第8話 予感
もう空の色に赤みが射してきた頃。
肝心の隊長が未だに帰宅しないまま、屋敷の一階の居間ではいつの間にか他の隊員達も話の輪の中に入って談笑が続けられていた。
「へぇ、それじゃあ今年の祭りはいつにも増して盛り上がりそうだな」
「はい、しかも噂ではドルク将軍も余興の準備をなされているとか…」
「あの堅物のおっさんがか!? 逆にみんな反応に困るんじゃないのか?」
話題は1週間後の建国記念祭の話で持ちきりであった。何でも今年は祭りの余興に多くの兵が駆り出され、かつてないほどの規模で行われるらしい。コイセナのような地方の町はいつも通りの準備がなされていたが、首都タラトでは気合の入りようが尋常ではないらしい。
いつもなら建国記念祭の時こそ、兵士たちは厳重な警戒をしなければならないのに。いつこちらが浮かれている隙を狙って隣のリムソーンが攻めてくるか解からないのだ。
(いや、それともだからこそ、なのか?)
フリオは頭の中で色々と思索しながら談笑を続けていた。
自分達は祭りに参加できないことがほぼ確定しているのだが、それを下手に外の人間、例え同じ軍の仲間で会っても公にするのは御法度。建国記念祭は一年のうちで国民が最も湧き立つ祭りだ。特別な仕事がない限り、それに参加しないとというのは国民としてあり得ない。ノーマに出会うまではフリオにとっても毎年一番の楽しみであったのだ。
「しかし、隊長殿遅いですね…」
「あの人の事だからな…今頃温泉にでも浸かってたりして」
「温泉? …そう言えば来る途中にありましたね。皆さんもよく利用されているんですか?」
「ああ、兵士割引も効くしな。一日中開いてるし。お前も浸かっていったらどうだ?」
「そうだ! 可愛い子もたくさんいるぞ!」
「畜生! よく見りゃお前、女受けしそうな顔しやがってよ!」
「え!? ええっと…」
きっと今、仕事の途中だから、とかこの若い兵の頭の中で葛藤が起こっているだろう。隊員達は若い兵士が返事に困るようなことを言って楽しんでいた。
「こらこら、若い子をあまりいじめてやらないの」
ノーマが後ろから悪ふざけをする隊員達を嗜める。彼女がいつものように料理を運んでくると、他の隊員達も何も言わずに配膳を手伝う。
若い兵士も手伝おうと席を立とうとすると、ノーマに制されてそのまま着席させられる。
「いいのよ、せっかくのお客様なんですから。この人達のことは気にしないで。非番の日はいつも怠けてばかりなんだから」
「人が手伝ってあげてるのに酷くないかノーマちゃん!?」
「つーか、心無しか料理も少し豪勢な気が…」
「贔屓だ贔屓だ! ちょっとイイ顔の若造が来たからって! フリオ! お前も怒っていいんだぞ!?」
いつもよりてんやわんやの食卓の光景にフリオも苦笑いするしかない。ここの隊員は他の兵士と話す機会が少ないので、たまには新入りに対して先輩面したいというのが本音なのであった。テーブルの上にずらりと並べられた料理の匂いにその場の男達は生唾を飲みこむ。一人が料理にそっと手を付けようとしたが、ノーマの視線に気づくとおずおずと手を引っ込める。
「うーむ、これだけの馳走を目の前にしてお預けを喰らうのも酷だな」
「どうする? 隊長は放っといて食っちまうか?」
「いやいや、あの人もノーマちゃんの手料理をいつも楽しみにしてるからな。後が大変だぜー」
「あーもう。とっとと帰って来いよ。折角の料理が冷めちまうじゃねーか」
その光景を見た若い兵士は、隣に座っているフリオにそっと耳打ちする。
(いつもこんな感じなんですか?)
(ああ、どこの隊だって隊長の悪口なんて日常茶飯事だろ?)
