第五十七話
ライギルドは、胸に潜める怒りを持て余していた。殺しても殺しても湧き出る人間に、忸怩たる思いを感じていた。常時眉を顰め、眉間に皺を寄せているライギルドを抑制するものは、ロジバルトの誇りや、創始者である王、そして傍にいる獅子だけだった。
気性の荒い主人を宥めるように、獅子はだらけきった笑顔を彼に向けている。
「ライギルド」
その声に、即座に身体が反応する。至尊の王に自信の名前を呼ばれ、傅かない者はいない。獅子も真似して、王に頭を下げた。
「話がある」
出された注射器に、ライギルドは首を傾げる。
「これは...?」
「守護神となる薬だ」
「守護神...?」
「私はこれを持て余すつもりはない。最初はお前だ、ライギルド」
まるで天命のような提案に、ライギルドは委細を聞かずに承知した。守護神とはつまり、いつでも王の傍にいる側神レイラと同じ存在になることを指している。
彼は矢継ぎ早に上気して、注射器を首筋に当てがう。完全に液体が入る時、ライギルドの身体は膨張する。
「ガウ」
「?!」
身体が膨張する中、一体の獅子が身投げする。ライギルドに抱きついて、あれだけ穏やかだった笑顔が嘘みたいに泣いていた。感情豊かな怠けきった獅子が、主人を失う悲しさに嘆いている。
何故来たのだ。
怒りに満ち溢れる。王の為にと愉悦を感じながら往けると思っていたのに、予想外の生命体が入ったことを、ライギルドは噴火する思いに駆られていた。
ただ、彼が怒ったのは、邪魔をした獅子を嫌ってのことではなかったことだけは、確かな事実であった。
◯
「起きた...」
心の底から安堵したような声が、心地よくナキに響く。泥濘みたいな視界の歪みを追い払えば、一本の銀髪が、背景をぼかして目立っていた。流れるように髪を追っていけば、ルフリアが、ナキの顔をじっくりと凝視している。
「あぁ、やっと」
地べたに背を預けたのはキノであり、力が抜けたのか、緩みきった表情をしていた。
「良かったなぁ...」
そのままいびきをかくキノの隣にキョウがいる。傍にネリアがおり、やはり少し小さくなっている。キョウは卑屈に三角座りで周囲を窺っているようだ。イトがその隣を包帯だらけに熟睡していた。
一行は墓地周辺に座していた。
「私達もいるわよ!」
龍人特有の掌が、突然現れた。ナキの首を掴んで、強引に右へと進んでいくと、ベーレの顔面が凄んでいる。背後にいたハクビが、眉を顰めて拳骨した。
「怪我人だぞ」
「わ、分かってる」
「分かっていないから言っているんだ」
「あれだけの傷治っちゃったんだから、驚くのも当然じゃない!...せっかくあいつら追っ払ったってのに、もう死んだ奴なんて見たくないの!」
ベーレの落とす涙に、意識朦朧ながら驚嘆する。会って一日そこらの関係だが、あの快活な龍人が泣く姿は想像が出来なかったのだ。
沈黙の末、ハクビは怒鳴るのではなく、彼女の頭を撫でるだけに留めた。
「だとしても、ナキは怪我人だ」
「ベーレちゃんの涙なんて初めて見たな」
この場にそぐわぬ明快な喋りはセンプウのものであり、シニカルさも含まれていない、ただ無機質な音が去来した。
「あんたは人の心が無い」
「確かにそうだけど、それは君達もなんじゃない?」
「は?どういうことよ」
「いやいや。だって君達、あんなに里長に共感してたじゃない。私達は死ぬべきだなんて怖いこと、本気で考えちゃってたじゃない」
センプウはいやに明快に、ベーレの動揺を意に介さずに話し続ける。
「僕はそんなことどうでも良かったし、だから生きてたんだと思うけど。死んじゃった皆は君達みたいに抵抗なんてしなかったよ。力を合わせれば僕が治療出来なかったかもしれないし。君達が抵抗したっていうことは、僕と一緒だってことなんじゃないかな」
「そんなこと...!」
「無いよね。分かる分かる」
「何よあんた!!」
「何か分かったのか?」
キレるベーレを背後に回し、ハクビが得意げなセンプウに質問する。センプウは事もなげに言った。
「何って。皆見たでしょ、あの記憶」
「...」
