第48話 どくせんこうしょうけん
マロン君がノックに返事をする。
「どうぞ」
カチャリとドアが開いて姿を見せたのは若い黒髪の男性。 細身で長身で、柔らかそうな髪質の頭髪である。
「お話し中のところスミマセン。 そろそろ私の出番かと思いまして」
マロン君が申し訳なさそうに答える。
「残念ながらあなたの出番はなさそうですよ、マベルスさん」
(この男の人が軍の担当者?)
「やっ、それはマズい。 早めに顔を出してよかった」
そう言いながらマベルスは部屋に入って来た。
マロン君は複雑な表情。
「ちょっとマベルスさん......」
「それじゃ失礼して、隣に座らせて頂きますよマロンさん」
そう言ってマベルスはエリカの向かい側のソファーに腰を降ろす。 マロン君の隣だ。
「あちらのソファーにファントムさんが座っているわけですね?」
「そうです」
「まったく存在を感じ取れない。 これは貴重な人材だ」
マベルスはそう呟いて、エリカが座るソファーに向かって声を掛ける。
「ファントムさん、そこにいらっしゃいますか?」
エリカはベルでお返事。 チン。
「わたくし、ザルス共和国軍に所属するマベルス中尉と申します。 本日は説明会の機会を頂きまして誠にありがとうございます。 大体のところはマロンさんからお聞きだと思いますが――」
そうしてマベルスは軍への加入について一方的に説明し始めた。 彼の説明によると、エリカには少尉の階級が授与されることになる。 また、軍の作戦に従事しているあいだは、現役の軍人に比肩する報酬 -エリカであれば月給80万ゴールド- が与えられる。
「――どうでしょうかファントムさん、我が軍に籍を置いて頂けないでしょうか?」
(メリットとデメリットがいまいち釣り合わない気がするのよね。 何もしなくても毎月20万ゴールドもらえるのは悪くないけど、どんな作戦に駆り出されるかわかったもんじゃない)
エリカの返事はノーだ。 チンチンと2回ベルを押す。
「ベルの音が2回でノーの意味です」とマロン君が説明する。
「ファントムさんを我が軍にお迎えできるのなら、どのようなご要望でも検討する用意があります。 なんでもおっしゃってください」
多くの人がそうであるように、エリカも下手に出られると弱い。 本腰を入れてマベルスと対話する気になったエリカは、ナップサックからノートとペンを取り出した。
『軍から出された指令を拒否できますか?』
メッセージを読んだマベルスは難色を示した。
「うむむ、いきなりそこですか。 それについては...... 上司と相談しなくてはなりません」
(あら、そうなの?)
「しかし私の上司がいるのはキカザル市で、ミザル市からの往復には2週間かかります」
『テレホンで相談すればどうでしょう?』
「テレホンだと盗聴される恐れがあり、機密事項の連絡には使えません。 上司に直接会って話すしかないのです」
(機密事項? なんだか大げさね)
「他の条件なら私の一存でも変更できるのですが。 例えば月々のお手当の増額や、少尉でなくて中尉がいいとか」
(2週間かけて往復させるのは忍びないけど... 「軍からの指令を拒否」というのが思いのほか重要っぽい。 ここで譲るとマズい気がする)
エリカはチンチンとベルを2回鳴らした。
「...そうですか。 それではせめて、独占交渉権を頂けませんか? むろん無料でとは言いません、対価として50万ゴールドを支払いましょう」
(どくせんこうしょうけん? たいか?)
マロン君がエリカの窮状を察して救いの手を差し伸べる。
「独占交渉権とはこの場合、エリカさんと所属契約の交渉を独占的に行う権利ということです。 エリカさんが50万ゴールドと引き換えに独占交渉権をマベルスさんに与えると、エリカさんは他の組織と所属契約の交渉をできなくなります」
「マロンさんのおっしゃる通りです。 独占交渉権の期間は、私が上司と相談を終えてエリカさんと次に会うまでとさせて頂きます」
(他の組織と交渉をしないだけで50万ゴールド? わたしを騙そうとしてるの? そもそも他の組織ってなに?)
不安になったエリカはマロン君に相談することにした。
『マベルスさん、少し席を外してもらえませんか? マロン君と2人だけで話をさせてください』
「わかりました。 それでは私は部屋の外で待っていましょう」
マベルスが出て行ったドアが閉まると、エリカはマロン君に尋ねる。
『どうして他の組織と交渉しないだけで大金を貰えるの? 何かの詐欺?』
「ザルス共和国軍が他の組織にエリカさんを持っていかれたくない、交渉すらさせたくないということですよ」
『他の組織って?』
「主に他国の軍ですね。 他にもあるかもしれませんが」
『どうして突然こんなに私のニーズが高まってる感じなの? これまでスカウトされたことなんて一度もないんだけど?』
「どの軍事組織だってファントムさんを欲しがりますよ。 なにしろ存在を知覚されないんですから。 要人の暗殺やスパイ行為にこれほど適した人材はありません。 これまでエリカさんにスカウトの手が伸びて来なかったのは、エリカさんの存在が知れ渡っていなかったからでしょう」
『マベルスさんに独占交渉権を与えても問題ないかしら?』
「大丈夫でしょう。 エリカさんが他国の軍に入りたいのなら別ですけど」
『じゃあ問題ないわね。 マベルスさんに部屋に入ってもらって』
こうしてエリカは、50万ゴールドと引き換えにザルス共和国軍に独占交渉権を与えた。 マベルスがミザル市に戻って来る2週間後まで、エリカは他の誰とも契約交渉をできない。




