俺の話
誘われて連れていかれた店に並ぶ檻には、まだ乳飲み子じゃないかと思われる小さな子から、少し成長した子まで揃っていた。
慣れたのか平気そうにしている子もいたけれど、落ち着きなく騒いでいる子や、隅で諦めたように蹲っている子が目についた。
見ているだけで痛々しくて、目を逸らす。
「外で待っててもいいよな?」
楽しそうに見ている友人を冷めた目で一瞥してから、俺は踵を返して出入り口へ向かおうとした。
それなのに、そいつが目に入った。
足が変な方向に曲がっている。
怪我をしたのだろうか? 店では医者に掛かれないのか?
そんな疑問を浮かべながら足を止めていたせいだろう。店員が近付いてきた。
「大人しくていい子ですよ? 足は生まれつきですけれど、その分お安くなっていますし、どうですか?」
俺は首を回して他の客を見る。
誰にも店員は付いていない。なぜ俺の所にだけ来た?
視線をちびに向けて頭の中で頷く。
この厄介者を押し付けたいのだろう。
檻に付けられた値札を見れば、他の子たちと一桁違う。完全に捨て値だ。
店員の話は続いている。このちびを褒めちぎっているが、だったらなぜお前が迎え入れない? なぜこんな捨て値なんだ?
そんな疑問が過るが、表情の薄い俺の思考など、初対面の店員に読めるはずがない。
黙って聞いている俺を脈ありと見たのだろう。セールストークは続く。
「ふむ」
確かに安い。とはいえ、他に必要な物も購入すれば、結構な出費だ。
医療費やら食費やら光熱費やらまで考えると頭が痛いが、まあ出せないこともないだろう。こいつが天命を迎える前に、貯金はゼロになりそうだが。
店に連れてこられた時は、買う気なんてなかった。
けどこんな所で、隅っこで怯えて生涯を終えるよりは、うちに来た方が少しは幸せを知ることができるんじゃないかって、魔が差してしまったんだ。
「じゃあ、これ」
「ありがとうございます!」
店員の声のトーンが上がった。やはり押し売りたかったようだ。
ちびに同情しながら、必要な物も買っていく。
「お、買ったの?」
「ああ」
「え? それ? もっといいのいるのに」
「いいんだよ」
ちびの体を見て顔をしかめた友人にぶっきらぼうに返すと、俺はその後の予定を断って家に帰ることにした。
さすがに怯えているちびを連れ回す気にはなれない。
家に帰っても、ちびは怯えたままだ。まあ放っておけば、そのうちに落ち着くだろう。
そう考えて、餌と水を与えて、そっとしておいた。
扉を開ける音、歩く音、外で吠える獣の声。
大きな音はもちろん、小さな音にまで反応して、ちびは体を震わせる。
俺はなるべく音を立てないように過ごした。
数日して、ようやくこの部屋にも慣れてきたようだ。
それはいい。それはいいんだが。
「痛い、痛い」
俺に興味があるのか、突っついてきたから様子を見ていたら、噛まれた。
思わず見下ろす。そして、店員に心の中で毒づいた。
どこが大人しくていい子だって?
あれだな。店の環境が怖くて、萎縮していただけだな。
本来の性格は、やんちゃなのだろう。
俺の声に驚いたのか、転んでしまった姿は少し笑えた。とはいえ足は大丈夫なのかと心配していると、すぐに起き上がってまた噛みにきた。
「痛い、痛いって」
俺に何か怨みがあるのだろうか? 俺が何かしたか?
あれか、積年の人間に対する恨みを俺で晴らすとか?
いや、違うな。そういう感情は見受けられない。
「もう噛むなよ?」
本気で噛んでいるわけでもなさそうなので、注意して終わりにした。何度も噛むようなら対応を考えるが、一応は反省しているようだから、今はいいだろう。
しょんぼりと落ち込んでいたので、少し待ってから頭を撫でてやった。
すぐに撫でたら、噛んだら撫でてもらえるなんて勘違いして、噛み癖がつくかもしれない。そうなったら困るからな。
俺と俺の部屋に慣れると、ちびの行動はどんどん活発になっていった。
ある時、ちびがスマホに噛みついてきた。何とも凄い表情をしていたから、たぶん星が飛んでいたんだと思う。
顎や歯に異常があったら病院に連れていかないとって心配していたけれど、普通にご飯を食べていた。
ちびの体は、遺伝性の疾患が原因らしい。
繁殖させた人間に知識があれば防げたのに、調べることを怠り、あまつさえ世話をすることなく売りに出したのだ。
それでも生きていただけ、ちびはまだましなのだという。
見ただけでは分かりづらい疾患であれば、そのまま売られることも珍しくない。だが、ちびのように一目で分かるような異常だと、生まれてすぐに処分されることも多いという。
無邪気に遊んでいるちびを見る。
あいつにとってあの足は、生まれながらのもの。だから、自分が異常だと気付かず、悲観していないのかもしれない。
「まあ、考えても仕方ない。楽しそうにしているんだから、いいか」
幸せならそれでいい。
「遊びにきたよ。あの子はいる?」
友人が遊びに来た。ちびを買ったときに一緒にいたので、当然だが俺の家にちびがいることも知っている。
「ああ、寝てる」
部屋に置いていたクッションにしがみ付くようにして眠っているちびを顎で示す。
客に気付いたのか、目が開いていた。
そんなに必死になってクッションに爪を立てなくても、奪ったりする気はないのだが。
適当に床に座った友人が、持ってきてくれた差し入れを並べている間に、お茶を入れてやる。
二つのカップを持って俺も部屋の床に腰を下ろすと、友人がちびを抱き上げようとした。手が触れるかどうかの所で、ちびが動いた。
しゅばっと、瞬きをする間に、俺の後ろに走り込む。
足が悪いのにいい動きだ。
今まで足を引き摺っていたり、転びまくっていたのは芝居だったのではないかと疑いたくなる程に、俊敏な動きだった。火事場の馬鹿力という奴だろうか?
