第43話 エリカの思い付き
チンチンと鳴らし合いながらエリカとアリスは喫茶店のテーブルに着いた。 2人に付いてきた群衆の半分ほどが喫茶店に入ってきて周囲のテーブルを占領する。 酔狂な者が多いのか、ダブル・ファントムさんがよほど珍しいか。
席に着いたエリカは筆談を開始した。 これまでエリカは筆談にコピー用紙のような紙を使っていたが、いま彼女が使うのはさっき文房具店で買ったノートである。
『アリスさんは何を飲みます? コーヒー、紅茶、ココア...... 色々ありますけど』
アリスも自分のノートに返事を書く。 ノートは2冊ある。 エリカ用とアリス用だ。
『ココアをお願いします。 アイスで』
(あらっ、綺麗な字)
アリスの字を見てエリカは感心した。 エリカは字が下手な部類だ。
姿が見えず声も聞こえないファントムさんにとって、字の上手下手はベルの音色と並んで、周囲の人のファントムさん像を大きく左右する。 美しい字からは美しいファントムさんを、美しくない字からは美しくないファントムさんをイメージするわけだ。 でもエリカはそこまで思い至らなかったので、字の上手さでアリスに嫉妬しはしなかった。
エリカはアリスの字の上手さに気後れすることもなく、上手ではない字で平気で筆談を続行する。
『じゃあ私もココアにしよう』
筆談を眺めていたウェイトレスが確認する。
「アイス・ココアをお2つでよろしいですか?」
『はい』
◇❖◇
アイス・ココアを飲みながら、数多の人の環視の中エリカとアリスは筆談をする。
『いきなりですけど、アリスさんは日本人でしょうか?』
『そうです』
『じゃあ、ここからは日本語で筆談しましょう』
『はい』
この世界の言葉で筆談を続けていると、見物人やウェイトレスにも筆談の内容が筒抜けである。 エリカは日本語で尋ねた。
『アリスさんは、どういう経緯でこの世界へ?』
『エリカさんと同じです』
『じゃあ、白いヒゲのお爺さんに杖で殴られて?』
『はい、ゴツンと』
『するとアリスさんも人が苦手?』
『そうですね』
『失礼ですけど、年齢はおいくつですか?』
『16です。 エリカさんは?』
『23才です』
『失礼しました』
(えっ、失礼?)
(あっ「失礼」って言う方が失礼やったかな。 まあええわ、書いてもうたもんはしゃあない)
『さて、アリスさん、どうしてあなたはモンスター退治で生計を立てずに万引きを続けているのかしら?』
『私にはモンスター退治は無理なので』
『どうして無理なのかしら?』
『モンスターが怖いし、剣が重いし、生き物を殺せないからです』
アリスの返答を読んで、エリカは自分の手抜かりに気付いた。
(そうだった。 私も最初は武器が重くて振り回せなかった)
だからこそミスリル製で軽いうえに《軽量化》の魔法までかかっている最高級品の長剣を盗むことになったのだった。 アリスに渡した10万ゴールドではミスリル製の武器など買えるはずもない。 アリスのことだから欲しいと思えば万引きをするだろうが、異世界IQが低い彼女は万引きしてまで武器を欲しいとは思わないのだろう。
アリスもマナで肉体が強化されればエリカと同じように鋼鉄の剣を振り回せるようになるだろうが、それには先ずモンスターを倒さねばならない......
(困ったわねえ)
滞った返事からアリスはエリカが困っているのを察した。
(エリカさん困ってる...? 私のせいで)
エリカは考え続ける。
(どうしようかな)
アリスは帰宅を検討する。
(いづらくなってきた。 こっそり逃げようかな?)
