第八話
協力は得られそうにない。一年の月日が過ぎても、彼等はどこ吹く風である。まるで関係無いと思っているのだろう。
ああ、思考が微睡んでいる。考え過ぎて、分からなくなっている。怒りや憎しみや、罪悪や焦燥だ。嫌な気持ちだけが俺という媒体に編まれていく。
ああ。どうすれば。どうすれば良かったのだ。
どうせ。
どうせ無理ならば、他に行くまでだ。
◯
ここは、何処だ。
目を覚ました時初めに思ったことは、そんな疑問だった。
視界の全てには、緑一色の森の中。上からの光は、とてつもなく大きな木々に閉ざされている。背の高い草木が、ナキの身体を包んでいた。
「リリーは」
大自然の景色を見ている内に、何があったのか、どうしてここにいるのか、段々と思い出して来た。その過程で、ナキはリリーに助けて貰ったのだ。
白い毛並みに、気怠げな瞳。その想像を頼りに周りを見渡す。
少し遠くに、白い馬が一頭倒れていた。
「リリー!」
慌てて近付くと、草木に横たわり、胸で息をしているリリーの姿があった。咄嗟に記憶を呼び起こす。あの時投槍器で貫かれた胴の傷が、深くなっている。
赤い血液が草木を浸している。リリーの状態は、尋常ではない。
すぐに応急処置を準備する。創造で包帯を造ろうと、頭の中で想像をするーー。
ガサ。ガサ。ガサ。
背後に音がした。その音は急速に近づいていく。
ガサガサガサガサガサ
数は分からないが、複数匹。おそらく三四匹だろう。
「ぐぁっ...」
ガッチに突かれた槍の傷が、今になって思い出された。血が多分に垂れているが、リリーが先だ。
創造した包帯をリリーの胴に巻き終わると、リリーを背にしてナキは振り返る。
背後から迫る敵の数は、三匹。迎え撃つ為、創造で透剣を創る。
刺されたのが左肩で良かった。これならば戦える。
敵の姿形は、猿そのもの。腕が発達しているのと、少し大きいだけで、この程度ならナキ一人で対処出来る。
ただ不気味なのは、猿のお腹の辺りから、一本の縄のようなものが、他の猿へと繋がっているのだ。赤黒い縄が、三匹の猿を繋いでいる。
リリーを出来るだけ気取られないよう、前へ出る。
「速攻で殺す」
ナキから見て左端の猿を斬ろうとすると、突然、猿の挙動が変わり、右に横っ飛びした。
気付けば、左端にいた猿は真ん中の猿と同じ位置に居る。
「伸縮自在かよ!」
すかさず駆けて、二体の猿目掛けて剣を振る。当然猿は避ける。が、ナキの狙いは違う。赤黒い縄だ。
ところが、ナキの想像とは裏腹に、ぐにゃり、という感触が、ナキの内に響いた。猿と猿を繋ぐ赤黒い縄は、創造した剣でも斬れない。生々しい弾力が、縄を斬りにくくしている。
「キィィ!」
その隙というのか、気付けば三匹の猿に囲まれていた。掛け声のような声がすると、三方から、ナキに向かって爪を向ける。
向けられた爪に向かって、雑に創造した透壁で防御する。ガガガガガガガと嫌な音を聴きながら、剣で一方の猿を斬る。
「ウギ!」
攻撃が止むと、真ん中で二匹を繋いでいる猿の右腕が切断されていた。
三匹の猿は口を大きく開けながら何か叫んでいる。逃げてくれる、なんてのは、ナキの頭から消え去った。
三匹の猿は、尚もナキに向かってくる。リリーの位置を確認しながら、今度は右端の猿を迎え撃つ。囲まれるなんてのは、瞬間で殺してしまえば通じない。
剣を構えながら、ナキは想像する。剣から突き出る、一筋の槍を想像する。
準備が出来れば、あとは突くだけだ。目標に向かって、剣をーー。
「ーーな!?」
真ん中の猿が左の赤黒い縄を掴み、くるりと一回転し始めた。ナキの正面になる前に、猿はそれを勢いよく投げる。
すると、まるで天馬のような速度で、左端の猿が飛んできたのだ。
まんまと面食らってしまったナキは、想像が壊れてしまう。トラル教官にこっぴどく叱られたというのに、またやってしまった。
