第六十二話
「あなたの名前は、ユアンよ」
「お前はロジバルトの為に生きるんだ。生まれてきてくれてありがとう、ユアン」
両親は優しくて、何をしても可愛がられるし、自由なユアンをいつでも暖かく迎えてくれる。貴族の家庭に生まれたユアンは、屋敷でもなんでもない平家の家屋を聖地としてこの世に誕生した。
貴族の特権は、王城へと足を踏めること、王城への従事を許される事である。どんな仕事でも功績を残せれば、王の辞令により貴族という称号を賜ることが出来る。中でも多いのが想起士の貴族で、ユアンの両親も同じだった。
しかし、貴族の子供も貴族という訳に行かないのが、ロジバルトの常である。貴族の両親が死ねば、他の実力者に称号が移動する。貴族の子供というのは良い生活は出来るし、コネも当然つくられるが、些か窮屈なのだ。
「ゆあんくんのおとうひゃんはすごいひとなんだよ!」
幼い頃、こんな風に庇われたことがある。友達の鞄を壊してしまった時、他の友達は壊された子ではなく、なんと、ユアンの仲間をしたのだ。
ユアンの父親は貴族だから。それだけの理由で、彼等はユアンの味方をする。勿論、妬みや嫉みもままあった。尊敬と嫌悪。この二つの中に、ユアンの人生は児玉してきたのだ。
そして当然、ユアンは想起士に憧憬を抱く。貴族である両親の遺伝子によって構築されたユアンという生体は、それはもう如何なく才能を発揮した。
貴族の子は貴族。
変に捻くれることもなく、ユアンはロジバルトという信念を心に秘め、己の力で貴族となることを夢見たのだ。
そして遂に九年前、彼は大願を喫するのである。
とある日のこと、晴れ渡る青空の下、ロジバルトは安泰の日常を送っていた。ユアンは無事想起士となり、両親の領地であるフィルナンシアの首都ナンシアにて、休暇を決め込んでいた。
ロジバルトであることを誇りとした民衆達が、忙しなく往来を移動する。大鳥の悪物と空中戦闘する想起士に、彼等は寸分の狂いなく目を虜にさせる。想起士の勇姿を拝む為、即席のお祭りまで開いてしまう始末である。もしや己が殺されるとは、夢にも思うまい。悪物にロジバルトの民が殺されるなどは日常茶飯事であるが、その度起こる彼等の感情は悲しみよりも、怒りの方が特段強いのだ。執念と呼べる勇ましさが、国を安定させてきたとも言えた。
しかし、どんなに強い想起士がいても、守護神がいても、防ぐことの出来ない甚大な被害は発生する。
夕暮れ時、各々が一様に生を謳歌していると、天空に飛ぶ想起士が、喇叭を両手に持っていた。口元に当てがうと、息を吐き出す動作がゆっくりに感じられる。想起士の身体が小さく揺れると、喇叭は緊急事態の旋律を奏でて、ナンシアの町を覆い響かせた。
「避難だ!全員この場から離れろぉ!!」
伝達兵は声を荒げ、ナンシアの避難を促した。今までにない事態に、周囲は恐れではなくただ困惑する。
「なんか来るぞ...?」
一人の声は綺麗に伝播する。近くにいた者から順に、脅威の情報はあっという間に広がった。
ユアンが旨を伝える前に、それは頭角を表した。皆が顔を向ける方向には、とうに見慣れた光景など無かったのである。数分前には存在していた大きな柱時計が、右斜に凋落している。どこを見上げても溢れていた夕日が、火の気によって隠された。
「逃げろ!逃げろおおおおお!!!」
それまで冷静沈着に避難誘導をしていた想起士が、焦りを全開に大きく叫ぶ。漸く危機を完全に理解したロジバルトの民達は、困惑を恐怖に変えて走り出す。混乱に慣れていない彼等は当然揉めに揉め、人を挟み、踏み締め、赤子を取り落とす。ユアンは状況を飲み込む為、家屋の上へと登っていた。
「ウガアアアアアアアアアアアア!!!」
それは、攻撃性の権化のような姿をした化け物であった。漆黒の怪物が、凄まじい速度でナンシアへと向かってくる。
一陣の風がどよめいて、大切に抱きすくめていた赤子が、女性の腕から残酷に離れた。女性の悲痛な叫びも、赤子の号泣も、周囲の残響に掻き消される。
漆黒の化け物が動いた場所には、人の轍が出来ていた。端には人垣が、己の命を助ける為、原因から離れようとしている。化物により跳ねられた人間が、一人二人三人と、人垣を押し潰す。もはや狂気の域に達した民衆は、人を乗り越え踏みしめて、視野狭窄に堕ちている。まるで誇りなど持っていないかのように、一変して彼等は醜かった。
「こっち来るぅ!!」
「嫌だいやいやだやだやだやだやぁやーー」
漆黒の化け物は、両肩に大きな角を持っていて、顎がとても発達している。顔が体くらいあって、四肢は刺々しい。尻尾の先には剣のような刀身がついている。攻撃性の権化のような漆黒の怪物が、そこにいた。
一振りで何百人を薙ぎ払い、落ちていく人間が両肩の棘へ突き刺さる。地獄絵図とはこういうことなのかと、不本意ながらに痛感した。
「ユアン!」
「え?!」
突然、自分の右腕が宙に上がる。すると大きな力で、ユアンは空中へ飛んでしまった。
