第39話 曇り空
マロン君に案内されたのは前と同じ応接室だった。
エリカが席に着いた頃を見計らってマロン君が切り出す。
「実は、武器屋さんからハンター協会に問い合わせがありましてね。 南の商店街の武器屋さんです」
マロン君の声音はいたって平静。 だが、エリカはビクッと身じろぎをする。
(げっ、もしかしてミスリルの剣の件?)
エリカが知る武器屋は2軒ある。 1つはハンター協会の近くにある武器屋。 もう1つは南の商店街にある武器屋。 エリカがミスリルの長剣を盗んだのは南の武器屋だ。
「その武器屋さんの最高級の長剣を、ファントムさんが勝手に持ち出して使ってるんじゃないかと言うんですよ」
(昨日のハンター3人組、あいつらがチクったに違いないわ)
「それで、もしそれが事実なら長剣を返却して欲しいと、まあそういうわけです。 ファントムさん? そこにいらっしゃいますよね?」
エリカは不承不承ベルを鳴らす。ちん。
「いや、もちろん僕はファントムさんが無実だと信じています。 けれど、もし件の長剣がたまたま手元にあったり、何かの折にファントムさんの家で見かけることがあったらですね、武器屋さんに返してあげて欲しいんです」
(「何かの折に」って何よ。アンタ私の無実を信じてないでしょ? 私が有罪なのは事実だけどさ)
◇❖◇
武器屋にしてもマロン君にしても、エリカの万引きを直接的な表現で咎めないのには訳がある。 この世界の人々はファントムさんを畏れているのだ。
ヤクザの恐ろしさとは違うし、神様のように神聖でもない。 それでも、怒らせるとどんな仕返しをされるか分かったものではない。 その存在を五感で確認できないという神秘性もある。 ファントムさんは人々に親しまれる存在であると同時に、少なからず畏怖の対象であった。
◇❖◇
マロン君に正面から要求されてエリカは腹を決めた。
(仕方ないわね。 いつか代金を支払えばいいと思ってたけど、今すぐ返品するしかないか)
人に悪事を咎められてなお悪事を貫徹できるほどエリカは面の皮が厚くない。 厚くないどころか彼女の面の皮は、その薄さにおいて人類トップ・クラスである。
エリカは意を決してマイ・ベルをチンと鳴らした。 マロン君には、それだけでエリカの意思が伝わる。
「それでは了承して頂けると?」
ええそうよ。 エリカは再びベルをチンと鳴らすと、そそくさと応接室から出て行った。
◇❖◇❖◇
応接室を出たエリカは出納器に向かう。
「200万ゴールドの振り込みを確認しとこう」
ハンター協会が発行する口座カードはデビット機能を備えており、デビット・サービスに対応する店であればカード1つでお買い物ができる。 だから現金をおろす必要はない。 けれど、口座の残高は確認しておきたい。
出納器で残高を確認すると、ちゃんと200万ゴールドを振り込まれていた。 これまでの残高と併せてエリカの現在の資産は、ざっと300万ゴールドにもなる。
「依頼のほうがモンスター退治よりも稼げるね」
口座残高に満足して、エリカはハンター協会の建物を出た。
◇❖◇❖◇❖◇
口座残高の金額が一気に増えて気分が良くなったのも束の間、ハンター協会の建物を出てすぐにエリカの気持ちは沈んだ。 これから武器屋にミスリルの長剣を返却しに行かなくてはならない。
ミスリルの長剣と別れることに関しては、エリカの気持ちはそこそこ整理がついていた。 それよりも、武器屋の店主に謝らなくてはならないことが彼女を憂鬱にしていた。
「嫌だなー。 憂鬱だなー。 行きたくないなー」
南の商店街へと至る道をブラブラと歩きながら、エリカはしきりに憂鬱がる。 そうするうちに武器屋の前に着いてしまった。 エリカは店の前で腕組みをして悩む。
「う~む、どうやって謝ろう。 ......そうだ! 謝罪の手紙を書こう。 ベルで謝るより、そっちのほうが辛くない」
エリカは武器屋のドアを開けて中に入ると、ナップサックから筆記用具を取り出し、手頃な平面を見つけて謝罪文を書き始めた。 けっこうな時間をかけて書き終え、完成した謝罪文を読み直す。
「悪くないわね。 反省する私の気持ちがよく出てる」
エリカはミスリルの長剣を剣帯から取り外し、謝罪文と共に武器屋の店主がいるカウンターの上に置いた。 そして、財布から1万ゴールド硬貨5枚を取り出して謝罪文の上に積む。 ミスリルの長剣を数週間借りたレンタル料というわけだ。
◇❖◇
ほどなくして店主は、カウンターの腕に置かれたミスリルの長剣に気付いた。 彼の腕が長剣の鞘に触れたのだ。
「ん? こいつぁ...... あの剣だっ!それに手紙? なになに『ミスリルの長剣を何週間も無断で借りてて――』」