左端の猿はそのままナキの顔面を殴る。ナキはもろにそれを喰らい、背後の大木まで吹っ飛んだ。
「キィィィ!」
「ギャアアア!」
ただでさえ発達している腕に、あの勢いでの殴打。そして、槍に貫かれた左肩。痛いという感情よりも、危機感がナキを襲う。
気絶してはならない。その想いを胸に想像して、意識を堪えた。
猿達の歓声が、意識が朦朧とする間にも聞こえてくる。
その歓声が、何かと重なった。
うるさい声だ。もう何も考えていない、というような声。全てが終わり、仲間と喜びに打ちひしがれている。まるでもう死んでいるかのように、こちらには毛程の警戒もしていない。
ーー「ロジバルト万歳!」
「「ロジバルト万歳!!」」
「「「ロジバルト万歳!!!」」
「「「「ロジバルト万歳!!!!」」」」
「「「「「ロジバルト、万歳!!!!!」」」」」
そうだ。これは、あの時に似ている。側神レイラが、空からきた化け物を地平の彼方へと葬ってしまった時に。
ーー「この悪魔がぁ!」
同時に、思い出していた。同期に言われた言葉。同じ職業に憧れを抱き、兵舎で競い合ってきた友達に言われた言葉だ。
「...ふ」
悪魔になってしまったのだろうか。ひょっとしたらこの疑問が、違和感が可笑しいだけなのか。ナキの気が違ってしまっただけで、本当は何一つ問題は無いのかもしれない。
ガッチのあの目。眼鏡の奥で見えた、怯えた目が脳裏に浮かび上がる。
ガッチの目には、もうナキは悪魔になってしまったのだろうか。であれば、ロジバルトにはもう帰れない。即刻殺されるか、悪物園に捕らえられるだけだ。
何もない。これまで関わってきた人達、歩んできた人生が全て消炭になる感覚。
三匹の猿が項垂れているナキを取り囲む。にたにたと笑う様子にも、今は何も感じられない。
一匹の猿が、爪をナキに振り上げた。
「ーーアガ」
猛獣のような嘶きが森中に響く。その必死の嘶きに、ナキは顔を上げる。
リリーが、猿を蹴り上げていた。翼を使って空に飛び、空中から猿に突進する。いきなりの強襲に、猿達は反撃出来ずに混乱している。
一匹、二匹と、リリーは凶暴さを隠そうともせず、簡単に息の根を止めていく。最後の一匹を踏み倒すと、ごき、と言う音と共に、猿の絶叫が響いた。
絶叫は長くは続かず、いつしか声は消えていき、そのまま体も動かなくなっていた。
三匹の猿は死に絶え、森には一時の静寂が流れる。静寂に身を任せながら、ナキは俯いた。左肩の血だたりも、血塗れの顔も、打ち付けられた背中も、全てどうでも良い。
こんな綺麗な自然の中で死ねるのなら本望だ。
太腿に、重い物が乗る感触がする。
うつらうつらした意識でそれを撫でる。ほぼ無意識だった。生き物の温かみが、芯まで呻く。
「....」
そのまま撫でていると、白い生き物がつまらなさそうに、何かを咥えているのが見えた。
丸くて、凹凸がある。その凹凸は怒ったような顔を模していて、裏側に紐があるようだ。
ーー「これ、あげる」
獅神ライギルドの仮面だ。
ーー「え?」
「ナキに合ってるよ?」
「いつも怒ってるってこと?」
「ぐつぐつ何か疑ってるみたいな!」
仮面を見ると、大怪我を携えた身体を叱咤する。そうと決まったら、立て。
「リリー。ありがとう」
相棒に感謝をして、仮面をくれた友達にも、感謝する。
そして、前言撤回。
「やっぱりあいつ、教師に向いてる」
◯
「お互い満身創痍だな」
自分の右肩にも応急処置を終えたナキは、立ち上がりざまそんなことをぼやいた。
顔はものの見事に腫れているが、視界が気になるのでそのままにしてある。
上を見上げる。どこまでも続いているかのように見える大木が、至る所に生っている。宿り木が、天からの陽を押し留めていた。おかげで森の中はとても暗い。
「取り敢えず、水だ」
森の中はとても危険だ。想起士をもってさえ、悪物に殺されることだってある。
