第六十話
その日、王都が大樹へと到達した。目的は何も知らされず、人民を集中させた王都で、ユアンは今、ある墓の前に佇立していた。斜面に捨てられたように乱立する墓群の一つ、ナキと彫られた墓の前で、一人虚しく佇んでいる。
「来てたんですね」
背後から朗らかな声がする。振り返ると、可愛らしい少女が、手ぶらに墓地へと入っていく。彼女は慣れた足取りで、ユアンの横に止まった。
「少し大きくなった?」
「なってません。一週間前にも会いましたよね?」
「そっかそっか」
ユアンの適当さに頬を膨らましながらも、アイザは一つの墓の前にしゃがみ込む。じーっと凝視しながら、彼女は語りかけているのだ。
ユアンは周囲にあるがらくたのような墓達を見回した。このような場所があるということは、まだユアン達の中に救いがある証拠だと思っている。まだ、真実を突きつけても生きていけるのではないかと思っている。
ここは、悪魔となってしまった者達の墓場である。王都に集められてからナキの墓は彫られたが、中には王都以外から運ばれた物だってある。そんな訳で、ユアンは夢を抱かずにいられない。
ロジバルトという国では、悪魔は殺すべき対象だ。民草は悪魔を憎むように構築され、悪魔に見える様に錯覚させられる。それが出来なければ悪魔と見做され殺されてしまい、ロジバルトはこの循環によって存えてきたのだ。
ただ、悪魔となってしまった前の出来事は、簡単には忘れられない。悪魔と認定される前は、ただの人間として認識されていたのだ。家族も友達も、ちゃんと覚えている。怒りに侵食されようとも、ふとした時に人々は、悲しみを覚えることがある。それを癒す場所として、悪魔達の墓は造られる。
アイザという少女も、心を整理する為にここまで来たということだった。彼女は立ち上がって付いた土を払うと、ユアンにお辞儀する。
「もう行くの?」
「はい。家の手伝いしないと」
「そうなんだ」
「慌ただしくてすみません」
「いやいや、来てくれて嬉しかったよ。ありがとう」
照れたのを隠すようにはにかんで、アイザはもう一度振り返る。ナキと彫られた文字を、大きな瞳で捉えると、少しの間沈黙が訪れた。
「じゃあ、お暇します!」
「うん、お暇」
走る少女の背中を見送った後、ユアンは一つ息を吐く。緩やかに変わっていった景色は、たった一日で見慣れてしまう。大木達が王都を取り囲み、一際大きい大樹は、ロジバルトの良き隣人になりそうだった。
夕日は落ちかけ、そろそろ時間だろうと、ユアンは外へ出る。商店街は活気が最高潮で、至る所に湯気が立ち上っていた。
「ユアンさん!こっちこっち!良いのあるよ!」
「そっちは辞めときな!今日仕入れたお肉安くしとくよ!大人しく来なさいな!」
「ユアンさんこんばんは!」
「今日もだらしないねぇ」
「今日もイケてるねぇ」
「ちょうど良いところに。これあげるよ。焼きたてだよ!」
往来を歩くだけで、歓迎の風が靡いてくる。ナンシアにいた頃はこの比では無かったから、彼にとっては心地良いくらいに治っている。両手に袋を持ちながら、器用にイカ焼きを食べる。そんな時でもユアンを呼ぶ声はまばらに上がり、彼はその度愛想良く答えるのだ。
英雄ユアン。
その名は九年前からの通り名であり、ユアンとしては大層な名前を貰ったと嘆いてはいるのだが、どうあれ賞賛は嬉しいので、嫌な顔をするにも忍びない。
九年前の大事件は、それ程記憶に残っているのだ。無敵のロジバルトを揺るがした悪物は、民衆の心に鮮烈を残している。それを屠ったユアンという貴族の想起士は、当然讃えられるべきなのだ。
「?」
魚の入った大袋に、空から何かが舞い降りる。ぺたりと張り付いたのは、どうやら大きな葉のようだ。
「何だこれ?」
「何かの悪戯か?」
周囲を見れば、大きな葉は至る所に降っていた。皆口々に不審がり、上を見ていた。
「鳥か...?」
「お母さん、たくさんいるー!」
たくさんの鳥達が群れをなし、大きな葉を落としている。鳥達は城を回るように、旋回しながら集団で飛んでいた。
袋を下げて、大きな葉を裏返してみる。そこには見知った文字で、こう書かれていた。
ロジバルトなんて糞食らえ
