第六十四話
「...っ!」
男は化体と融合していたから、難なく避けることができた。彼等が問答無用に命を狙ってきたことが、衝撃だったのだ。
「おい、話を...!」
「マリーン!鐘だ!」
マリーンと呼ばれたマントを着た女は、二の腕から鐘を創造する。反対側の手に創られたハンマーを一杯に鐘へと振ると、小さな鐘は大きく揺れ、危険を知らせる音が空気を伝う。
「なんだってんだっ」
男は攻勢を仕掛ける三匹と三人から逃げながら、思案を巡らせる。問答無用で殺しにきたあの人間達は、恐らく兵士か傭兵かだ。
悪魔と叫んだ時の顔が、憎悪に塗れていたのを男は確認した。
「くそっ、くそ!」
男は数十分の間説得を続けたが、数が増えてきたこと、何より言葉が通じないのが痛打だった。使う言葉は同じなのに、赤髪の人間達は一切合切理解する素振りを見せない。
本に書いてあった通り、話に聞いていた通りではないか。これだけ日数を掛けて旅をしてきた結果が、狂人達との巡り合わせだなんて考えたくもない。
「....」
気付けば、背後には何もない。いくらかの獣が闊歩し、空は夕焼けに焦がれている。吐きそうなくらいの酩酊感が、男の視野を狭窄した。心身ともに疲労した男は、逃げ出せた安堵に身を寄せる。不安になるのを避けるために、瞼を無理矢理にでも閉じた。
ーー「起きなさーーい!」
「...うるさい」
リビングから聞こえる高い声が、男の顔を歪ませる。母親はのんびりとした人だが、如何せん声が高いのだ。きんきんと鳴り響いてしまうと、朝に弱い男は嫌な気分で起きざるを得なくなる。
「ネギご飯が冷めちゃうでしょー?」
「そんなもの、冷めるも何もないだろ」
「そんなものだと?!」
寝惚けていて、父がいるのを失念していた。彼は己の好きなものを馬鹿にされるのが大嫌いなのだ。面倒臭い自論の展開が始まると、また嫌な気分に陥る。
父の小言をいなしつつ、男は考えた。
「こんなことあったっけ」
「何を言ってるんだこんな時に」
心の中での言葉は、どうやら口に出ていたようだった。口籠る男に、両親は訝しむ。
「レット。隠してることあるんでしょー?」
揶揄うように、母が茶々をいれる。懐かしい笑顔が暖かくて、心地よくて、掴んでいた箸を取り落とす。
「夢でもみたか?」
父は片目を広げて様子を勘繰っていた。
「夢...?」
「おうさ。一回殴ってみろ。そしたら分かるぞ」
夢。
そうだ。男は夢を見たのだ。とても気分が悪くなる夢だった。最悪なんていいところで、男の全てを奪う夢。
「そうか。夢かっ」
早速、父の言う通りにすることにした。 右拳を頬へと向けると、救われるみたいに晴々とした気持ちになった。
目の前の両親が、かけがえのないものに思える。これから先は二人に恩返し出来るように、立派な大人にならなくては。そう思った。
拳が男の頬へと当たると、暗闇が現れる。暗闇が終われば、男の夢は幕を閉じたーー
血生臭い香りが鼻腔をくすぐる。目を覚ませば外は晴天で、太陽が木立を貫通して、男は少し目眩を感じた。上半身を起こすと、地面についた片手が、泥を掴んだような感覚を覚える。
「は?」
昏倒しそうな程きつい匂いが辺りを充満して、男に結果だけを告げる。死んでいる人間達はどれも赤い髪で、マークの入ったマントを着込んでいた。同じ数だけのペガサスは、白の毛肌に鮮血がよく映える。動かざる死屍累々が、男の周囲を飾っていた。
悪い冗談でも見ているかのようだ。この小さな森の中に逃げ込んだ筈なのに、何故ロジバルト達はここにいるのだろうか。
「....親父?」
