第七話
凄まじい爆風。王都付近に衝突した化け物は、街一体を一掃した。
紙っぺらの様に捲れる建物群と、それと同時に生まれる人々の悲鳴が、ナキの脳裏に浮かび上がる。
アイザと、ユアンの顔も。
「収まった...」
ガッチが声を出すと、すぐに現実に引き戻される。未だ吹き荒ぶ風が、ひりひりとナキの肌に絡み付いた。落とされた場所は恐らく、王都付近。アイザは直前まで親とこちらに来ていたから、無事だと思いたい。ユアンがいるフィルナンシアの首都ナンシアは、王都からは少し離れているから、被害は.....。
下唇を噛む。今すぐにでも行くべきだ。無事を確認するべきだ。
「なんなんですかあいつ...」
ナキが決心したと同時に、ニャニャッチの呆けた声が耳に響く。爆音の衝撃で、耳の調子が悪くなっているのか。
ニャニャッチの視線の先には、先程までには絶対にいなかった異物が、紛れ込んでいた。
ナキは湧き出る唾を必死に飲み込んで、平成を保とうと必死になった。その異物の出立は、幼い頃に見た化け物と同質のように思えたからだ。
異物は、紅の鎧に身を包んでいる。大人三人分くらいの背丈は、空中にいる想起士を長太刀で叩き潰す。飛距離の長い刀身は、その先にいた想起士を一刀両断した。一気に二人の想起士と二匹の天馬を殺した巨騎士は、次の想起士を目標にした。
「見ている場合じゃない!」
ガッチの怒声が降りかかる。はっと意識を周囲に向けると、そこは以前とは違う。紅の巨騎士が参戦した以上、戦力は圧倒的に不利となった。
「かか、固まって戦いましょう!」
「ああ...!やるぞ!」
リリーを激励し、戦場を見据える。非常事態。今は、ここをどうにかするんだ。
今のナキ達は、想起士見習い。悪魔と戦うには、このやり方で十分だ。
「あそこだ!確実に悪魔を殺す!」
「はい!」「ああ!」
二人の想起士が、四体の悪魔と対峙している。二人は囲まれ、防御に徹しているのが精一杯なようだ。あれでは、時期に死んでしまう。
ニャニャッチ、ガッチ、ナキの三人は、天馬を繰り、四体の悪魔のうち、三体の悪魔の頭上に飛んだ。そして、目配せをする。
ナキは槍を想像して、創造した。
「ガッ!」
確実に、脳天を突いた。悪魔の頭は槍で貫通され、そのまま創造を解くと、へなへなと力無く倒れてゆく。他の悪魔も、ニャニャッチとガッチに、呆気なく殺された。
「助かった!」
囲まれていた想起士の一人が、感謝を口にする。残る一体の悪魔を対面しながら、こちらに呼びかけた。
「そのまま行け!見習い想起士!」
「「はい!!」」
憧れている想起士にそんなことを言われては、士気が上がらない訳がない。三人共、目配せをし、次の標的に取り掛かった。
「...!」
背後に物音がすると、ガッチの天馬が嘶いた。投げられた大きな石が、天馬の頭部に直撃したのだ。衝撃が、天馬に浸透する。
「くそ..!」
体勢を崩したガッチが、諦めたように地上へ飛び降りた。
「ああああ!!」
叫びながら槍を創造し、悪魔の頭上を突き刺した。倒れざま、他の悪魔を足払いする。悪魔はすっ転び、想起士に脳天を突かれた。
「うおらぁ!」
誰かの声で、周囲に広がる光景を見た。悪魔と想起士が殺し合っている。剣で打ち合い、槍で突き合い、裂かれ、殺されている。
「次です、行きましょう!」
ニャニャッチが指差しで、次の獲物を捉えた。ナキは、ただただ戦場を見据えている。ひりひりと肌に付く汗を払うように、何かに迷っていた。
「ナキ!ニャニャッチ!」
そこに、カドレアが壁の間際に、天馬に乗ってナキ達を見ていた。大きな体に負けない大きな声で、ナキ達を呼んでいる。カドレアも加われば、安心して戦える。
ニャニャッチが即座に天馬を繰り、カドレアの元へと飛んでゆく。それを見ると同時に、ナキは戦場を振り返る。
まだ、そこにガッチが戦っていた。
「ナキさん?速く....ナキさん?!」
