第五十九屋
逃げるという選択肢もあった。逃げないことの方がおかしいかもしれない。ナキ達生き残りは、いつの間に綺麗になった里を眺めている。丘の上から見る景色は既に暗澹としていて、踏みしめるごとに鳴り響く揺動が耳朶をはためかせた。ゼラニムの正確さに息を呑みながら、ナキは懐かしき王城に相まみえる。
王城の周りに大地が付いており、その上に家屋が建ち並んでいる。他にも、雑多な店頭が並んでいるに違いない。動いているのは城だけではなく、王都そのものも然りだった。
「はは...」
誰もが笑うしかない状況で、全員腹を括る。
正直、彼等にはどうすることも出来なかったのである。大陸の外に逃げるにしても、頼みの龍人は四人しかいなくなってしまったし、彼等もその気は微塵もない。この地のどこかに雲隠れをするというのが現実的ではあるが、しかしそれは一つのことを試してからである。
「あの中に、ロジバルトがいるんだね」
「ああ」
答えながら、彼女の過去を思い出す。
カイルでは、闇取引なるものも横行していたようで、人身売買だって当然だった。ルフリアは幼い頃に両親から売られ、商品とされていたのだそうだ。
ーー「そこで、教育をうけたの。勉強をやらされて、殺し合いをさせられて、自我なんて出したら即刻首を切り落とされる。そんな場所」
ルフリアの送られた場所は、済世の陣と呼ばれる宗教施設だった。それは細々とした、小さな宗教団体だ。会員になれば誰でも高等教育を受けた頭脳や、戦闘能力に優れた能力になれるという。
「私は戦闘課に入れられた。どんな創造でも破れない堅固な牢屋の中に数人で入れられて、戦闘レベルを測られながら生きてた。選別された後だから殺しは無かったのが唯一の救いだけど」
頭脳課は、頭のいい人間になれる。高水準の学校に入れるし、仕事にも困らない。戦闘課は、主に獣の討伐をするハンターや、王宮を守る兵士などになる為に使われる。
創人や無創人を対象に、済生の陣は活動していた。まず、買った子供を教育する。彼等は最初に、自分達の子供を対象にしたそうだ。効力を目の当たりにした信徒達を集め、裏の町を知っている者達は口々にこう言うのだ。
ーー「改造屋」
人格を改造する施設として、済生の陣は一定の立場を得ていた。
そして、人格はどうやって変わっていくのか。
「創人や無創人が、幼い頃から私達の血を飲み続けること。そうすれば、飲んだ人間は段々と、知識や技能を身につけていく」
血は濃ければ濃い程、吸着する度合いが変化する。血液型が同じであれば、効能は速く現れたり、効果が増大したりする。
「自我もなく生きていた私を外に出したのが、皮肉なことにあの紫色の大男だった。あいつは牢屋を破壊して、済生の陣は跡形も無くなったの」
突如現れたフツルギドウシの襲来に、済生の陣は一瞬で崩壊した。生き延びたルフリアを拾ったのが、セディア・ゴッドラメアという、まだ少女だった頃の彼女だったのである。
セディアはルフリアに色々なことを教えた。フツルギドウシがカイル中を壊滅させているなか、彼女の包容力が、少なからずともルフリアの心を開花させたのだーー
だから彼女は、逃げる訳にはいかない。
ナキ、ルフリア、イト、キョウ、ネリア、キノ、ガラン、大蛇、ハロドラ、ハクビ、ベーレ、センプウ、そしてゼラニム。後の二人を除き、十一人の生き残りは本質的に、立ち向かう選択肢しか残されていない。
地鳴りは増大の一途を辿り、彼等は対抗する様に精神を統一させる。雫が一滴落ちる感覚がすると、ナキは目を開く。
ロジバルトの王都が、目の前に君臨した。
四足歩行で動く王都は、大樹の付近に四足を畳む。王都自体が化体だったなんていうことは、今更驚いても益は無い。
ここからは、無益な信頼かもしれない。
ナキは仮面を被り、深呼吸する。背後からガランの声が、冷たく反響する。
「そんなに長く待てないよ」
「分かってる」
「駄目だったら逃げるから。まあ、逃げれるかも分からないけど」
「あぁ」
「...本当に君の記憶が正しいのか、僕には分からないけど」
「...?」
ガランは傍迷惑そうに、ナキの仮面を見つめた。視線が交差したのはこれが初めてではないか。ささやかな幸福が漲るなか、ガランの目は更に窄められた。
「君も色々あったんだな」
「?!」
脳が弾けたような感覚がした。世界が爆発したような衝撃は、仮面に伝導する。震える仮面を君悪そうに見届けて、ガランはしかめ面になってしまった。それでもナキは、ガランのたった一言が嬉しかった。あれだけ嫌われていたと思っていたのに、彼の方から歩み寄ってくれたことが、途轍もなく嬉しかったのだ。
「はっはは。これはどうにかなる気がしてきたぞ」
「キノ。どういう意味」
暫く這う這うの体で喜んでいたナキであったが、王都を見れば、段々と冷静になっていく。
これからナキがしている事は、ユアンとの約束だった。九年前の大事件により両親を失ったナキを、養子として受け入れてくれた貴族。英雄ユアンとの約束を、ルフリアに問われるまで何故思い起こせなかったのだろう。
「準備は良いか」
「ああ、頼む」
ゼラニムの不機嫌な問いに、ナキは当然の如く答える。
ユアンは、何をもってあんなことを言ったのだろう。少なからずあの一言は、ちょっとやそっとの覚悟じゃ言うことは出来ない。何故ならロジバルトの民なのだから。
希望と不安をないまぜにした心境で、ナキは王都を見守っていた。