ここがどこかは分からないが、早くこの森から出て、とにかく水や食料を手に入れなければいけない。
とにかく、この森を抜けなければ。
リリーの背に乗り、大木の宿木を掻い潜って抜けると、森の外は、一面草原だ。丘が所々に起伏していて、湖も見つかった。王国が、ここからでも見えている。ロジバルトは、この大陸の三分のニを占めている。そんなに遠くへは行っていないということか。
「やばい、戻ろう!」
見つけて、直ぐにリリーを叱咤する。森の中に戻ると、空腹や喉の渇き、怪我の痛みに歯軋りする。
森の東方向に、どでかい悪物がいた。こんな傷だらけの身体であんな奴に見つかってしまったら、もうナキは死んでしまう。
悪物達がいる以上、夜であっても、外を飛ぶ訳には行かない。見つかってしまったら追われることになる。今のリリーの怪我が無くても、想起士の天馬はリリーよりも速いだろう。ナキだって見習いで、未だ生徒だ。生徒だった。
かといって、ここで蹲っていても同じだ。やがて見つかり、先の猿のように襲われる。
「いくら低くたっても」
リリーを我武者羅に撫でて、こしに括り付けた仮面を取った。獅神ライギルドは、今にも飛び出しそうな程の迫力で、仮面に張り付いている。可能性が低くたっても、諦めるな。死に物狂いで生き足掻け。
仮面を付けて、勇気を付ける。
「当たりか」
人間の喋り声が、ナキの耳をつんざいた。振り返ると、二匹の天馬と、天馬に乗った二人の外套を着た男。
想起士の二人は、こちらを見ていた。
「やはりいただろう」
「捕えるぞ」
「ははは!リリー!逃げよう!」
「グワァ」
◯
「モラリャン、ラングマン、バージナル、トジャ、コーラル、シージャン、イヤッケ、ゴードンの八名は、あの戦場で死亡した」
亀裂の入った兵舎の広場には、生徒達が整列していた。悪魔達に勝ったというのに、その表情はどこか暗澹としている。
トラル教官が慎重に、ニャニャッチとカドレア、そしてガッチからの報告を行う。
「そして、忌まわしいことだが...この兵舎の生徒であったナキが、悪魔となったことが分かった」
その報告に、ジキラは魂の抜けたような感覚で聞いていた。
「皆、すまん..!」
沸々と湧き上がる怒りは抑えられないのだろう。ガッチが肩を揺らしながら、震える声で叫ぶ。
「殺しそびれた...!」
目を瞑りながら、ガッチは言った。自分の不甲斐なさと、犯してはならない失敗をしてしまったというように。
「お前のせいではない」
トラル教官がガッチの肩に手を置くと、真剣な眼差しで生徒達を見渡す。
「悪魔となり、自死しない国民など前代未聞だ。あいつはもうナキではない。悪魔だ」
「ずっと、騙してたのか」
「くっそが...」
生徒達が口々に、ナキの喪失を嘆きだす。同時に、憎悪を表情に、ジキラ達は一丸になった。
ナキは、悪魔だ。
「なるほどね」
ヨハネスが。
「あの野郎...!」
カドレアが。
「なんでなんですか」
ニャニャッチが。
「次に会えば、必ず...!」
ガッチが。
「殺さなきゃ」
ロックが。
「ナキぃ!!」
ジキラが。
殺すべき存在だったのだと、意識を入れ替えた。
◯
「シェラーラやガントス辺りは酷いもんって噂だ」
「王都付近はなぁ...」
突如天空に出現した化け物の落下に、皆口々に不安を議論していた。ああして何か言っていなければ、落ち着かないのだ。
「アイザ、大丈夫か?」
アイザの父親が、眉を下げながら心配してくれる。母親が、隣でアイザを心無しげに見ている。
アイザと両親は、化け物が落ちた時、ナキに会うために兵舎へ行っていた。兵舎は王都からは遠いところにあるから、被害は無いと言っても等しいくらいだ。けれど、アイザの家はどうなっているか分からない。でもきっと、無事では済んでいないだろう。
「うん。大丈夫だよ」
アイザ自身、被害は無い。けれど、ナンシアの友達は、どうなっているのだろう。無事なのだろうか。無事でなくてはならない。無事であって欲しい。