ガッチが懸命に、悪魔と応戦している。悪魔の薙ぎ払いに紙一重、槍で防ぐ。踵に力が入っているのがここからでも分かった。きっと、あれだけで精一杯なのだ。想起士が間に入ってくれなければ、ガッチはあそこで死んでいた。
「...」
「ナキさん!!速く行きましょう!」
ニャニャッチが戻り、ナキの腕を握る。それでもナキは天馬と共に立ち止まり、ガッチを見ていた。
ガッチは、悪魔と戦っている。槍を使い、打ち合っている。それももう限界で、ついには片膝を地面について、槍でどうにか防いでいた。
「死ぬと決まった訳じゃありません!死んだとしてもそれは国の為!だから大丈夫!」
ニャニャッチの顔を見た。ナキの腕を力強く握りながら、緊迫している。どう見ても、ナキの方がおかしいと言うような表情、言動だった。
「あ」
そこで、気付いた。おかしいのは、ナキの方だったのだ。想起士見習いとはいえ、戦場に赴き、国の為に死ねるとは、最高の栄誉ではないか。あそこも、あそこの想起士も、今死のうとしている想起士だって、誰だって納得している。悔やみこそあれ、思い残すことはない筈だ。
自分の違和感に、恐怖で足がすくんだ。息継ぎが難しくなる。
足のすくみで気付いたのか、リリーがこちらを振り向いて、フスーと鼻息を吐いた。その態度はいつもと変わらず気怠げだ。拍子抜けして、少し安心する。
「ナキさんってば...うえぇ?!」
リリーを叱咤し、ガッチの元へと向かう。ニャニャッチの素っ頓狂な声など無視して、ぐんぐんぐんぐん近付いていく。
体を傾け、ガッチの腕を力一杯引き起こした。
「?!」
腕を引かれたガッチは創造した槍を落として、そのまま空中に勢いよく浮かぶ。ひらひらと外套のように浮かぶ姿は痛々しく、血に塗れていた。だが、それももう終わり。もう一度力を込め、ガッチをリリーの上に乗せる。
「大丈夫か?!」
「ごほっごほっ...何を、して」
「...」
「おま、え...」
「ごちゃごちゃごちゃごちゃ!」
必死になって声を出す。頭が混乱していて、自分でもよく分かっていないのだ。
「!」
カドレアの叫びと同時、ひりひりと肌が騒めくのを感じる。
「うるさいですよナキさん!」
ニャニャッチが突然、責めるようにナキを睨んだ。耳を塞いで、顔を顰めている。
「俺じゃない!」
訂正の発言はこの声に掻き消されてしまった。すぐにそんな余裕も無くなって、ナキも耳を塞いだ。
カドレアの向こうの壁。その壁の遠く遠くで落ちた化け物。その化け物が、空に浮かび上がっていた。
「う..」
化け物は、キャアアアアアアア、と女性に似た
叫び声を、空一体に響かせている。その声はここまで聞こえて、心臓が鷲掴みにされたような恐怖をナキ達に抱かせた。
「側神様が...」
片耳を押さえたガッチが小さな声で呟いた。何を呟いたのかは分からないが、ナキも化け物をもう一度見てみる。よく見てみると、化け物を貫くように、突起があるのを見つけた。その下に、細長い影があった。
側神レイラだ。
怪物は甲高い叫び声を上げながら、暴れているのだろう。化け物がぐわんぐわんと、次元が歪むみたいに揺れている。
それでも、側神レイラは微動だにしない。あれだけの大衝突を引き起こした程の大きな化け物を、あれだけの小さな体でものともせずに受け止めている。
「やはり...ロジバルトは、永遠だ」
誰が言ったのかは分からない。小さな影でも、見惚れていたからだ。
そして、側神レイラの長い足元が、急速に伸びた。今度は、化け物が暴れているのではなく、レイラの方があの巨体を動かしているのだ。長い足元は王都を支点に、どんどんとこちらに向かって来る。
やがてそれはナキの頭上を通り過ぎ、空へ空へと行ってしまう。
キャアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアァァァァァァァァァ..........
