第九話
「はっやい!」
声を出さずにいられない。そうしていないと、力が振り絞れない。
悪物が潜んでいる森の中、二人の想起士に追われながら、ナキはリリーに乗って逃げていた。
「ごりごりの鎧が羨ましいよな!!」
やけくそで、リリーに問いかける。追ってくる想起士の天馬は筋骨隆々、加えて分厚い鎧を纏っている。
だというのにリリーの速度よりも速いのは、怪我の具合。それと、経験の差というやつなのだろうか。逃げ出して数十秒。ここは森の中で、障害物が至る所にある筈なのに、距離は開けるどころか、どんどんと短くなっていく。
長髪の想起士が、剣のようなものを突き出した。それはみるみると、ナキの脳天を貫かんばかりに伸びていく。透壁を創り、防御する。
「あっ...ぶなぃ!」
透壁に長髪の剣ーー茎が衝突する。前に進んでいるというのに、茎の勢いは止まらず透壁に当たり続けていた。次第にひびが割れ出し、とうとう透壁を貫いた。仰け反って避けると、茎は潔く長髪の元に戻る。
避けれはしたが、茎の重圧が、更にリリーの速度を落としてしまった。距離は縮まり、このままでは追いつかれてしまう。
「...はは」
仮面の下でほくそ笑みながら、ナキは地上に降り立った。二匹と二人。リリーとナキで全員倒せば、この窮地は逃れられるということだ。
「諦めたか」
「こいつ、俺らの外套を..」
「仮面も、ロジバルトのものだろう」
二人の想起士はナキを観察しながら、緊張感を感じさせない会話を繰り返す。ナキの力など造作も無い。いつでもねじ伏せられる、というように。
「見逃してくれませんかね!」
「汚い叫び声だ」
がたいの良い想起士が、つまらなさそうに言った。言っていることが理解出来ないのか、怒ったような表情で、ナキを睨みつけている。
「...?」
「死にたいのか」
長髪が居合の構えをとった瞬間、殺気を感じる。臨戦態勢で、じりじりと体を準備する。
俺は、殺されなんかしないぞ。
「少し待て。この者、確か...ナキか?」
「ナア」
「ナキだ」
「ナイ」
「違う」
「ナウ」
「違う」
「ナエ」
「..違う」
「ナオ」
「...」
「ナカ」
「...少し黙れ」
やたらと拍子の抜ける会話を続けながらも、長髪の方は居合の構えを崩していない。あともう一声で分かるというのに、惜しいことをしたものだ。なんて気持ちは長髪の眼光に掻き消される。その眼はナキを捉え、今にも襲ってくるだろう。だというのに、律儀に待っている。なんだかへんてこな二人組だ。
「この者は、ナキだ」
「誰だ」
「悪魔になった叛逆者だ」
「...」
「こんな所にいたとは..」
長髪の眼光は一層するどくなり、大男は驚いているようだ。今の会話を聞く限り、ナキの所在はバレている。やはり、ここから離れた方が良い。人間側の管轄にいる方が危ないのだ。
「捉えるべきか?」
「そうするべきだ。王への最大の感謝になる」
大男が歓喜に震えた声音で言うと、長髪はすぐに構えた腕を横に薙いだ。薙いだ瞬間、先程のとは数倍の太さの茎が、ナキを襲う。ただ、前とは遅い。これならぎりぎり防げるか。
「リリー逃げるぞ!」
リリーに乗り直し、左腕に透壁を創造する。四角く、前よりも小さい透壁を、長髪の薙いだ茎にぶつけるように防いだ。でないとリリーから落ちてしまう。
茎は防ぎ、破られることもなかった。ただ、力で負けそうだ。このままだと、あと数秒もせずに透壁が壊れてしまう。
右脚でリリーの胴を軽く叩いた。傷だらけの身体に申し訳ないが、詮方ない。同時に身体を仰け反らせ、長髪の茎を上に受け流す。
「しぶとい悪魔め..!」
「何をやっているんだあいつは」
いなした!想起士の攻撃を受け切った!喜びは束の間、至近距離に声が聞こえた。振り返ると、大男の想起士が、ナキを捉えていた。
「俺は運がいい」
大男の想起士は、剣を振りかぶっていた。剣の軌跡は、迷わずナキの首筋を描いている。
「かはっ..!」
峰打ち。何が起こるというわけでもない、当然の帰結。ナキはそのまま、意識を失った。
大男の想起士は、意識を失ったナキを、恍惚の表情で見下ろしていた。
「王よ..ーーーっ!?」
音がしなかった。気配もしなかった。大男はそれでも寸前で、その悪物を目にする。どでかい猪が、信じられない速度で走っている。突進の直線上には、大男がいた。
不覚。いつも通りの大男ならば、こんな刺客は取るに足らない筈なのに。ナキという異物を回収出来ることに快感を感じてしまった。その隙を、大猪は見逃さなかった。
右腕を残して、大男は大猪と共に、姿を消した。
「私が、見つけた...」
気絶しているナキを見下げるのは、長髪の想起士。大男の天馬にナキを乗せる。自分の天馬に乗って、長髪は飛んだ。
◯
「ロジバルトっていう国は、本当に見境のない民族だ。ロジバルトではないというだけで、そいつらにとっては人間ではない」
