第68話 シバー少尉の失敗
アリスは軍庁舎からエリカの家へ移動した。 玄関で呼び鈴をシャリンシャリーンと鳴らすと、玄関の扉が開きシバー少尉が顔を覗かせる。
「えーと、アリスさんかな? お1人で?」
そうです、とアリスはベルでお返事。チーン。
「あっ、じゃあ、とりあえず中へどうぞ」
シバー少尉の後について家の中に入り、廊下を歩いていると少尉が言う。
「エリカさんは今、ハンター協会の依頼で町を留守にしてるんです」
(えっ、そうなん?)
「でも、せっかくなのでお茶ぐらい飲んでいってください」
アリスは言われるままに台所のテーブルに座る。 シバー少尉は紅茶と茶菓子をアリスの目前に置くと、隣の部屋へ引っ込んでしまった。
アリスは出された紅茶をすすりつつ茶菓子を食べる。 ポリポリ。 あ、これ美味しい。 こんな妙な色と形やのに。
◇❖◇
隣の部屋へ入ったシバー少尉は閉めたドアに背中を預け、ケータイ・テレホンでフロスト中尉に連絡を取る。
「もしもし。 いまアリスさんがうちに来てるんですけど」
「うちってどこ?」
「エリカさんの家です。 とりあえずお茶を出しました」
「じゃあ、私が迎えに行くまで何とかして引き留めておいて」
シバー少尉はケータイを懐にしまい、台所に戻る。
「アリスさん、そのお菓子が気に入ったみたいね。 もっと出しましょうか」
いただきます、とアリスはチンとベルを鳴らす。
「紅茶ももっといかが?」
ありがとう、とアリスはベルチン。
◇❖◇
シバー少尉は、お菓子と紅茶を再びテーブルに置くと玄関にダッシュした。 アリスの履き物を隠すためである。 なぜ隠すのか? ファントムさんといえど履き物がなければ家から出るのを躊躇うはずだからだ。 アリスの辞去を抑止する方策の一環として履き物を隠すわけである。
玄関の床には見慣れないオリーブ色のローヒール・パンプス。 アリスの履き物だ。 シバー少尉はパンプスを抱えてキョロキョロと周囲を見回す。 どこに隠そう?
そのとき少尉の背後でベルの音が鳴った。 チーン。
アリスのベルである。 シバー少尉が猛烈な勢いで台所から出ていったのを不思議に思い、アリスは少尉の後を付いて来ていた。
シバー少尉はベルの音の意味を正確に理解した。「人の靴を抱えて何してるん?」 ベルの音はそう言っている。
「こっ、これは、その......」
困ってしまったシバー少尉は、アリスのパンプスを玄関の床に戻すと正座した。 そして揃えた両手の指先と額を床に付ける。 土下座の完成である。
「後生ですアリスさん。 フロスト中尉が迎えに来るまでうちにいて下さい」
シバー少尉なりのささやかなプランはあった。 履き物を隠し、玄関の鍵をかけ、鳴子を廊下に設置し、紅茶と茶菓子を絶え間なく供給し、接待トランプで骨抜きにする。
その第一歩目でつまづいてしまったばかりに、シバー少尉の頭の中は真っ白になった。 そんな少尉に出来るのは、プランのすべてを放棄して真実を洗いざらいぶちまけ、誠心誠意アリスにお願いすることだけであった。
少尉のこの行動は投げやりと言える。 誠心誠意お願いしただけで要求が通るほど世間は甘くない。 シバー少尉は、もっと忍耐強く行動すべきだった。 下手でもいいから嘘をつき、当初のプランの残骸だけでも遂行すべきだった。「フロスト中尉が迎えに来る」と言ってしまうとは軍人失格である。
しかしアリスは世間よりも甘かったので、チンと要求を受け入れた。 実のところアリスにとって、フロスト中尉が迎えに来るまでここで待つのは大した要求ではなかった。
(そんなことで土下座なんかせんでもええのに。 どのみち晩ゴハンのときフロスト中尉に会うし)
◇
後講釈で言えば、シバー少尉は普通に正面からアリスに頼めば良かった。 アリスを引き留めるプランをコソコソと考える必要はなかったのだ。
とは言え、コソコソした少尉を「正々堂々としていない」と批判するのは安直である。 コソコソするのは罪悪感の裏返し。 少尉の「コソコソ」は、彼女がアリスを軍の都合で束縛しようとするのに罪悪感を覚えるだけの道徳性を備えた人間であることの証左にほからならない。 我々はむしろ、少尉の「コソコソ」を高く評価するべきではないか?
◇❖◇
フロスト中尉が来る前に少尉に尋ねておきたいことがアリスにはあった。 筆記用具を取り出し、ノートにペンで質問を書く。
『エリカさんは、いつ町に帰って来るの?』
「それが、わからないんです。 エリカさんからは『町から3日離れた場所まで行く』と聞いてますけど、エリカさん足が速いから...... みんなで待ってるんですけど」
『みんなって?』
「えっ、それは...... 私とかです」
シバー少尉は誤魔化そうとするが、実は尋ねるまでもなくアリスは「みんな」が何を指すかに気づいている。 エリカの《支配》を企む軍の者たちだ。
(この感じやと、エリカさんを《支配》する計画は差し迫ってる? 軍の人間より先にエリカさんと会わなあかんな)
◇❖◇
フロスト中尉が迎えに来たのは、アリスが4杯目の紅茶を飲んでいるときだった。 アリスのカップが空になると透かさずシバー少尉が紅茶を淹れ直すので、アリスはすっかり水腹になっていた。
玄関まで迎えに出たシバー少尉の後に続いて、フロスト中尉が台所に入って来る。
「アリスちゃん、そこにいるの?」
チーン。(いてるで)
「ちゃんと引き留めておいてくれたのね、ありがとう少尉」
「お役に立てて良かったですー」
フロスト中尉はアリスが座る席に近寄り、テーブルの上に指輪《発信器》を置く。
「この指輪を返しておくわね」
アリスはベルで返事をする。 チチン? 要りませんけど?
この「チチン?」は、アリスにしてみれば社交辞令のようなものだ。 挨拶代わりに拒否っておく。 その程度の気持だった。 ところが中尉は予想外に強い口調で言う。
「身に付けておきなさい。 あなたを守るためなの」
前にも聞いたセリフである。 しかし昼間に盗み聞きしたおかげで、今回アリスは中尉の言葉の意味を理解できた。 アリスが《支配》されずにいるには指輪を付けて軍の言いなりになるしかないのだ。
アリスは言われるままに指輪をテーブルから拾い上げてポケットに入れる。 中尉のポケットではなく自分のポケットだ。
(しゃーない。 ここは中尉の顔を立てとくか)
昼間の大佐との会話でフロスト中尉がアリスの《支配》に積極的ではなかったことで、アリスの中尉への好感度はアップしていた。