「正真正銘、あの獅子の過去の出来事だよ。本体を破壊することで、繋がった創造力とやらが爆発しちゃったんじゃないかな。しかもそれ、僕等の思棄とかじゃない。思棄は死に腐れだけど、あれは新鮮ほやほや。完全に生きてる。爆発の勢いで舞った新鮮な気体が、僕等の全身に入った。だからあんな記憶が見れる訳さ」
センプウは、伊達に思術師なんて呼ばれていないのだ。すらすらと語られる内容には、周囲を具に驚かせる。
「?それが何よ」
「ライギルド君がくれた不思議な現象は、僕等の思棄にも関係するってことだよ。僕たちはさ、里長に共鳴したんだ」
「ライギルド君」
かつての守護神がそんな呼ばれ方をすれば、ナキは思わず呟いてしまう。話に割って入ってしまうくらいには間抜けで、肩の力が抜けた。
センプウは気にならないようで。
「里長の感じ方考え方が、遺伝子レベルで機能している。本当に気持ち悪いことだけどさ」
ハクビやベーレは何故か黙っている。ようやく上半身を上げたナキには、二人が切羽詰まっているように思えた。
「くだらねえこと言うんじゃねえ」
助け舟を出したのは、何とも意外な人物だった。初対面で殴りかかってきた、ゼラニムという龍人である。彼は胡座をかいて、ぶっきらぼうにセンプウを睨みつけた。
生きていたのか。
「くだらない?」
「それが分かって何になる。どうせ死ぬ運命だ」
「くだらなくなんかないさ。ゼラニム君は僕が助けただけだけど、ハクビ君やベーレちゃんが敵に対抗したのは、人間達と会っちゃったからかな」
そうして独りの世界へと入ってしまったセンプウに、ゼラニムは忌々しげな想念を膨らませている。
ナキと目が合うと、気不味そうに口を開いた。
「...傷はこいつが治した。お前に関しちゃ切られた手足を繋げたんだが、まあ、こいつがやったことだ」
「そうか...」
「間違っても感謝なんてすんじゃねえぞ。こいつに感情はねえ。ただのマッドサイエンティストだ。ありがとうなんて言ったら俺がぶっ飛ばすぞ」
己の全身を見てみると、手足は元通りに、完璧に繋がっていた。壮絶な戦いが夢なのではないかと思うくらいに、ナキの身体は完治している。
意識は戻ったが、ナキはまだ完全ではない。過去を辿って、そして思い出す。
「ジキラは」
「あ?ジキラ?」
「俺の友達なんだ」
「友達だ?」
ゼラニムは暫く不機嫌を維持していたが、やがて意図を理解したようだ。
「...逃げてった奴はいた。確か、お前と同じくらいの背丈だったな。白馬に跨って、飛んでったぜ」
ゼラニムの話を聞いて、心のどこかが熱くなる。熱は全神経に行き渡り、ジキラの生存を確認する。
「良かった...」
本当に良かったと、安堵の息を吐く。すると視界は開け、そこには何故か眉を顰めたゼラニムがいた。
「殺されそうになったんだぞ」
「...」
「何が良かっただ。一丁前に気取ってんじゃねえぞ馬鹿やーーーボゲァ!」
怒るゼラニムを、人独り分くらいの太った蛇が噛み付いた。頬の皮に噛みついた太蛇は押し倒し、暴れるゼラニムを防いでいる。
「おいガラン。死んでしまうんじゃないか」
「この人は死にたいんじゃないの?」
「全く...」
話しているのは、ハロドラと、そしてガランだった。二人はゼラニムを確認した後、ナキへと顔を移動させる。
「どうも」
「...ガラン」
「お陰様で、今も生きてるよ」
マフラーが、更に彼の存在感を強調させる。制帽のような帽子を被り、挑戦的な目つきは健在だ。ナキの知るガランという少年は、現在も生きていた。
「余所余所しいな」
「余所だからね」
「友達だろう」
「はぁ?そんな訳ないだろこんな奴」
「....生きてて、良かったよ」
呟く声はか細く、ナキは死んだような顔相になっていた。傷ついた心を察知して、隣にいたルフリアが話を変える。
「そう言うわけで、私達はどうやら生き残ったみたいだ」
銀髪の少女は既に立ち上がっており、差し出す仮面に息を呑む。
怒り狂った獅子の仮面を受け取って、ナキは漸く認識する。バマラッタもジャミもライギルドも、全て退いたのだと、一先ずの平穏を、ナキ達は勝ち取ったのだ。