アリスの腰が椅子から浮き始めたときエリカは思いついた。 ハンター協会が仲介する依頼なら血生臭くないものがあるではないか。 エリカがやった潜入調査なんかもその1つだ。 エリカは思いついた内容をノートに書き始める。
しかしそのときアリスはすでに逃げ出す決意を固め、そろーりと椅子から立ち上がろうとしていた。 アリスに触れている間は椅子も存在感を失っている。 したがって、アリスが立ち上がるときの椅子の動きは誰にも知覚されない。
エリカがメッセージを書き終えたとき、アリスはすっかり立ち上がっていた。 アリスの膝の裏が椅子に触れているため、彼女の椅子は依然として存在感を失っている。 それゆえ誰もまだ、アリスの無断エスケープに気付いていない。
(それじゃ、私はこれで失礼しますね、エリカさん)
アリスが立ち去ろうとする正にそのとき、チーンという清音が喫茶店の店内に高らかと鳴り響いた。 エリカがメッセージを書き終えたことを告げる音だ。
(えー、もう帰ろうと思ってたのに)
心が荒みきっているアリスだが、自分に向けられたメッセージを無視しない程度の礼儀正しさは残されている。 彼女は仕方なく、テーブルの上に出現したエリカのノートに目を向けた。
(なになに、『ハンター協会で依頼を引き受けるのはどうかしら?』。 この依頼って、透明でもできる仕事なんかなー?)
アリスだって万引き生活にピリオドを打てるならそうしたい。 万引きを楽しんでいるわけではないし、万引きだけでは快適な生活を送れない。 アリスが住む廃屋は水道は使えるが湯が出ないし、照明はロウソクである。
アリスは筆談を再開するため椅子に戻った。
『依頼って、どんな仕事なんですか?』
◇❖◇
アリスはエリカから、ハンター協会が仲介する依頼について一通りの説明を受けた。
(用心棒にボディーガードに警備員にスパイ、それに肉体労働... あかん、どれも私にはできへん)
『どれも無理っぽいです』
『警備員とかどうかしら? アリスちゃんは透明だから悪者が来ても襲われないわよ?』
『悪者が来たとき私にできることがありません』
アリスの返答にエリカは回答に窮した。
(それもそうね。 透明と言えど16才の女の子に警備員は無理か。 潜入調査の仕事はいつも募集があるわけじゃないし。 んー、なんか手頃な仕事ないかなー。 監視するだけの... 万引きGメン? 万引きを見つけたらチーンとベルを鳴らして店員さんにお知らせ。 でも、小さな商店に万引きGメンを雇う余裕なんてないよね)
考え続けるエリカの向かい側で、アリスは再び家に帰りたくなっていた。
(エリカさん、また考え込んでのかなー。 もうええのに)
アリスの腰が再び椅子から浮き始めたとき、エリカは1つの構想を思いついていた。 アリスに商店街全体の万引きGメンを任せれば良いのだ。 商店街の商店は全部で30軒ぐらいだろうか? 各店舗に例えば毎月1万ゴールドを負担してもらって、アリスが商店街を巡回警備する。 万引き犯にとって透明の万引きGメンは天敵である。 自分が監視されているかどうか全く判断がつかないのだから。 アリスの万引きGメンは効果絶大に違いない。
考えていてエリカは、自分が万引きGメンの仕事をやりたくなってきた。 ファントムさんにとって、万引きGメンこそが天職ではないだろうか? 他人とのコミュニケーションを要求されず、万引きを見つけてベルをチンと鳴らすだけの簡単なお仕事だ。
(とっても魅力的ね、このお仕事。 でもだめだめ、エリカ。 あなたにはオーク退治があるじゃない。 この仕事はアリスちゃん用なの)
エリカが自分にそう言い聞かせるテーブルの向こう側では、帰宅を再び決意したアリスがソロリと椅子から立ち上がろうとしていた。
(じゃあ、そろそろお暇しますね、エリカさん。 ココアごちそうさま)
しかしエリカはノートに短い文を書き込むと、すぐにベルを鳴らした。 チンという音にアリスが中腰で固まる。
(もー。 帰ろうと思ってたのに)
アリスは渋々テーブルの上のノートに目を落とした。
(なになに、『万引きGメンはどうかしら?』。 万引きGメンって何やろ?)
◇❖◇
席に戻ったアリスは、エリカのアイデアを詳しく聞かされて喜んだ。
(万引き犯を見つけてチンするだけ? 私にピッタリの仕事やん! それで月給20万ゴールド? ええなー、この仕事やったら私にもできる)
しかし、エリカはアリスほど能天気でいられなかった。 このアイデアは、まだアイデアに過ぎない。 商店主たちに持ちかけていない。 ファントムさんによる万引きの取締りは商店街にとっても魅力的なはずだが、果たしてエリカの構想は受け入れられるだろうか?