見知った声は、当然天馬に乗っていた。ぶらぶらと浮遊するユアンを抱き上げ、緊急に要件だけを告げる。
「後ろの天馬に乗れ!お前も手伝うんだ」
「ハンニャさん?!」
「奴はこれまでにない悪物だ!出来るだけ多くの想起士をここに集める!レイラ様も向かっている筈!」
「うしろ、うしろってどこ?!」
「そこだ!!」
「は、はいぃ!ーーってうわぁ!」
ハンニャはやけくそに、且つ冷静にユアンを投げると、天馬の顔面に被さるようにぶつかった、天馬はじたばたと暴れるが、弾みで上手くいったようだ。天馬の背中に付いている鞍に尻餅をつく形で、ユアンは腰を落ち着ける。
「はぁっ、吃驚しーーー」
その時目にした光景を、何があっても忘れることは出来ないだろう。打ち上がる死体が、色濃く血液を大気へと飾り立てる。漆黒の化け物が動作をあげれば、ちっぽけな人間はロジバルトの誇りを忘れていく。心臓は止まり、動かなくなるのだ。
「これ以上好き勝手させるか!」
「おい待て!」
集まった想起士達が、漆黒の化け物に立ち向かう。天馬が翼を動かして、創造力によって悪物を絶命させようとしていた。
「っ...!」
化け物の刀のような尾が振られると、彼等は簡単に千切れ飛散する。ぎりぎりにしか見えない速度が、矮小さを嘲笑うかのように一閃した。
「ユアン!」
気付けば隣にハンニャが飛んでいた。彼は辺境の索敵部隊隊長であった。ハンニャの指揮する索敵部隊は東の地域を中心に、異常がないかを確認するのが業務である。ユアンも所属する部隊だが、索敵部隊はその名の通り、国外の索敵が中心だ。主要都市を警備するのは、貴族率いる警邏がやることだ。
「どうなってるんですか?!何故ここへあんな奴が!」
「北から二匹やってきた!おそらく守護神と同格!」
「守護神と?!もう一匹は」
「今まさにやり合ってる!獅神様は動けん、まるで囮のように鳥が足止めをしているんだ。我等の任務は守護神様が来るまで被害を抑えること!いいな?!」
「抑えるって...」
今やナンシアは死屍の宝庫だ。百歩走っても一振りの範囲で殺されるような災害だ。
「もう、被害なんて無いじゃないか!」
顔面は苦痛に歪み、ぎりぎりと噛み締める音が内によく響いた。もはや地上に立っている者はおらず、居るのは天馬に乗る想起士のみ。救援は未だ来ず、彼等は完全に取り残されたのである。
漆黒の化け物は、空中を浮かぶ想起士達をその目に捉えた。
「私達も行くぞ!」
ハンニャが天馬を操る。ユアンも続き、怒りを胸に剣を創造した。
一人の想起士が、漆黒の化け物を槍で突き刺した。化け物の悪物は前脚で踏み殺し、別の想起士を噛み殺す。血も出ない傷跡は回復して、地獄の連鎖が幾重も繰り返された。
陸からも空からも攻勢は続くが、化け物は疲労する気配もない。ただただ無惨に散っていくだけと思われたが、一人の想起士の言葉で、一気に希望はぶり返す。
「こいつ、小さくなってるぞ!動きも前より遅い!」
体は小さく、動きは見えるようになっていた。想起士達は相変わらず殺され続けるけれど、確かに化け物は弱っていたかのように思えた。
「ユアン、頼めるか」
「任せてください」
約一千人はいた想起士が、今や二桁しか生きていない。
ハンニャの頼みに、ユアンは瞼を閉じて集中する。
「ああああぁ!!」
「奴も必ず疲弊している!守護神様が来るまで持ちこたえろぉ!!」
脚の速い獅神様は足止めされ、醜神様も暴神様も側神様も、ここへ来るまで時間はかかる。たった数十分でナンシアを崩壊させた漆黒の化け物は、絶対にここで止めねばならない。
一人、また一人と絶命するなか、ユアンは想像した。ユアンの持つ突破力は、当たれば絶大な威力を発揮する。時間を伴うが、もうやるしかないのだ。
目を開ける。
「ユ、アン...!やはり、ここーー」
ハンニャが前に進んで叫ぶ。進んだ先に、漆黒の化け物の爪が襲いかかる。爪は、ハンニャの体を両断する。血が、景色のように見えた。
「ガアァァァァ!!」
漆黒の化け物が叫び出す。見ると、化け物の鼻の辺りから腰までに、一筋の槍が貫いていた。
ハンニャの置き土産であったそれは、それでも化け物の致命傷には至らない。化け物はそんな痛手もものともしない凶暴さで、ただ一人立っているユアンに目を光らせる。
残り五人を切ったところで、漆黒の化け物の動きは格段に遅くなっていた。ハンニャとユアンだけとなった時、遂にハンニャは見つけたのだ。
槍が抉った傷口から、人間の顔が現れる。
「はぁ!!!」
ユアンは前を向いて、捨て身に構える。そして、叫び声を合図に、両手を目の前の化け物に勢いよく向けた。その瞬間、空気が鳴動し、ユアンの両掌から、両掌よりも分厚い、とても分厚い刀身が、漆黒の化け物に向かっていく。それは化け物の中の人間を貫いて、そのまま天まで向かっていった。
静けさが、フィルナンシアに漂った。倒壊した建物や、夥しい死屍累々。その何もかもが、この瞬間に息絶えた。
そうしてーー。
そうして、レッドレットという男の過去が、ユアンの脳へと侵入する。




