最初から決まっていた
雨は、理由もなく降り続ける。
止んだと思った瞬間に、また静かに落ちてくる。
人は、取り返しのつかないことをしても生きている。
生きてしまう。
その事実だけが、時間を前へ押し流す。
ここに描かれるのは、正しさの物語ではない。
許しの物語でもない。
ただ、失われたもののあとで、なお呼吸を続けてしまった人間たちの記録だ。
名前を捨て、番号で呼ばれ、
選択した刃と、選ばなかった未来を抱えたまま、
彼らは雨の中に立っている。
この物語が、何に見えるか。
それは、読むあなたの中にだけ残る。
第1話:「最初から決まっていた」
Ⅰ. 雨の夜
世界が、息を潜めていた。
ざあ……と、雨だけが静寂を切り裂くように降り続けている。
人は誰しも間違いを犯す。
次のチャンスを与える世界は理解できる。
だが、人を殺すことを“間違い”では済まされない。
加害者を殺したところで、
少女が生き返るわけではない。
そんなことは本人だって望んでいない
──虚しいだけだ。
そう分かっていても……。
相手が”生きている事自体”が許せない。
⸻それが俺の結論だった。
だから今夜、終わりを届けにきた。
この家に住む男──少女の未来を奪った加害者に。
深夜の住宅街。
その奥の、ひときわ暗い家の前に俺は立っていた。
湿った空気が肺を締め付け、吐息が震える。
鼓動はあの日の痛みと重なり、雨とともに胸の奥を圧し潰す。
アスファルトを叩く粒音、湿った土とコンクリートの匂い。
頬に貼り付く髪、首筋を滑り落ちる滴。
衣服は肌に吸い付き、冷気が背骨を這う。
右手に握りしめているのは──
Fairbairn–Sykes Fighting Knife。
刃渡り17cm、重さ0.25kg。両刃で軽量、指先に吸い付く革の柄は掌に完璧に沿う。
これは第二次大戦期のイギリスSASが極秘任務用に開発した戦闘ナイフで、暗闇や混戦でも正確に刺すことができる。
掌に吸い付く革の感触と、刃先の微かな反発。
握るたび、小さな振動が腕から背筋へ走る。
鋼の冷たさは、自分の心臓を握っているようだった。
⸻自分の手で殺す。
それは、あの朝から決まっていた。
あの日以来、
俺の中で雨は止んでいない
──“記憶の雨”として降り続けている。
そして、
一粒の雨が頬を打った瞬間、
記憶の蓋が音もなく開いた。
⸻
Ⅱ. あの日
早朝。少女は交通事故で奪われた。
報道は「過労運転」と言った。
だが、真実は違う。
少女の笑顔を守れなかった瞬間から、
俺の呼吸は止まった。
俺は遺族支援を装う宗教法人──
裏では加害者に制裁を下す組織に身を置いた。
その瞬間から**“308”として生きることを決めた。**
そこで出会ったのが、バディである“301”。
301を見た瞬間、胸に痛むような違和感が走った。
仕草、笑い方、視線の温度
──どこか少女を思い出させる。
似ているはずがない。
そんな偶然、あるはずがない。
それでも、雨の中で振り返る横顔を見るたび、
喉が詰まった。
俺は誰を見ている?
301か?
あの日の彼女か?
作戦を重ねるたび、301は時折、遠くを見つめるような沈黙を持っていた。
その理由も意味も、俺には知らされていない。
⸻
Ⅲ. 記録
ロッカーを開けた時の金属音。
奥に置かれたSDカードの冷たさ。
誰が置いたのか、なぜそこにあるのか、
⸻説明はなかった。
中の映像には、少女の笑顔と事故の瞬間。
胸が裂けるような痛みを抱えながら、
俺は再生ボタンを押す。
その時、ロッカーの影に301が立っていた。
カードに向けられた一瞬の視線。
すぐに目を逸らし、「行こう」とだけ告げた。
あの日から感じていた違和感が、ようやく
形になり始めていた。
⸻
Ⅳ. 決行
加害者の家の前。
刃を構え、雨にかすむ視界で相手を見据える。
その瞬間──
視界の端に301が現れた。
濡れた髪、濡れた衣服。
その表情が、また少女の面影を連れてくる。
似ている理由はわからない。
似せているのかどうかもわからない。
ただ、胸の奥がざわつく理由だけは、
否定できなかった。
⸻
Ⅴ. 裏切り
次の瞬間
──肩に激痛。
突き立てられていたのは
KA-BAR Knife(USMCモデル、片刃)。
刃渡り約18センチ、重さ300グラム。
黒く染められた厚いクリップポイントブレード。
積層レザーの柄は濡れても滑らず、使い込むほど艶を増す。
第二次大戦期、アメリカ海兵隊が制式採用した実戦用ナイフ。
兵士たちは戦場のすべてをこの一本に委ねた。
その刃が、今は俺の肩に沈んでいる。
振り返ると、301がいた。
雨に濡れ、震える瞳で俺を見ていた。
理由も、説明もなかった。
ただ──
「……悪いわね、308。
最初から、決まっていたのよ。」
雨音だけが、答えの代わりに落ちていた。
何が?
誰が?
何を?
⸻俺には、何ひとつ知らされていなかった。
Ⅵ. 滴の果て
右肩を貫かれ、熱と痛みが全身に走る。
血と雨に濡れた衣服が肌に貼り付き、動きを奪う中、
308は震える手でスマホを掴む。
指先は血に染まり、液晶は曇り、光が滲む。
画面に触れるたび、血の痕が広がる。
その動作は、痛みと絶望と記憶を刻む儀式のようだった。
初めて彼女の家を訪れたのは、通夜の日。
初七日の時、盗撮に近い形でスマホを起動し、彼女の笑顔を撮った。
その笑顔が、今、血の指で滲んでいく。
雨と血と光。
その三つだけが、まだ俺を世界に繋ぎ止めていた。
胸の奥で、小さく、途切れ途切れに「ごめん」と呟いた。
少女に。
過去に。
自分自身に。
街灯の下で、301もまた苦悩していた。
命令と感情、忠誠と罪悪感、そのすべてが揺れていた。
二人の心理は交錯したまま、
雨は途切れることなく降り続ける。
視界は闇に溶け、過去と現在が混じり合う。
それは、永遠に刻まれる瞬間だった。
──第2話へ続く。
この度は読んで頂きありがとうございます。
作中で308が血塗れの指で、スマホの写真ホルダーから片想いの女の子の写真を見る描写は、
映画”ジョン・ウィック”の冒頭で愛する妻の動画を見るシーンのオマージュになります。
全7話で完結予定です。
この物語は、「復讐」を描くものではありません。
止まった時間と共に生き続ける人間の記録です。
308の刃は心臓そのものであり、雨のように止まらない時間の象徴です。
301の葛藤は、命令と感情のせめぎ合いとして章を追うごとに深まり、結末への伏線となります。
失われたものは戻りません。
だが、その存在は、確かに二人の中で今も息づいています。
次回の更新は、明日22:00の予定です。