父の語りから、途方もない呆れが放たれている。何故そんなことを聞くんだ。もう良いだろう。そんな空気を感じた。
「ロジバルトについての本って、図書館にいっぱいあるよな。どこにあったっけ」
そんなことを言えば、父は顔を歪ませる。心底から嫌という嫌を叩きつけられるが、それでも俺は怯まない。
「たく、何に惹かれたんだか」
父は髪をくしゃくしゃにして、溜息を吐いた。大雑把な父ではあるが、俺がこうして頼んだら、なんやかんやと叶えてくれる。俺は父に見えないように、拳を握った。
◯
「ーーぁ」
突然、背中に痛みが走る。情け無い声が耳に入り、目が覚める。瞼がゆっくりと開き、仮面が取れているのを感じる。夜風の空気を一顔に浴びて、意識が少し回復する。
靄のような、夢を見ているかのような感覚でナキは、目の前の惨事を見つめていた。
「王、王よ...」
「最期に出て来るのがそれ?」
恍惚とした声音で呟いているのは、長髪の想起士。涎を垂らし、とろけた目付きは、先程の男とは到底思えない。殺されかけているというのに、天寿を真っ当したかのような表情は、少女の心を歪ませる。
「おっぉぉぉ...」
長髪の腹部には、銀の物体が貫かれている。腹部が破けるように血がどばどばと流れ出ている。痛さも感じない程なのか、それともおかしくなってしまったのか。長髪は嗚咽のような声と共に、目の色を失っていく。
「やっぱり、狂ってる。こんな奴ら」
舌打ちが、水面に落ちる水滴のように響いた。少女の不機嫌な、綺麗な声音がナキの耳を洗練にする。それとは逆に、脳はその意味を理解出来なかった。
靄のような視界に、人の姿が入って来る。
「死ね」
必死に靄をどけようと、疲労した脳に無意識を送る。
そこには、少女がいた。少女は冷静沈着に、両腕を上げる。握られた拳に、見惚れるほど美しい銀の剣が、ナキの目の前に創造された。
その先に、見惚れる程美しい、銀の髪がたなびいていた。それは夜闇にとても映えていて、神様がやってきたのだとさえ思った。
いや。
違うな。
銀髪の下の顔には、忌々しげにナキを見る、悲痛な顔が宿っていた。
見たことのない、銀の髪。
ナキは、己の罪を、初めて理解した。
少女の両腕に力が入り、銀の剣は、ナキの脳天を正確に狙う。迫る剣筋が、ゆっくりと見える。
あともう少しで、死ぬ。
ーーー。
「まじか」
銀の剣に貫かれる筈だった脳は、顔の上に覆われた透壁が阻んだ。透壁が剣に突かれた衝撃で、ナキの思考は覚醒する。
疲れた右腕をじりじりと動かして、銀の剣を握る。右手の血が滴るが、痛覚などとうに麻痺している。
「死ね、ない」
「...」
「死ね、るか」
たくさんの疑念と後悔。今、ナキの仮面を覆っている透壁は、それらが縦横無尽に駆け巡っていた。
錯綜している。絡まった糸が、纏まることのない無限のような疑念を錯綜させている。後悔を孕ませている。その隙間には、楽しかった想い出が走馬灯みたいに甦る。悩みがどうでも良くなるような、ユアンの寝様。いつもやかましくナキに付き合ってくれたアイザ。実力差は明確なのに、決してナキを侮らなかったジキラ。別の居場所をつくってくれたリリー。兵舎の皆。
それらを俯瞰して、覆う。このままでは終われない。終わってはいけない。漠然とした使命感。漠然とした決意の鎧を覆う。
「まだ...知りたいことが...知るべきことが」
「...お前は」
突かれた剣の重みが軽くなる。それがどういう意味を為すのかを考えず、ゆっくりと、本当にゆっくりと立ち上がる。手足の感覚はかろうじて残っているが、創造は出来そうもない。連発し過ぎて、少し疲れている。
銀髪の少女が目の前にいる。どうにかしなければ次に進めなくなる。分かっているのに、体がふらつく。
焦点の合わない眼で睨み付けながら、精一杯土を踏みつけたどたどしく銀髪の少女に迫る。拳を掲げ、振り上げる。
パシ、という軽い音がする。銀髪の掌に、ナキの拳は収まった。拳を握られ、ぐっと体が前に引かれる。
前髪を掴まれ、されるがままに静止した。目の前に少女の顔が映り込む。少女はナキをたっぷりと凝視する。
至近距離に少女の顔が迫った。息を呑み、喉仏が動いた頃。
「?!」
人形劇の人形のようにナキは九十度回転し、地面に当たらず、宙に浮いたような格好になった。数秒何が起きたか分からなかったが、少女に抱きかかえられていることに行き着く。
「???」
「不思議そうだな」
どこか弾んだ声だ。ばたばたと暴れてみるも、重心は断固として動かない。少女の方が背はでかいが、ナキは男だ。重い筈なのに、それ程鍛えているのか。
少女は上機嫌に言った。
「悪いようにはしないから」
そんなわけが無いだろう。心の中で、焦りと困惑が繰り返す。ばたばたと力無く暴れ続けても、少女の力には叶わない。