叫び声は時間が流れる毎に小さく、力無く、沈んでいく。側神レイラが、あの怪物にとどめを刺したのだ。
「ロジバルト万歳!」
「「ロジバルト万歳!!」」
「「「ロジバルト万歳!!!」」
「「「「ロジバルト万歳!!!!」」」」
「「「「「ロジバルト、万歳!!!!!」」」」」
想起士達が一斉に、歓声を上げた。今も尚戦っている想起士達も、士気が上がる感覚がした。
リリーの上から戦場を見下ろせば、悪魔達が放心状態になっていた。周りではガッチが、ニャニャッチが、カドレアが、同じ言葉を叫んでいた。
「え」
「....ナキさん!?」
歓声が絶え間ない中、どすっと、何か重たい音がした。ニャニャッチがいち早く気付くが、それももう遅かった。
「リリー」
リリーが、投げられた槍に貫かれていた。槍はぐわんぐわんと揺れていて、それが投擲に向いた武器だと分かる。
リリーはそのまま地上に落ちていく。そのまま、ナキとガッチも落ちていく。
「ガアアアアアア‼︎」
悪魔の声が、戦場に轟いた。その声にはっと目が覚めて、瞬時に立ち上がる。周囲は、戦場だ。
「ガッチ、立てるか」
「ああ...」
戦場と言っても、何故か巨騎士は居なくなっている。この目で拝むことはなかったが、側神レイラに恐れをなしたのだろうか。
空色の怪物がいなくなったことで、悪魔達の士気は地に落ちた。巨騎士もいなくなり、少なくともナキ達は、悪魔達に勝利するだろう。
「やるぞ。一匹でも多く殺せ」
「...了解」
頷きながらも、背後に横たわるリリーを見遣る。血が土に染み付いているが、咄嗟に身を捩ったのか、致命傷には至っていない。
それでも、すぐに治療しなければーーー。
「くそ...たれ....」
声がした。
「!」
触れられたナキの右足に、悪魔が、掴んでいた。その悪魔は血塗れで、両脚が切り捨てられている。肌は切れ爛れ、土に黒く染まっていた。
その姿に、悍ましい程の悪寒がナキを襲う。
「ああああああ!!」
携帯していた剣を腰から抜き、必死に悪魔を滅多刺す。創造出来る程の余裕さえ、今のナキには無い。恐怖が脳を支配していた。
「ナキ!...くそ、次が来るぞ」
ガッチの声がして、前を見る。悪魔が、何かを叫びながら突進してくるではないか。巨騎士の登場で、ここは混戦になっている。だが、もう巨騎士はいないし、悪魔達の士気も下がっているのではないか。それに、あの悪魔の背中には剣が刺さっていた。手負いだ。二人もいれば、簡単に殺せる。
「ガアアアああああ!!」
「ひ...!」
悪魔の叫びの後に、人間の声が聞こえる。おかげで、土を踏み損ねてしまった。その間に悪魔は何かを振り上げて、ナキの頭部めがけて振り下ろす。
剣ではない、鈍い音がした。
ガン、ガン、ガン、ガン
ナキはそれを受け止める。悪魔の振り下ろす物が何かも分からない。ただ受け止めることしか出来なかった。
「何をやって...いる!」
側面から、悪魔に槍が繰り出される。ガッチの創造した槍は、青く、澄んでいる。その槍の切れ味は、一流の鍛治師が造る槍にも劣らないだろう。
「ギアアアア‼︎」
すると、悪魔は突然方向転換して、ガッチの槍を掻い潜り、我武者羅に何かーー石を振り上げた。
手負いだ。あと一撃下せればこの悪魔は動かないのに、心が乱されている。そもそも、ここに落ちた時からーーいや、もっと前、ガッチが落ちた時、ニャニャッチに止められた時に感じた気持ちの悪い感触が、胸のどこかにひしめいていた。
「くっ...!」
ガッチは槍を横にして、悪魔の攻撃を受け止めている。
その槍の柄から悪魔に向かって、槍が伸びた。悪魔の脳を突くつもりなのだろう。瀕死の悪魔はそれも見越して、伸びてくる槍を寸でで避けた。返しに今度はガッチを押し倒す。