エリカは店内に留まり、武器屋の店主が謝罪文を読む様子を見届けようとしていた。 すぐにでも店から逃げ出したい気持ちもあったが、それ以上に自分の謝罪文を店主がどう受け止めるかに興味があった。
店長は敵を睨み付けるような目で謝罪文を読み終え、吐き捨てるように言う。
「けっ、自分本意な心根が透けて見える手紙だぜ。 こんなもんでオレの気持ちが治まるかよっ! それになんだ、この端金は。 3千万の剣をひと月近くも使ったレンタル料が5万ゴールドで済むわけねえだろ」
エリカに面と向かって言ったわけではない。 独り言の類である。 店長はファントムさんが既に店から出て行ったと思っている。 それでも店長の一言一言がエリカのデリケートな心をグサグサと突き刺し、エリカは手酷い精神的ダメージを負ってしまった。
「くうっ~、がんばって謝ったのに。 もうムリ」
その場に崩れ落ちたい体にムチ打って、エリカはヨロヨロと武器屋から出て行った。
◇❖◇❖◇❖◇
「謝罪文を置いてすぐに武器屋を出ていれば...... ううぅん、謝罪文なんて書かなきゃ良かった。ミスリルの剣を返すだけにしとけば良かった。 関係を修復しようだなんて思わなきゃ良かった」
どんよりとした曇り空の下、エリカは魔法書店でスクロールを買うのも忘れてトボトボと歩く。 行き先などない。 とにかく、この商店街を出て人気のない場所へ行きたかった。
そうしてトボトボと歩いて商店街の出口に差し掛かると、怒鳴り声が聞こえてきた。
「まーた盗まれちまったぜ!」
(この声は......)
「ファントムさんにも困ったもんですなあ」と隣の商店の主。
「カネを払わねえことが増えてやがる」
(もう嫌! これ以上ファントムさんを責めないで!)
エリカは両耳を両手で塞ぎ、駆け足で商店街から逃げ出した。
◇❖◇❖◇❖◇
街路を駆けるエリカ。 多数の通行人が行き交う町中である。 マナで身体が強化されたエリカが全力疾走するなど、透明のバイクが町中を走り回るようなもの。 衝突された者は無事では済まない。 だが、エリカはすべての通行人を鮮やかに躱して駆け抜けて行く。 反射神経もマナで強化されているためだ。
しかしエリカの避け方はきわどく、あわや接触事故という場面も少なくなかった。 その結果――
「きゃっ、すごい風」「うわっ」「今のは何だ?」
エリカが駆け抜けたルートに沿って通行人たちが声を上げる。 エリカ本人は知覚されず、エリカの疾走が巻き起こす風だけが突風として知覚された。
◇❖◇❖◇❖◇
エリカは北に向かって町中を疾走し、丘の上にやって来た。 北門の外にある小さい丘である。 大きな木が一本生えているあの丘だ。 ここなら誰にも邪魔されず気持ちを整理できる。 家に帰っても良かったが、広い場所が良かった。 エリカは実はアウトドア派、周囲に人影さえなければ屋外で過ごすのを好む。
「いっぱい走って汗かいちゃった......」
そう呟いて、エリカは大きな木の根元に腰掛けた。 おもむろに背中を丸め、小ぶりな両手をグーの形に握りしめて揃えて膝の上に置く。 腹痛に耐えるときのポーズである。
そうして体勢を整えた上で、エリカは武器屋での出来事を回想し始めた。 思い出すと辛いが、同じシーンを何度も繰り返し回想するうちに、その辛さにも慣れてくる。 小1時間ほど回想に苦しんで、彼女は武器屋での出来事に心の中でひとまずケリを付けた。
「ふぅ、ひどい体験だった。 あんな思いはもうコリゴリ。 もう絶対にあの武器屋には行かないことにしよう」
しかし、今日はエリカの心を苛む出来事がもう1つある。 弁当屋の怒声だ。 エリカは、弁当屋の怒鳴り声の半分が自分に向けられたと感じた。 弁当屋はエリカと新ファントムさんの区別がついていない。 ファントムさんが2人いるとすら知らないはずだ。
「早いとこ新ファントムさんに万引きをやめさせなきゃ。 放置しとくと私の心が死んじゃう」
その具体的な方法をエリカは考え始める。
「まずは後輩ファントムさんにハンター協会の存在を知らせることね。 後輩さんは協会のことを知らないだろうから。 問題はコミュニケーションだけど...... ベル? 書き置き? ほかに手段は?」
他に良い案もなく、エリカは書き置きで後輩ファントムにハンター協会の存在を教えると決めた。 後輩ご用達の弁当屋の店先にメッセージを残しておけばいいだろう。
「よし、善は急げ。 さっそく後輩用のメッセージを書きましょう」
筆記用具はナップサックの中にあるが、ここは野外でありスベスベの平面が手近に無い。 エリカはスベスベを求めて丘を降り始めた。




