第62話 出発
ひととおり旅支度を終えたエリカは、シバー少尉に今回の依頼について説明することにした。 さっきから、エリカが旅支度をする理由について知りたがってうるさい。
エリカは台所のテーブルの椅子に座りベルを鳴らす。 チン。 シバー少尉、そこにお座りなさい。 今から今回の旅について説明してあげましょう。
ようやく事情を教えてもらえると知り、シバー少尉は一も二もなく椅子に座る。 彼女の背筋はピンと伸び、握られた両手は膝の上。 少し前傾した姿勢から「教えてもらいたい」という強い意欲が窺える。
『詳しくは明かせないんだけど、ハンター協会の依頼でミザル市の西から3日離れた場所まで行くことになったの』
「いつ出発するんですか? 今夜はおうちにいますよね?」
『そうねえ』
そう答えてエリカは考える。
(ジビエの町まで私の場合14時間。 休憩時間も考えれば16時間。 どのみち野宿することに。 それなら――)
『今日のうちに出発するわ』
「そんなー」
(なんだか残念そうね)
「出発は仕方ないにしても、せめて明日の朝にしましょうよ」
(何が「せめて」なのかしら?)
『この指輪は返しておくわね。 私には必要ないから』
そう書いてエリカは指輪をテーブルの上に置く。
『ところで、シバー少尉はいつまでこの家に滞在するのかしら? 私が軍に入らないのも確定したし、これを機に付き人をやめれば?』
「たっ、滞在だなんて...... そんな他人行儀な言い方はよしましょうよ。 それに、それは私の一存で決めることではないですし」
『決めるのはガブリュー大佐? 彼はまだミザル市にいるのかしら?』
「えっ? それは...... それは秘密です」
(秘密ってことは、まだミザル市にいるのかしら? さっきから少尉が少し変ね)
『いずれにせよ、付き人を止めさせるには軍庁舎に行けばいいのね?』
「やめてくださいやめてください。お願いです。私が叱られちゃいます」
シバー少尉はやにわに椅子から立ち上がると、板張りの床に正座して土下座した。 エリカが止める間も逃げる間もない電光石火の早業であった。
シバー少尉は額を床にこすりつけて懇願する。
「それだけは堪忍してください。 お願いです。 おうちに居させてください」
(やられた。 また土下座されちゃったよ...... 追い出すのはまた今度かな)
エリカは土下座するシバー少尉をその場に残し、用意していた旅の荷物を持ってそっと家を出た。
◇❖◇
西門から町を出たエリカは街道に沿って足早に歩く。 マナで身体能力が強化され、歩き回る毎日で鍛えられた彼女の脚力は前世で女子大生をやっていた頃と比べるべくもない。 荷馬車や徒歩の集団を次々に追い抜いてゆく。
エリカが街道を利用するのはこれが初めて。 交通量が意外に多い。 誰も彼も、武装していたり護衛に守られていたり。 ラットリングの数が減っていても非武装で旅をできるほど安全ではないのだ。
◇❖◇
シバー少尉は頃合いを見計らって土下座を終えた。 エリカの反応が無いのを不思議に思い、エリカに呼びかける。
「エリカさん?」
しかし返って来るのは静寂だけ。 エリカはシバー少尉を邪険に扱いながらも無視することはなく、その場にいればベルの音で返事ぐらいはしてくれる。 そのベルの音すら鳴らないなら、エリカは家にいないのだ。
(明日の朝でもいいのに今日のうちに出て行くなんて。 まさか、エリカさんを《支配》する企みに気付かれた?)
いずれにせよ今夜エリカを《支配》するのは不可能となった。 ガブリュー大佐に報告せねばならない。 少尉は自宅を出て、軍庁舎へ向かった。
◇❖◇❖◇
「サワラジリは本人の言う通り、ハンター協会の依頼でミザル市を出ただけさ」
ガブリュー大佐は、エリカが出て行ったときの模様をシバー少尉から聞いたうえで、少尉にそう告げた。
「でも」
「仮にサワラジリが他国へ逃亡するとして、どうして貴官に嘘を付く必要がある? 気を回し過ぎるな」
「依頼の真偽をハンター協会に問い合わせましょうか?」
「不要だ。 協会やサワラジリに警戒心を抱かせかねない。 待っていればサワラジリは必ず戻って来る。 軽挙妄動は慎むことだ。 それより思いついたんだがな、麻痺針をサワラジリの寝具に仕込むというアイデアはどうだ?」
「良いと思います」
「うむ。 では、詳細は少尉に任せる。 頼んだぞ」
(はぁ、仕事が増えちゃったよ)




