第20話 エリカが夢見る理想の使用状況
オークに殺されて力不足を悟ったエリカは南門エリアを諦め、西門エリアで地道にラットリング退治を続けることにした。
エリカは1週間にわたり辛抱強くラットリングを倒し続けた。 前世では就職活動すらしなかった彼女だが、決して勤労意欲が無いわけではないのだ。
そうして100万ゴールドを貯めたエリカは、つい先ほど魔法書店で念願の《治癒》の魔法スクロールを購入した。 帰宅したばかりの彼女は今、息を荒げてリビングのテーブルの上にスクロールを開こうとしている。
「さあ、開くわよ100万円!」
いまエリカは「ゴールド」という通貨単位のことを「円」と言ったが、それは大した問題ではない。 実のところ、1ゴールドの価値は1円に極めて近い。
テーブルの上にスクロールをルルルっと広げてゆくと、スクロールの内容がエリカの目に明らかとなる。
「やっぱりスクロールは読むものではなく使うものだったのね」
スクロールには手の平の絵と使い方の説明が記載されていた。 説明によると、手の平の絵に自分の手を押し当てるだけで呪文を習得できる。 なんとも便利。 高価なのも無理はない。
「さて、使うわよ」
スクロールに描かれた手の平に、エリカは手を押し当てた。 頭の中に未知の情報が多数の断片として押し込まれる感覚があり、それらの情報が脳の中でうごめき徐々に1つの知識を形成し始める。 知識が完成したとき、エリカは《治癒》の呪文を使えるようになっていた。 一度も呪文を唱えていないが、彼女は自分が《治癒》を使えると知っていた。
使用後のスクロールからは手の平の絵が消え去り、説明書きだけが残る。 1回しか使えないのだろう。
「何度も使えるんじゃ、あんなに高いわけないよね」
◇❖◇❖◇❖◇
翌日、エリカは意気揚々と西門を通り抜け町の外へと出た。 むろんラットリング退治のため... のはずだが、エリカの視線はともすればラットリングよりも怪我人を求めてさまよう。《治癒》を使ってみたい。
だが、そう都合よく怪我人が転がっているはずもなく、エリカは不満を漏らす。
「怪我人って意外と少ないものねえ」
門から離れた野外ではそうそう他のパーティーと出くわさないし、出くわしたところで誰も怪我をしていないことが多い。 軽症のハンターは何人か見かけたが、あまりに軽い怪我に《治癒》を使うのも《治癒》を安売りするようで嫌だった。
エリカが夢見る理想の使用状況は次の通り:
①息も絶え絶えのハンターがいて、②その場にエリカしか《治癒》を使える者がおらず、あまつさえ③周囲で多くの人々がそのハンターを助けたいと強く願っている。
こんな状況で、満を持して《治癒》を使いたい。 できれば、初めて《治癒》を使うのがそんな状況であって欲しい。
しかし、そんなワガママが通用するほどこの世界は甘くない。 結局この日、エリカは《治癒》を使えずじまいだった。 怪我人ばかり探していたため、ラットリングも5匹しか狩れなかった。
◇❖◇❖◇
悪いことは重なるものである。 狩りを終えてハンター協会へと足を運んだエリカは、楽しからざる現実を突きつけられた。
受付カウンターの上に卓上ベルが置かれていたのだ。 手で押すとチンと鳴るあのベルである。 ベルの下には紙が敷かれており、そこにはこう書かれている:
『ご用のファントムさんは、このベルを鳴らしてください』
マロン君のしわざに違いない。 エリカがマロン君に挨拶したり合図したりするときにメガネをくいっと持ち上げたりせずベルを鳴らせということなのだ。
「ご用のファントムさん」という表現は表面的にはファントムさん全般への呼びかけだが、エリカ以外にはファントムさんがいないから、この書き置きはエリカ個人へのメッセージにほかならない。
「くっ、マロン君め。 よくも私の楽しみを奪ってくれたわね!」
思わず口から出た言葉でエリカは気付いた。 自分がマロン君のメガネをくいっと持ち上げるのを楽しんでいたことに。
「そっか、私はあれを楽しんでいたのね」
その楽しい行為をエリカは封印されてしまった。 安物とはいえ卓上ベルをわざわざ用意するからには、マロン君はメガネをくいっと持ち上げられるのを本気で嫌がっているに違いない。
「もう二度とメガネをくいっと持ち上げることはできないの?」
一抹の寂しさを覚えるエリカの気持ちも知らず、マロン君はカウンターの向こうで呑気に仕事をしている。
エリカはラットリング5匹ぶんの換金をセルフで済ませてトボトボと協会から出ていった。