若い兵士はますます返事に困っているようであった。
「おっ、でも噂をすれば影みたいだぞ。我らが隊長殿のお帰りだ」
フリオの指さす方向を見て、兵士は慌てて立ち上がった。やがて玄関の方で話声がして、居間の方へ向かって足音が聞こえてくる。居間のドアが開けられると、そこから大の成人男性にしては少し小柄な隊長、ゴートンがひょっこり顔を出す。
「よう、わりぃわりぃ。温泉に入ってたら今日使いが来る事をすっかり忘れちまってた。…えーと、お前さんが?」
「はっ! 本国の使いで参りました!」
若い兵士は直立不動の姿勢で無駄に声を張り上げる。緊張しているのか、それとも単にこういう性分なのか。身長差と立場がまるっきり逆なため、端から見ると少し滑稽に映る。そして本当に温泉に浸かっていて遅れたことに関しては誰も突っ込まない。
「エディオ=ロウだな?」
「え? …は、はい!」
「隊長、知ってるんですか?」
「いやいや、俺が呼んだんだよ。俺の所に伝令を送るときはこいつを使ってくれってね」
「お知り合いだったんですか」
「いや、面と向かって話すのは始めてだよ。な?」
ゴートンはエディオとという若い兵士に向き直るが、彼もこのような展開を全く予想していなかったと言わんばかりの面持ちであった。
「と、とりあえずまずは書状を…」
「おう、ご苦労さん。せっかくこんなとこまで来たんだし今晩は泊まっていったらどうだ。お前さんとも色々話したいしな」
「は、はぁ…」
ゴートンは書状を受け取るとそのまま懐に納める。すぐに検めないのはその重要性を考慮してのものか。
「へぇー お前さん、うちの隊長に目を掛けられるとはただ者じゃないな」
「ってことは、もしかして隊長は引き抜きをお考えで?」
引き抜きという言葉を聞いて、エディオの顔が一層強張る。
「確かに、こいつはこう見えて若手の中では一番の剣の使い手だ。この間の城の武術大会でも優勝しているしな。いずれはそうしたいところだが… ま、他のとこの兼ね合いとかもあってな。今日はちょっと唾をつけとこうって話だ」
ゴートンはそう言って席に着くなり、真っ先に料理に手をつける。1テンポ遅れて部下たちも、我先にと料理に手をつけては貪るように口に入れる。
「おい、お前も早く手をつけとなかないと料理がなくなっちまうぜ」
フリオがぽかんと佇んでいるエディオの肩を軽く叩く。恐ろしい速度で皿の上の料理が無くなってゆく様を見て圧倒されているようだ。そんな様子を見かねたのか後ろから来たノーマが彼の前に新しい料理を運んでやる。
「あ、どうも」
「遠慮しないでどうぞ」
ノーマが持ってきたのは根菜とイノブタ肉の煮込み。一見噛み切るのも大変そうなサイズに角切りにされた肉であるが、実際に口に入れてみると中でほろほろに崩れ、肉のうまみが舌の上に広がっていく。長時間じっくり煮込みながら、アクを取り続けた賜物である。
イノブタ肉は獣臭い上に肉質が固いというのが一般人の認識であるが、調理次第でここまで食べやすく奥深いに味に出来るものなのかとエディオは驚愕していた。
「凄い…! 城で出てくる料理よりも断然美味しいです!」
「だろ? 俺の嫁の料理は大陸一だぜ」
「まったく、大袈裟ねぇ」
「でも、本当にこんな美味しい料理は食べたこと無いですよ!」
やけに照れくさそうにしているノーマと、自慢げな表情のフリオの目が合う。ノーマがそのことに気づくと彼女は恥ずかしそうに目を逸らした。
その後も若い兵士(の、いじり)を交えて夕食は一段と賑やかなものになり、途中から酒も入りだして、フリオを含め、男達はべろべろに酔っ払ってとっとと床に付いてしまった。
ノーマもいつもの通りに食事の片づけを終わらせ、自分の部屋に戻って本を読んでいた。
「ふぁ… 私もそろそろ寝ようかしら… 」
彼女は寝る前の日課である、翌日の料理の仕込みの確認を行うために台所に向かう。その途中でゴートンの部屋の前を通り過ぎたとき、ちょうど部屋から神妙な面持ちをしたエディオが出てきた。
「あら、エディオさん。こんな時間まで隊長さんと話していたの?」
「はい、ノーマさんは?」
「そろそろ寝ようと思っていたところよ」
ランプが点々と付いているだけの暗い廊下であったが、ノーマはエディオの額が僅かに汗ばんでいるのが見えた。
「何かあったの?」
「え…? あ、いやちょっと中で色々と…」
エディオはどこか乾いた笑みを浮かべながら後頭部を掻きだす。
ゴートンの話ではその剣術はかなりの物だと聞くが、やはり新人らしく思っていることがそのまま顔に出てしまうようだ。このあたりは経験が物をいうのか。
そして気のせいか、その表情は僅かに焦っているようにも思えた。
「あ、ノーマさん。自分も近々この隊でお世話になるかもしれません」
「あら、じゃあやっぱり隊長さんの勧誘を?」
「はい。でももう少し前線で経験を積んで来いと言われました」
その端正な顔はやはり新兵らしく、初々しさを隠せない。
ノーマ自身も夫の戦う姿を見たことは無い。だが、任務の前に自分の視線の裏で僅かに見せた表情を見る限り、一般人とは遠く離れた存在であることを感じていた。
「それと、自分は今からタラトに戻らないといけません。折角部屋も用意してくださったのに申し訳ないのですが…」
エディオは深々と頭を下げる。
よく見ると右手には新たな書状が握られていた。
「こんな夜中に… それは隊長さんから?」
「ええ…」
「そう、大変ね。今の季節はだいぶ寒くなっているから風邪ひかないようにね」
「はい。料理、本当に美味しかったです。ごちそうさまでした」
「ふふ、ありがとう。ここに来ればいつでも作ってあげるからね」
「はい! 自分もその日を楽しみにしています!」
エディオはもう一度深くお辞儀をしてそのまま玄関の方へ向かって行った。そしてすぐに外の方で門の開閉の金属音が鳴る。
ノーマも台所に行った後、戸締りの確認のために玄関に向かった。
(やだ…!)