大鳥の化体が、近くへと寄ってくる。嘴は赤く濡れていて、毛並みは液体で固まっていた。足の先に人間の腕が刺さっているのを、男は能面に眺めている。
「ごはっ」
男の背後から、熱く爛れるような痛みが飛来した。
「悪魔は...ころぉす」
上半身が別離した男は、そんな言葉を残して人生の区切りをつけた。置き土産に命を狙われた男は、創造された長い槍によって、腹の真ん中を貫通する。
死体蹴りのように、半ば反射的な形で、父の化体は嘴を振るう。赤髪の瀕死の男は、大鳥の嘴によって爆発四散した。べちゃべちゃと気持ち悪い肉片が、男の傷口に降りかかる。
赤髪の男が絶命する時、腹を抉る槍は塵と化する。滝のように流れる命の液体が、着実に男を死に近づけていた。
「何が...」
創造で固めようにも、臓器が無ければ生きられない。臓器を創造するなんて芸当は、この世の誰にも出来やしなかった。
痛みよりも、怒りが先にくる。
「何が悪魔だ!!」
ロジバルトの奇怪さに、価値観に、ほとほと憤慨する。彼等の性質に、吐き気を催した。
こんなくだらない価値観に殺されてたまるものか。
「ふざけるな...!ふざけるなぁ!!」
呻いても叫んでも、腹から溢れる血液は止まらない。寧ろ増えるばかりで、命の灯火は薄まってゆく。
怒りを抑えるように、地面に頭を乱打する。それを止める者は、男の周囲にはいない。いるのは父の化体であり、彼の意識は創造力に飲まれてしまっている。乱打する息子を、男の父は無感情に眺めていた。
衝撃の弾みで、形見が宙に放られる。創造力を固めることが出来る注射器が、男の目に映る。
ふざけるな。ふざけるな。
俺はお前達を絶対に許さない。
近くには、無感情にこちらを眺める父の化体がいる。父の化体に靄が舞い、やがて父の影を形作った。
レット。お前もだ。のこのこと生き残ったお前を、逃げ出したお前を、絶対に許さない。
「ああああ...!!!」
掠れた声が、小さく空気を振動する。暴れる身体から離れたのは、もう一本の注射器だった。
創人を化体にする薬。
男の体力は、当然底をつきかけていた。命を失う直前の最後の身じろぎで、男は注射器を手に取った。
「はぁ、はぁ...」
何故注射器を当てがっているのか、男にも分からない。ただ、このまま死ぬ訳にはいかないと思った。それだけである。
ーー「ロジバルトの民はーー」
昔、セディアに聞いたことがあった。ロジバルトというのはどういう民族なのか。
「ーー思考形態が統一されてるんだって」
「思考形態?」
「考え方や、行き着く結果論。価値観が、完璧に統一されている国家」
「そんなこと、本当に出来るのか?」
「分からないよ。私だって噂で聞いただけだし」
セディアはぶっきらぼうに答える。リリーはすっかりセディアに懐き、彼女の膝の上で気持ちよさそうに眠っていた。
「でも」
勘繰る男に、セディアはぼやく。
「完全に統一なんて出来るとは思えないよね。もしかしたら、ロジバルトが嫌いなロジバルト人だっているかもしれないし」ーー
注射器の中の液体は、完全に空になる。無意識的に考えていた思考が、思い出となって脳裏に浮かんだ。
死にたい。逃げ出したい。
生きたい。フツルギドウシを殺したい。
全ての感情を薄く希釈した無意識が、ここへ来て発露する。
どうせ死ぬならば、意味のある死を。男自身が納得出来る、意味のある死に際を。せめて、最後くらいは。
男の身体から創造力が湧き出てきた。穴となった腹に収めた一本の注射器が、溢れる創造力に固定される。
攻撃性の権化のような化け物が、ロジバルトを見据えいた。