それはともかく、この状況。
「迷わず盾にするのか」
敵(友人)に襲われると勘違いしたのだろうし、俺も自分よりも小さく弱い存在に護ってほしいとかは思わない。しかし、何か釈然としない。
世間には、主を命がけで護る者もいるというのに。
まあ、そんなことは望んでいないが。
「いきなり触るなよ。慣れてないんだから、怖がるに決まっているだろう?」
とりあえず、友人には注意しておく。
また人間不信がぶり返して引きこもりになったり、噛みついてくるようになったら堪ったもんじゃない。
せっかく寛げるようになったんだ。このまま健やかに育ってほしい。
警戒しているちびの頭を撫でてやると、少しだけ表情が和らいだ。
そんな自由奔放なちびだが、俺が体調を崩したときには心配してくれた。寝ている間はずっとそばにいてくれて、体をぴたっとくっつけてくれている。
だがそこには、俺の鼻と口があるのだ。息ができん……。
「大丈夫だから。ありがとう」
頭を撫でてやると、ほっとしたように表情を緩める。それから軽く俺の口に自分の口を付けてから、そっぽを向いた。
うん? 今、何された?
朦朧としていた意識が、一瞬だけ覚醒した。でもすぐにまた微睡みに落ちる。
「ありがとう」
孤独な俺の、傍にいてくれて。
心配してくれて、ありがとう。
喧嘩をした日もあった。
病院に連れていこうとしたら逃げて、貰った薬も吐き出して。無理やりに飲ませようとしたら、俺の手を噛んで逃げた。
「ちゃんと飲みなさい!」
ベッドの下に潜り込んで唸り声を上げるちびは、何度呼んでも出てこなかった。
初めて会ったときに、予感がした。
こいつは長くは生きられないだろう――と。
だから、覚悟はしていた。
「暖かいか?」
膝の上で微睡むちびと、日向ぼっこをした。
ぐったりとした体は、もう長くないことを示しているようで、言いようのない気持ちになる。
頭を撫でてやる。
ここのところ、力を失っていた表情が、少しだけ柔らかくなった。
「早く元気になれよ」
祈るような声が自然とこぼれて、やるせなさに目を閉じる。
覚悟は、していたんだ。
じわりと、膝が温かくなった。
「は?」
なんだろうか? すぐには分からなかった。
分かった時には、考えるより先に体が動いた。
――漏らしやがった。
ちびを膝から下ろすと、急いで服を着替え、タオルを持って戻る。
そこで俺は、失敗したと気付いた。
動けなくなっていたちびは、泣き出しそうな顔をしていた。
「ごめん。怒ってなんかないから。ちょっと驚いただけ。後、着替えないといけなかったからね」
言い訳だ。
せめて、一言断ってから動けばよかったのに。
濡れたちびの体を拭いてやり、何度も撫でてやる。
でも、ちびの表情は昏いままだった。
悲しげで、切なげで、自分を責めているようで――
ちびとの別れは、翌日の夜だった。
俺の膝の上でいつものように微睡むちび。
だけど俺は、抗えないほどの眠気に襲われていた。何度も頭を振って耐えようとするのに、体は傾いていく。
「悪い」
すぐ近くにちびを下ろすと、目を見開いてから悲しそうに歪めた。
そんな顔をしないでくれ。俺だって、傍にいたいんだ。
だけど、まぶたは重く落ちていく。体は鉛のように重い。こんな眠気を、俺は知らない。
なんとか手を伸ばして、ちびの小さな手に触れる。
はっと目が覚めた時には、さっきまで感じていた眠気も体の重さも消えていた。朝になったのかと思ったが、まだ暗い。
目が無意識にちびへと向かう。
「ちび?!」
横たわっていたちびは、痙攣していた。
「おい、ちび、ちび! しっかりしろ!」
すぐに抱き抱えて病院に連れて行った。途中で動かなくなったから人工呼吸もした。それなのに――
「ちび、ちび!」
ぐったりとした体が、腕の中で冷たくなっていく。
「ちび!」
ちびを買い取った判断を、後悔したことなんてない。
出会えて良かった。共に暮らせて良かった。
きっとあいつも、そう思ってくれているはずだ。
だけど、後悔は残る。
どうして膝から下ろしてしまったのか。もっとしてやれることは無かったか?
どんなに後悔しても、ちびは戻ってこない。
そして、俺が後悔することを、ちびは喜ばない。
「ありがとな。またいつか、会おう」
俺はちびと再会の約束をして、小さな体を、もう一度だけ撫でた。




