らを入れると6人」
「精鋭だからって6人で何やるんだよ…」
ガラムがまともな突っ込みを入れる。それもその通り、精鋭部隊と言われる『暁の騎士団』でさえもその規模は50人程度。それを大幅に下回る規模の部隊では仕事内容そのものが怪しいとしか言えない。
若者は軽く溜息をついて答える。
「敵地に潜入しての諜報活動、撹乱が主な任務になる…」
「へぇ… まぁそれなら精鋭とかその規模っていうのも頷けなくはないが…」
「何で黙っていたんですか?」
今度は詰め寄られる側になり、若者は返答に少し困っている様子を見せる。するとツォンが何かを勘付いたらしく、どっしりと腰を下ろす。
「なるほど… 事情は理解できました…」
「? どいうことだ?」
「それこそ『超』が付くほど危険な任務が多い部隊なんでしょ? 敵地での諜報活動がどの程度のものか知りませんけど」
「まぁ… そんなところだ。別に隠してたわけじゃないぞ? お前らが甘い言葉に対してどんな反応をするか様子を見ていたんだ」
うそくせー、とガラムは突っぱねるが、確かに前の文を見ても、決して彼が二人を騙して自分の部隊に入れるつもりではなかった… ともとれる。
「で、どうする? 今はまだ俺はお前らの上司じゃないから、決定権はそちらにある」
「…わかりました、僕は乗りますけど。ガラムは?」
「んー 敵地に潜入しての諜報や工作ねー」
若き隊長はこの時、ガラムが一体何に対して悩んでいるのか解からなかったが、少なくとも彼を引きつける言葉は簡単に紡ぐことが出来た。
「非番の時はコイセナの屋敷に滞在することになる。もちろん温泉は入りたい放題だ。あそこは発展の最中だから若い女の子も沢山来ているぞ。なんか今度は混浴風呂も作られるって聞いたなー それに屋敷には美味い飯を作る女もいるし、な」
「…隊長、と呼ばせてください」
ガラムはこの時の若き隊長、エディオの言葉を後々まで根に持つことになる… が、一応彼の言っていることには嘘、偽りはなかったのであった。
シナリオや文章の誤字、脱字の厳しい批評大歓迎です。
最近、文の粗が酷くなっている、と、おもい、ます、の、で。
orz