ラーちゃん、ミッちゃん。会いたいよ。
両親は心配してくれている理由はそれだろう。アイザの顔色は、見てわかるくらいには悪いのだろうか。
けれど、両親だって生きているし、手袋も持っている。ラーちゃんもミッちゃんも、生きているって信じている。アイザは両親が思っているより、大丈夫だ。
なのに。
何故だか暗い気持ちで、窓を見た。アイザは旅館の一室で、開いた窓の縁に顎を乗せながら、平和な風景を眺めてみる。
ナキは、大丈夫?問い掛けながら、アイザはじっと外を観察していた。
◯
「やられたな」
右肩に白の鷲を携えて、王は唇を引き結んだ。玉座に座る青年は、ユアンと年は変わらない。先王が倒れ、じっくりと育てられた王は、跪くユアン達を見下ろしている。
王の隣には、側神レイラが佇んでいた。
「奴等空にいたとは」
フィルナンシア、ドルミナ、ゼルキシアを納める領主達とその臣下達が、玉座の間へ集まっていた。壮観である。
彼等全てが、王に忠誠心を誓っている。何の疑念もなく。
「王が無事で何よりでした」
ドルミナ当主。ドルミナ・ロミジオンは、顔を下げたままに発言する。ドルミナは、空の化け物が直撃した爆心地である。三州の中で、ドルミナが最も痛手を負った。
「生きていてくれて安心したぞ」
「有り難き御言葉...!」
王は微笑し、臣下達を見回している。やがて一つ息を吐くと、口を開く。
ユアンはといえば、不貞の養子がやらかしたことについて、詰問されることを酷く恐れている。既にフィルナンシア当主、アイオネア・グラーゼはこのことを聞き及んでいるし、怒り心頭である。震える手をひた隠し、滲み出る冷や汗を必死に抑えた。
「ロジバルトを縮小する」
王は、厳かに宣言する。ユアンは驚く心を抑えて、周囲に紛れていた。
「全ての民を、この城に集めよ。期限は一月だ」
「「「はっ!!!」」」
完璧に揃った返事に、王は口端を孤に歪める。白の鷲を撫でながら、優雅に玉座に座っていた。
化け物が落ちたのはドルミナだ。落ちた化け物は、ユアンの記憶では、直様に逃げようとしたように思われる。翼を持った鯨のような化け物は、王都を背に向け、逃げるように飛び出した。
それを止めたのが、側神レイラだ。化け物を串刺しにして、空の彼方へと追いやった。
城への被害は全く無い。何故ならそれさえも、側神レイラが防いだからだ。レイラは、袖のような腕を伸縮自在に操ることが出来る。傘のように飛んで来る瓦礫から王都を守っていた。お陰で、王都は綺麗なままである。
「解散」
ユアンはそんなことを考えているから、王の言葉が耳に入っていなかった。問いただされるであろうことを忘れたくて、集中が出来ていない。
解散という言葉が遅れて聞こえた時には、ほとほと吃驚してしまう。
王を盗み見る。前と変わらず、凛々しい御姿だ。整った目鼻立ちに、口元の髭が威厳を携えている。
ユアンは何が何だかわからないままに、取り敢えずは安堵する。
そして、悪魔となってしまった養子を想う。
九年前に首都ナンシアに化け物が現れた時のことだ。化け物はそもそも二体いて、一体の化け物が、駆けつける醜神バマラッタ、獅神ライギルドを引きつけた。その隙に、どこからともなくもう一匹の化け物がナンシアへ現れたのだ。想起士も手も足も出ず、化け物が闊歩したナンシア迄の道程には死者の残骸が轍のようにのたばっていたと聞く。
それでも、ナンシアは化け物が現れる時には約二百名の想起士がいたのだ。誰もが倒せると思っていたが、化け物は百九十九名の想起士と、ナンシアにいた三千人の住人の内、約二千人を殺していった。
最後の一人となったユアンが、魂を賭けて倒した化け物。その場の生き残りであるただ一人の男の子が、ナキだった。
ユアンは思い出す。ナキの幼少期から、現在までの思い出を。
ユアンは、安堵していた。




