第四十九話
「....は?」
ハロドラの反応に全てが含まれていた。ナキとて混乱している。恐怖で圧縮された脳が元の大きさに戻ると、やがてジャミの行動を理解した。
戦禍を招いた戦斧の化体は、あらぬかたへと視線を転じ、何を思ったか、そのまま行進してしまったのだ。我を疑わないことは出来ない。惨事の中心となっていた化体が消え去り、残された者達は過ぎ去られた過去のように置き去りにされてしまった。沈黙が時を絡め取り、それに気づいたものから順に、現実へと回帰する。既に暴神ジャミは、森の奥深くへと姿を消していた。
「...」
視線を右往左往していると、ハロドラと目が合った。前のように死んだ魚の目ではなく、生気が漲っている。乾いた喉を潤すために、ナキは口を開いた。
「生きてた」
「...どっちの意味だ」
しばし目はあい続け、ハロドラは気不味い思いを味わったのだろう。ナキは以前呆けていたから、笑うことはなかった。
そんなナキに、ハロドラは視線を変えて誘導する。
奥の方に、大蛇の頭部が落ちている。瞳は動いており、生きていることが遠目にも分かった。
大蛇の口から、何者かが出て来る。よろよろと這い出てきた少年は力尽きたのか、前のめりに倒れてしまった。頭布は律儀に巻かれたままで、彼の顔面を地面から守っている。ナキは湧き起こる衝動を抑えて、緊密に口を開いた。そして、声をかけた。
ガラン。
たった一言を、吹き抜ける強風が掻き消した。白い翼をばさばさと騒がしくはためかせ、割って入ってきた腕により、ナキは宙へと浮いてしまったのである。
そのままの状態がいつまで続いたか分からない。時間が経つと、ナキは雑多に放り投げられることになる。相当遠くまで運び込まれてしまったのか、ハロドラやガランは視界の置くところでは無くなっていた。
「見つけた」
旧知の声が、警鐘を鳴らす。突然のことでも、無意識に細胞が活性化するのが分かった。
知っている。この声を、ナキは知っている。小さな頃からの幼馴染で、夢を同じくしていた。
赤い目、赤い髪。ロジバルトの象徴となる容姿を掲げ、且つナキと半生を共にした彼の名前は、ジキラという。
「ジキラ、お前..」
どうしてここに。言い終わる前に、ジキラは駆ける。悪魔となったかつての友を前に、真剣を創造する。這い寄るジキラに、ナキは狼狽した。揺らぐ視界を諌めることに全力で、創造をする余裕などありはしなかった。それでも小さな創造を成し得たのは、ここまでの経験が物を言った為である。真剣が透壁に当たると、ナキは簡単に足を崩す。たったの一瞬で透壁は中まで斬られ、足を崩さなければ腕は失くなっていたかもしれない。ばたんと力無く尻餅をつくと、瞼を開ける頃には既に、剣の切先がナキの眼前に威厳を効していた。
「ジキラ、話を...」
「楽には死なせない」
ジキラの腕が弧を描いた時、大蛇の頭部が跳ね上げられた時みたいに、ナキの左腕も、勢いよく跳ね上げられた。
「っあああああぁぁ....!!」
気付いた頃には、灼けるような傷みが切断面から襲って来る。閉まった咽喉から音が漏れでて、草地に放られた左腕を眼に刻む。全神経を集約させて、左腕の切断面を塞ぐように創造する。血液の噴水は止まることを知らなかったが、ナキが創造を決すると忽ち姿を消した。切断面の上を透壁が塞ぐと、ナキは息を整えようとした。 しかしジキラは、彼が苦しみ悶える時間を与えはするが、それ以外の時間は許す訳もなかった。
塞いだと思っていた出血は、新たな斬撃により復活を遂げる。ジキラの剣はナキの左腕を、創造物を取り除くように薄く斬った。痛覚は刺激され、痛みに震える。瞼を瞑り、再度創造する。出血は塞がれるが、待っていたかのように斬撃が賄われた。
三度の痛みが、否が応でも現実だった。ナキを見下ろす友の瞳は、悪魔のように、光り輝いていた。
「もっと叫べ。その汚い声を、死ぬまで吐き散らせ!!」
「...ぁぁぁああああ!!」
力を込めて、一歩を踏み出す。突然立ち上がる悪魔に対して、ジキラは剣を向ける。
ナキが創造したのは透壁だった。透明な硬い材質が逆円錐状に、ナキの頭から繋がっている。それと同時に、精一杯の力を込めて、ナキは反撃を開始する。
剣は逆円錐状の透壁によって押し込められる。勢いのままに、ジキラの鼻面へとぶち当たった。
