第17話 合図にはメガネがベストなの
帰宅したエリカは、ナップサックと『魔法の基礎』をテーブルの上に置くと、深々と息を吸い込み肺の隅々にまで空気を行き渡らせてからホーッと吐いた。 リラックスしていればこそ可能な、安らぎの深呼吸である。
「やっと家に着いたー。 あー疲れた」
やっと1人になれた。 明日の朝のぶんの食べ物もあるから、しばらく外に出なくていい。 外出中は常に強ばっているエリカの頬が緩む。 人に姿を見られない存在であってなお、彼女は人前では緊張するのだ。 しかし家の中なら、ありのままの自分でいられる。 誰にも気がねせず羽を伸ばせる。
エリカは足取りも軽く、シャワーを浴びるため浴室に向かった。 今日1日の活動で、服も体も血と泥でひどく汚れていた。
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シャワーを浴びて部屋着に着替えたエリカは、くつろいだ様子でリビングのソファに腰掛けてコーヒーを飲む。 テーブルの上にはコーヒーポットとクッキーが乗っている。 1人きりの優雅なティータイムである。
そうしてコーヒーを飲みながら、エリカは『魔法の基礎』を読み始めた。 2万ゴールドの高価な書物なのでページをめくる手付きは丁寧だし、クッキーの破片を本の上に落とさないように細心の注意を払っている。
『魔法の基礎』は値段のわりにページ数が少なく、エリカは一息に読み終えてしまった。 しかし得るところは大きかった。 エリカは本を閉じて「んーっ」と大きく伸びをしながら、本の内容を思い返す。
「あの金色の霧にはそういう意味があったのね。 そして、かけられた魔法に耐えるにはマナが重要で、魔法を使うには魔法適性が必要、か。 そう言えばブロッコたちも魔法適性とか言ってた。 適性ってどうやって調べるんだろ?」
ひとりで考えていても分からないので、エリカは明日にでもマロン君に尋ねることにした。
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翌朝。 エリカはハンター協会の一階フロアに来ていた。
「マロン君は... あそこか」
エリカはマロン君のところまで行くと、挨拶がわりに彼のメガネをくいっと上に持ち上げる。
「おわっ、メガネが。 もー、メガネばっかり狙わないでくださいよ」
「メガネ以外にどこで合図すればいいのかしら?」
「メガネじゃなくても何かあるはずです」
「いいえ、ありっこないわ。 合図にはメガネがベストなの」
ここまで会話が成立しているように見えるが、マロン君にエリカの声は聞こえていない。
「それにしても、朝早くから私のところに顔を出すのは珍しいですね、ファントムさん」
エリカは四つ折りにされた紙をポケットから取り出して、カウンターのテーブルの上に広げた。 紙にはエリカの質問が書いてある。 ところがマロン君は警戒もあらわにメガネのブリッジの部分を指で押さえるばかりで、エリカがテーブルの上に広げた紙に気付かない。
しかし、エリカはこの手の状況にもう慣れている。 彼女はポケットから1千ゴールド硬貨を取り出すと、テーブルの上に広げたメッセージの紙の上に放り投げた。
硬貨が紙の上に落ちてゴトンと音を立てると、期待どおりマロン君がエリカの紙に気付いた。
「ん? こんな紙さっきまで...」
そう言いかけてマロン君は理解した。
「ファントムさんか」
マロン君はメガネから手を離してエリカの紙を取り上げる。
「なになに、『魔法適性の有無はどうやって調べるの?』」
「そうそう」と頷きながらもエリカはマロン君がメガネから手を離したのを見逃さず、キラリと眼を光らせる。
「魔法適性は魔法学院で検査できます。 でも検査料で50万ゴールドも取られるから、まず魔力の有無を調べることをお勧めします。 魔力の有無なら、ここハンター協会で調べられます。 魔力がゼロなら魔法適性もゼロです」
「じゃあここで調べようかな」
「検査室は2階です」
エリカはお礼代わりにマロン君のメガネをくいっと上に持ち上げ、その場を後にした。
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「なんだ、ここもおカネを取るんじゃない」
魔力の検査は有料だった。 ゲームセンターに置かれているゲーム機のようにコイン投入口があり、機体の上面に手の平のマークが描かれている。 このマークの上に手を乗せるのだろう。 検査機は3つあった。 魔力・筋力・反応速度の3つである。
エリカは魔力の検査機に1千ゴールド硬貨を投入し、手の平のマークに自分の手を重ね合わせた。 静かな作動音がして手の平マークが薄く輝き始める。 手の平マークの光が収まると、検査機からレシートみたいなのがプリントアウトされてきた。
レシートには太字で「32」と書かれているのみだった。 この数字がエリカの魔力を表すのだろう。 ついでに調べた筋力は26で反応速度は27だった。
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1階フロアに戻りながら、エリカは《治癒》のスクロールの資金を貯めるための皮算用をする。
「ラットリング1匹で3千ゴールドだから... 100万ゴールドを溜めるには100万÷3千で333匹? ウソ、そんなに稼がなきゃならないの?」
考えてみれば、ラットリング1匹で3千ゴールドという報奨金は安過ぎる。 不意打ち率が100%で剣の切れ味も良いエリカであればこそラットリング退治も良い稼ぎになっているが、普通のハンターはラットリング退治も命がけである。 それで1匹3千ゴールドでは割に合わないのでは?
それにしても、とエリカは額に手の甲を当てて悩む。
「どうしよう。 333匹も狩るのはスゴクめんどくさい」
そうして悩むうちに、前にどこかで聞いた話を思い出した。 高ランクのハンターは西門以外の門から狩りに出て、ラットリングではないモンスターを狩るという...
「そういえば西門からしか野外に出たことないや。 今日は南門から出てみよう」
エリカはハンター協会の建物を出て、南に向かって町を歩き始めた。