「.....!」
仮にも親を名乗るなら、子供との思い出は胸に秘めておくものである。
ロジバルトなんて糞食らえ。
そんな文言は、覚えていない訳がない、ユアンにとっての覚悟の台詞で、二人にとっての合言葉。今や使うことは無いと思っていたけれど、ナキの脱走によってその可能性は現実性を帯びた。
そして今、現実となったのだ。
「生きてた...」
周囲の喧騒なんて忘れてしまうくらいに、彼はこの瞬間を噛み締めた。孤独になってしまった自分に、ナキは手を差し伸べたのだ。
この創造世界をぶっ壊す火種は、ついにばら撒かれてしまった。
「ていうかこれ、全部書いたの?」
突然の侮辱に怒り狂う民衆のなか、ユアンの心は平穏に闊歩する。あれだけ彷徨っていた彼の精神はようやく固まり、九年前失った何かを取り戻した。
◯
筆狸。逃げ足が速く、外敵に襲われれば筆のような爪から赤い液体を出すという。彼等は滅多に人の目に入らないが、ゼラニムにかかればこれくらい容易いことだ。
ナキが一度お手本を書けば、筆狸は可愛らしく爪を動かし、可愛らしく書き納めてみせる。
計二百枚の大葉は、こうして完成した。
群鳥によりそれらを撒き散らした後、ナキは覚悟を決める。
「奴はどこに行った」
「センプウさんはもういない。元々化体が来た時だって無事だった人だ。どこへ行ったって生き延びるだろう」
いつの間にか一人の龍人はいなくなり、イトは気に食わないという態度だ。ハクビの言葉には、どこか諦観を持っている。
「どうだガラン、キノ。初めての王都は」
「...ハロドラ、そういうの良いから」
「おう、壮観だ。実はこんな状況じゃなけりゃ、俺は喜びに叫んでる所だ.........イエエエーーーー「黙れ」
ゼラニムの鋭利な爪が、キノの真横に飾られた。ガランは呆れて、ハロドラは隠れて少し笑っている。
「ごめんなさいごめんなさい!私が悪かったから触らせて!」
ベーレは筆狸を可愛がっていたが、爪によって傷ついた筆狸が森へと逃げてしまうと、一気にその場にいた筆狸達も散開する。去っていく筆狸達を眺めて悲嘆に暮れたベーレは、突然立ち上がる。
「こうなったら...」
ゆらゆらと肩を動かすベーレは、やがて王都の方へと体を向けた。
「やってやるわよロジバルトオオーーー「静かにしろ」
ハクビの威圧は背中越しでも鳥肌が立つ。青ざめるベーレに感化されたのか、キョウはこれでもかという程に顔が真っ青だ。海みたいになっている。体が小さくなったネリアは変わらずに、キョウの背後に陣取っていた。
「なんだか賑やかになってきた」
ルフリアは心なし嬉しそうに、王都を観察していた。彼女は基本無表情だが、微かな感情の揺れが分かってきた気がする。それがナキの勘違いでなければ良いのだが。
「何か起きたぞ」
最初に見つけたのはゼラニムだった。賑やかな現場は一息に静寂に包まれ、ゼラニムの爪指す先へと凝視する。
王城の正面近くに、小さな影が現れ出でた。それは一度揺れるごとに大きくなり、右へ左へ風船のように膨張する。
ーー「ナキ。二つ約束だ」
「...?」
「君がどうしても駄目だっていう時は、僕に相談して欲しいんだ。一人で抱え込まないこと」ーー
塞ぎ込んでいた時のナキに、ユアンは親として支えてくれた。これは、ただの良い思い出に過ぎないと思っていた。
ーー「それでも駄目だって...僕と同じになってしまったら、いつでも言ってね」
意図を理解しないナキを、嬉しいような悲しいような表情で、ユアンはナキの頭を優しく撫でるのだ。
「ロジバルトなんて糞食らえ」
目を見開くナキを、悪戯っ子のように笑うユアン。彼にとって、この言葉はどこまで本気だっただろう。幼いナキは綺麗さっぱり忘れてしまい、無事ロジバルトに染まったかに思われた。
「その時は、僕が変えてみせるさ。死んでもね」ーー
「ユアンだ」
自分の言葉に、自分で吃驚する。口をついて出た一言は、それでも信頼に値すると思われたのだ。
「皆」
訝しむ周囲を、ナキは無視して続けた。現在進行形で膨張する風船のような化体は、一体どこまででかくなるのだろう。
ナキは、王都へと意識を向けた。
「俺、行ってくる」