「この、野郎!」
悪魔はそのまま強引に馬乗りになると、石を持って、振り下ろした。
「ガあァあァあァァ....くっそがああぁぁ...!!」
間一髪、ナキが悪魔の肩口を切ると、悪魔は身を捩り地面を這いずり回った。いつもより切れ味のない携帯していた剣で切った為か、傷が少し浅い。それでも十分な傷だったのか、そのまま、悪魔の動きは止まった。
「....駄目だ」
切った肉の感触が、今もこの手に蘇る。吹き出した血の色も、鮮明に。
「そんな訳無いだろ」
血は、赤色だった。当たり前だ。悪魔は人間の振りをする醜悪な化け物の筈だ。その筈なんだ。喋ることは出来ないし、知能もない。
その、筈なんだ。
しかし。
ナキがこの手で殺した悪魔は、この目にはどうしても、それにしか見えなかったのだ。
「悪魔は、人間だ」
王律法
第一法
・王は、我々ロジバルトの民の象徴であり、絶対的に正しい。
「ナキ...お前」
ーー王律法は、王や貴族が定めた法であり、これに従わないと、ナキ達は悪魔となり、自死を決断してしまうーー
ガッチが、焦りを孕んだ声音で、ナキを呼ぶ。それでもナキは、ただ一点を見つめていた。今さっきナキが殺した、悪魔ーー人間を。
「悪魔は、人間だったんだ。俺たちは、間違ってーー「この悪魔がぁ!!」
「っ!!」
横から怒号が押し寄せて来たと思うと、青い槍が、ナキに突き出されていた。訳も分からず反射的に避けると、脳天に突かれた槍は、ナキの左肩を貫いた。
「ああああ!!」
身体の内側に異物が入る。痛みが身体中に充満する。この状況とこの痛みに、何をどうすればいいか、何がどうなっているのか、何も分からなくなっていた。
「ヒヒーーーーン‼︎」
背後から、天馬の声がした。その数秒後、蹄の蹴る音がナキの耳元に近づいた頃、背中に衝撃が加わった。
衝撃、といったって、柔らかい衝撃だ。左肩が多少傷んだが、それもその程度。衝撃がした途端、くるっと世界が九十度、反転した。
「ーーーはぁっ..!」
瞬間、黄昏の夕日が一面に流れていた。
リリーが助けてくれた。そう思ったと同時に視界が鈍くなる。夕日がまるで空の怪物のようにぐわんぐわんと蠢いていて、怪物が再来したのかと、他人事のように思った。しかしそれは当然怪物ではない。景色はどんどんどんどん狭まっていき、やがて、視界が暗闇に埋め尽くされた。
◯
天馬に乗りながら、二人の見習いは戦場を見据えている。焦りと恐怖の滲んだ顔で、目下の戦場を見据えている。
そこには、ガッチに槍で肩を貫かれている、ナキの姿があった。
「悪魔は、人間だったんだ。俺たちは、間違ってーー「この悪魔がぁ!!」
ガッチの叫ぶ言葉の意味に、ニャニャッチとカドレアは、暫く閉口した。
「嘘だ。ナキが、悪魔だって」
いつもは豪快なカドレアも、慎重に言葉を操って、現状を確認した。ニャニャッチも、その言葉を反芻して、理解する。
腑が煮え繰り返りそうな心地だった。
「逃げました」
平坂な口調で、ニャニャッチはナキの動向を凝視している。その目はどこか、暗澹としていた。
槍で貫かれたナキの背後から、一匹の天馬が突進してくる。確か、ナキがリリーと名付けた、気怠そうな天馬だ。
その天馬は突進する勢いで、蹄を蹴る。ナキと直面したと思うと、天馬は頭をナキの背中に押しつけて、器用に上に飛ばした。即座に翼をはためかせ、上に飛んだナキを背中にがっしりと乗せる。空中に飛んで、どんどんと戦場から、ロジバルトから離れていった。
二人は、そこから一歩も動けずにいた。仲間が悪魔だと知った時、こんなにも心が空っぽになるのかと思い知った。屈辱感と、無力感。どの感情でも現しようもない、ただ空虚な景色が、目の前に広がっていた。




