第51話 もむっ
ハンター協会を出ると、玄関のすぐ近くに立派な馬車が止まっていた。 御者席に男が2人腰掛けている。 馬が引く客車は箱型のクローズド・タイプだ。
「ヒロサセさん、あの馬車に乗ってください。 倉庫は郊外なので少し遠いんです」
(郊外って町の外? 倉庫なんてあったかしら?)
エリカは疑問に思ったが、アリスは依頼人の言葉を疑わず馬車の客席に乗り込んだ。
「乗ったらベルの音で知らせてくださいね」
アリスは言われるがままに客車の中からチーンとベルを鳴らす。 すると依頼人は客車のドアをバタンと閉めて、ドアの外からガチャリと鍵をかけてしまった。 そして御者に向かって叫ぶ。
「いいぞ、馬車を出せ!」
依頼人の合図で馬車が動き始める。 依頼人は馬車とは別の方向に足早に歩き出した。
(どうして馬車と別れるの? まさかアリスちゃんを誘拐?)
冗談半分で予期していた事態が実際に起こってしまったのか? エリカは当惑し、その場にしばし立ち尽くす。
(依頼人を追うべき? それとも馬車を?)
エリカが迷ううちにも、依頼人と馬車は別々の方向へ遠ざかって行く。
(馬車のほうを追うべきかしら)
エリカはアリスを乗せた馬車を目指して走り出した。 町中とあって馬車の速度はそれほどでもなかったので、エリカはすぐに馬車に追いついた。
馬車の客車からはアリスがチンチンチンチンと警報のようにベルを鳴らし続ける音が聞こえるが、客車は窓が設けられている以外は密閉されているので、外部に漏れ聞こえる音は通行人の注意を喚起するほどではない。
馬車のすぐ後ろについて走りながらエリカは考える。
(御者をやっつけて馬車を止めてもいいけど、もうちょっと様子を見てみましょうか。 どういう理由でファントムさんを誘拐するのか気になるし)
エリカは考えをまとめると、客車の手頃な出っ張りを掴んで馬車に取り付き、客車に乗り込む際に使用するステップに足を載せた。 これなら長時間の移動も苦にならない。
◇❖◇❖◇
馬車は町の西門を出て街道沿いに走り、人気が無くなったところで街道を外れて少し進み停車した。
馬車が完全に停まったのを見計らってエリカは馬車から飛び降りた。 客車の中のアリスはベルを鳴らすのを止めて沈黙を保っている。
男の1人が御者席から降りて、馬車の後部へとやって来た。 客車のドアの窓から中を覗く。
「本当にこの中にグレムリンがいるのか?」
「馬車の中からベルの音がしてただろ」
「でも今はしてないぞ。 逃げたんじゃないのか?」
「グレムリンといえど車体を通り抜けはしないはずだ。 中を確かめようとドアを開けたりするなよ」
「そもそもドアの鍵を持ってないさ」
(ドアを開けないなら、何故こんなところで停車したの?)
エリカが不思議がってると、馬車を降りた男が呪文を唱えだした。
「ロブドブロプストリケラス――」
(呪文? 馬車のドア越しにアリスちゃんにぶつけるつもり?)
男の詠唱は尚も続く。
「――コリトスポリッキーメトール――」
(この呪文... 前にも聞いたことがある気がする。 何かやばい呪文だったような)
「――クールミトンポリカスエート オオヌカセヤーク――」
(とにかく詠唱を止めさせよう)
エリカは男の背後に回り込むと、右手で彼の口を塞いだ。
「――ヌカクニギレノンニウデオシもむっ」
口を塞いだときの右手の感触と「もむっ」という音でエリカは思い出した。
(あっ、これは《支配》の呪文! こいつらアリスちゃんを支配しようとしてたのね)
あれはそう、エリカが初めて南門から外に出て、オークで投石に殺されたときのこと。 悪者が『ナナクサ』というパーティーの女性ハンターに《支配》の呪文をかけようとしているのをエリカが邪魔したのだった。
◇❖◇❖◇
御者台に座る男が、詠唱の中断に気付いて声を掛ける。
「どうした?」
しかし詠唱者は答えられない。 エリカがまだ口を塞いでいるから。 詠唱者は答える代わりに首を横に振ろうとするが、それすらも口を塞ぐエリカの手に邪魔される。
(もういいかな。 呪文は完全に中断されたよね? ここから詠唱を再開とかムリよね?)
エリカは詠唱者の口から手を離した。
「ブハーっ。 なんだったんだ今のは」
「どうしたというのだ?」
「わからない。 とにかく急に唇が思うように動かなくなった。 口で呼吸もできなかった」
エリカの背後で突然、男の声がする。
「それはグレムリンの仕業じゃないのかね?」
ここまでアリスを連れて来た2人の男ではない第三の男の声だ。 聞き覚えのある声でもある。
(きゃっ。 なに?)
ビックリしたエリカが後ろを振り向くと、そこに立つのはアリスの依頼人。 頭髪が薄く、無精髭を生やした中年の男性だ。 別方向に向かったはずなのに何故かここにいる。
「馬車に捉えたグレムリンはヒロサセと私に名乗った。 サワラジリが偽名を使ったのでなければ、グレムリンがもう1人いることになる...... 例えばそこになっ!」
叫び声と同時にアリスの元依頼人は、いつの間にか手にしていた剣で《支配》の使い手の手前の空間 ――すなわちエリカが立つ場所―― を薙いだ。
元依頼人が振るう剣は彼のムサイ外見とは裏腹に鋭く、シュルシュルとエリカの首筋に伸びる。
(くっ!)
エリカは出し抜けの斬撃にもかろうじて反応し、首を刎ね落とされるのは免れた。 だが、剣の刃は彼女の頸動脈を切断しており、エリカの首筋から血しぶきが霧のように噴出する。 エリカは首筋に手を当てるが、そんなことで出血が治まるはずもなく、出血多量で意識を失い地面に崩れ落ちた。
元依頼人は振り切った剣の刃先を検分しつつ、薄く笑って言う。
「なーんてな。 今のは冗談だ」
《支配》の使い手は、いきなり目前で剣を素振りされて顔が引き攣っている。
「脅かさないでくださいよ、ジョウン隊長」
「しかし、グレムリンが2体いるだろうというのは冗談ではないぞ。 そして、お前の呪文を阻害した謎の現象も2体目のグレムリンが引き起こしたんじゃないのか?」
元依頼人あらためジョウン隊長がそうして喋る間にも、失神して地面に倒れたエリカの体は不死性を発揮して修復されつつあった。 周囲に飛び散ったりエリカの衣服に染み込んだりした大量の血液が、彼女の首元の傷口へ静々と急速に移動し、体内に戻りつつあったのだ。 なお、エリカやアリスの血液は出血により体外に在るときにも他人には知覚されない。
「そ、それでは、この場にもう一体のグレムリンが野放しでいるかもしれないと?」
「そうだ」
「それでは我々はどうすれば?」
「早急に《支配》を済ますしかなかろう。 心配するな、サワラジリがオレたちに害意を持つならオレたちはもう殺されている」
ジョウン隊長のこの言葉を、エリカは地面に横たわったまま聞いていた。 そう、彼女は血液の回収と傷口の修復を完了し、意識を回復していた。