沈黙が流れる。
血がどばどばと流れているので、出血部分である左腕の切断面を、創造で防ぐ。
見事に面食らったジキラは、眼光鋭く悪魔を見据えた。その口元には、笑みが貼り付けられている。
◯
天馬の姿は、森の奥へと姿を消した。ハロドラは立ち上がり、焦る眼で森を見る。隣にいたナキが、天馬に跨った一人の男によって連れ去られてしまったのである。焦らずにはいられない。せっかく生存出来たのに、これ以上命を欠いてたまるものか。
走り出そうとする脚を、背後の殺気が止める。
振り返れば遠くに、骸骨のような、長身の男が立っているのを認めた。
「弟も、天馬も殺された...」
長身の男は天を向いている。ぶつぶつと何かを呟いて、赤髪をたなびかせている。しかしそんな様子も気にならない程に、彼は異相であった。
本来の小麦色の肌を隠すように、長身の男には血液が付着していた。天を向く顔面から、喉へと垂らしている。
彼の左手には、白い馬の首があった。その馬の首を、恭しく被る。
長身の男は、遂に前を向く。死んだ馬の顔で、ハロドラを一直線に眺めた。
「もっと、王の役に立ちたかったろうに」
ハロドラは、今この里に二本足で立っている人間は、二人しかいないのだということに気付く。ガランや、ハクビやベーレも。キョウ、ルフリアまでもが地に伏している。
長身の男と、ハロドラ。両者だけが、自発的に神経を操作出来た。
踏み出す男に、ハロドラは創造する。
突起が三本に分かれた槍が、ハロドラの両手を飾った。三叉槍を持って、向かう男に構える。
長身の男は死んだ馬を顔に伴って、剣を繰り出した。三叉槍を横に、繰り出された剣を受ける。この時、長身の男でさえ吃驚した。
ハロドラの創造した三叉槍は、簡単に砕け散る。砕け散った三叉槍は創造物の欠片となり、気化するまで男の妨げとなる。隙を突き、ハロドラは懐から短刀を抜き、男の手首を狙った。
男の手首が創造物で覆われた時には、既にハロドラは飛び退っている。
「それで見えてるのか」
悪魔の言葉を解するロジバルトではない。長身の男は無視して攻め立てる。近くで見ると分かる。白い馬の目玉は抜き取られ、そこから眼窩が隠れているのを。ハロドラはぐっと短刀を握りしめ、降り掛かる剣を受け流す。面を縦にし、剣を模した創造物をやり過ごした。
かつて町の様相を呈していた時にいた鍛治師の短刀だ。高価な品だが、強者の創造物には敵わない。あっさりと刃こぼれした短刀を見て、苦々しく思う。
ハロドラの創造は彼等の足元にも及ばない。
だから、逃げるように飛び退る。ようにではなく、逃げている。暴れ牛みたいに抑制の効かない剣をぎりぎりにかわしながら、やがて湖へと辿り着いた。
「っ!」
天馬の頭を被った男の剣を受け止める短刀は、破裂し砕け散る。勢いに呑まれ、ハロドラの身体は後退した。
湖の真ん中に、一回転しながら落ちてしまう。空気のない世界へと入るにあたり、水面を見て安堵する。幾重にも渡る戦闘により、湖は土塊に汚れ、水深が未知となっていた。
腰まで出したハロドラを見て、男はなりふり構わず躍り出る。力の差を判っているのだ。ハロドラは二つ目の短刀を抜き、剣を受け流す。
しかし男は、受け流している途中に形状を変えてきた。切先が碇のような形になり、男はそれを引き戻す。ハロドラが首を左に動かさなければ、丁度脳天を刺していただろうか。犠牲になったのは右耳だけで済んだ。
「?」
尚も追従を続けようとした男は、ようやく異変に気付いたようだ。男はあっさりと水中へと沈み込むと、水面を血で塗れさせた。天馬の首が浮き上がり、吐かれる泡が遠くへと追いやっていく。ハロドラの足元には、竹馬のような創造物を賄っていたのだ。
古典的な罠に引っかかった男を尻目に、ハロドラは上を向いた。
「....」
沈黙を守りながら、男の後頭部が顔を出す。陽炎みたいに揺れる肩が見えたと同時に、天上から気配が投じられた。男は片腕を上げる。
ロープの垂らされた太い幹の上から、ハロドラが見下ろしていた。長い筒を持ち、男の腕に刺された吹き矢を確認する。
「痺れる..」
「毒の吹き矢だ。数分もすれば死ぬ」
ハロドラは緊張の面持ちで、注意深く男を眺めていた。