何となく玄関を開けると、凍えるような冷たい風がノーマの体を包む。本格的な冬の到来にはまだ早いはずだが、外は冬真っ盛りの如く冷え込んでいた。風に押されたせいもあって、ドアは大きな音を立てて閉まる。
(あの子… 大丈夫かしら…)
予想以上の寒さに、毛布の一つくらいでも渡してやればよかったとノーマは軽く後悔した。だが相手はウマに乗っているので当然追いつけるわけがない。僅かな不安を頭に残しつつも、ノーマもいつものように床に就いた。
翌朝。
男達のけたたましい支度の音でノーマは目が覚めた。
これは、と思い身支度もそこそこに下の階に下りてみると、昨晩あれだけ酒を飲んだと言うのに、皆一様に真面目な顔をして日も上がらぬうちから淡々と出発の準備を行っている。
「あなた…今から行くの?」
「ん? ノーマか… 起きたのか」
いつもは柔和な夫も出撃前は神妙な顔つきになる。出発の日を教えてくれないことは毎度のことだったのでノーマは別段気にも留めない。
「まだ時間あるならお弁当作りましょうか?」
「あと30分くらいで出るけど、間に合うか?」
「まかせといて」
しっかりと肉に下味をつけた鶏肉の揚げ物に季節の野菜の蒸し物。そして昨夜のうちに仕込んでおいて、時間ぎりぎりに出来上がった焼きたてのロールパン。それらを隊員に渡すと、男達は嬉しそうに礼を言いながら受け取った。
「ありがとう、流石は俺の自慢の嫁さんだ」
「気をつけてね」
「おう、とっとと終わらせて戻ってくるさ」
フリオはノーマを背にして、右腕を上げて答える。他の兵士達も笑いながらノーマの方へ手を振って、屋敷を後にした。
戦場に向かう夫やその仲間を見送る時。
いつ戦死してしまうかもしれない夫の後姿。
しっかりと見届けて、送りだす。
そういえば、これまでまともに出撃の時を直視できなかった気がする。
怖かったのだ。
いつ帰って来なくなるのかと、初めのうちは必死に涙をこらえて送り出したものだ。いつの日か、無意識のうちに目を逸らしていた気がする。
だけどこの日は、夫の後姿をしっかりと見据えることが出来た。
彼の背中はこんなに大きいものだったのか。
彼女の頭の中には別の意味の感動が生まれていた。
やっと騎士の妻として一人前になったというのだろうか。本当は心細いであろう男達の心を励まし、支える存在になれたのであろうか。自分の心も、戦いから目を逸らさない強いものに。
彼を信頼しているから、必ず帰ってくると信じているから。自分がやっと彼を心から信用できたという証である。その、はずだ。
今回もまた惚けた顔をして帰って来るのであろう。
「さて、と。今のうちにみんなの部屋を掃除しとかなくちゃ」
ノーマは男達の姿が見えなくなると、踵を返し屋敷の中に戻る。
庭先に日の光が当たり始め、昨夜の寒波が嘘の様に暖かな光に包まれる。
―そして、その男達が再び屋敷の敷居を跨ぐことは無かった。
非常に書き難い回でした(汗)