第三十九話
「え、なに、これ...」
意外にも、最初の一声はキョウのものであった。それを皮切りに、里が騒がしくなる。狼の鳴き声が甲高く危機を知らせている。ライギルドが壊した家の瓦礫に埋もれた龍人を、どうすることも出来ずに狼は鳴いている。家から出てくる龍人が、二体の化体を見て戦慄した。一眼見るだけで分かる力の差。立ち尽くすだけでやっとのことなのだ。
「あれは...あの時の」
「ロジバルトだ」
ルフリアの呟きに、緊迫を持って肯定する。ガランの方舟へ飲み込まれる前に、キョウの失くしてしまったカード、とやらを巡って争ったのだ。あの時は糸目想起士がカード、を譲り事なきを得た。けれどあれはやはり狙いがあったというべきか。
獅神ライギルドの背には、当然というように糸目想起士が乗っていた。
「に、逃げよう!」
キョウがセディアの手を引いて、懇願して叫ぶ。恐怖に染まった顔相に加えて、手足が酷く震えている。今すぐにでも逃げたいであろうに、キョウはセディア達を連れ出そうとしていた。
「待て!あいつ...!」
キノは何かを見つけたようだ。指さす先に目をやると、大蛇の頭上に、人の上半身が浮き出てきた。制帽のような帽子が、ライギルドに跨っている糸目想起士へ向いた。何が喋っているのか。目印となる頭布が、彼の正体を確信させる。
目頭が熱くなる。見知った姿が大蛇と融合している。地中の大蛇と融合出来るのはただ一人。
ガランだった。
「生きてたっ!」
「今行くぞおぉぉ!!」
キノは崖のようになっている目の前をすっ飛んで、大蛇の元へと走っていく。こうしちゃいられないと、ナキも行こうとした。
「離して!」
「ようやく見つけたんだ。離す訳には行かないぞ?」
セディアの切迫した声を覆うように、知らない声が聞こえる。ただならぬ気配を感じて振り返ると、セディア は、正体不明の人間に抱えられていた。セディアが暴れても、抱える腕はびくともしない。
セディアを抱えている人間は、全身が紫色になっている。上は何も着ておらず、首元には豪奢な首飾りが付けられている。下には毛皮の腰巻きが洋袴の上に巻かれている。額には雫のような意匠がかけられている。
何より驚くべきなのは、その人間には両翼が生えていることだった。これを人間と呼称したのは、ロドスのあの話が影響している。
ナキは確信する。こいつは人間だ。
「ふむ。これがお前の仲間か?」
「フツルギ...ドウシっ!!」
聞いたこともない声で、セディアは翼のついた人間の名前を叫んだ。
ナキの額から、汗が流れ出るのが分かる。名前を聞いたからではない。目が合ったからだ。
この場にいる人間は、フツルギドウシに生かされている。
「セディアよ。お前に情けをくれてやる」
と、翼をぴくりと動かせて、フツルギドウシは言った。声音からして、不機嫌ではない。セディアの顔を上から覆うように見下ろして、にやりと口角を上げた。
「私達は観測者だ」
「なに、をっ..!」
「姉さん!!」
その瞬間、横合いから紅の騎士が現れた。ネリアは長太刀を両手に、フツルギドウシの両翼目掛けて振り下ろす。
フツルギドウシは一瞥して、ネリアの大太刀をーー受け止めた。
腕で、受け止めた。
「既に弱っているな」
フツルギドウシは簡単に、ネリアの大太刀を振り払った。ネリアは成すすべなく振り払われたが、すぐに攻めかかる。
だが、フツルギドウシは既にその場にいなかった。振り下ろされた長太刀が、草原を抉る。旋風が巻き起こり、土煙で前が見えなくなった。立っているので精一杯だったが、薄目にそれが見える。
フツルギドウシはセディアを抱えて、空にいた。
「観測していようではないか。これらが絶望に縋るその時まで」
「皆っ!!」
旋風に舞う土煙の中、ナキは薄れゆく瞼を懸命に堪えた。右手を空へと差し出して、セディアの手を取ろうと必死にもがく。けれど、瞼は無惨にも閉じられる。
「っセディア!!」
開けた先には姿は無く、既にどこかへ行ってしまっていた。開けたままの手のひらは、掴みどころも曖昧に、力無く下げられた。
何かが起きている事は分かった。明日明後日ではない。今夜それが始まったのだ。
開幕早々、仲間が連れ去られてしまった。
「あの人は大丈夫!」
開幕の衝撃によろめいていたナキを導いたのは、ルフリアだった。
「今は、信じて..!」
その言葉に、ナキは疑いもなく従った。大蛇の方へと振り返ると、そこはもう地獄絵図と化している。二体の災害が暴れた痕跡が、里を埋め尽くしていた。悲鳴、慟哭、雄叫び。龍人も動物も、悲嘆に暮れている。
「キョウさん、立てますか?」
「う、ううぅ」
ルフリアが手を差し伸べる先には、倒れたキョウがいた。情けなく呻いて、引き篭もるように顔を地面に埋めている。両腕で視界を遮り、赤子のように丸まっている。
「もう、無理だ」
「キョウさん」
「僕は、無理だ...!戦えないっ」
ぐすりと涙声に震わせながら、キョウはルフリアの手を取ろうとしない。ネリアが所在無げに、近くで留まっている。
「キョウさん、よく聞いて」
泣きじゃくるキョウを、ルフリアは叱りつけるでもなく慰めるでもない。
よく聞こえるようにしゃがみ込み、ただ伝える。
「セディアさんは大丈夫。殺されるわけじゃない。今ここで諦めたら、救えるものも救えない。あなたは戦力になる。私も、セディアさんもそう思ってる。あなたには、立ち向かう勇気があるって」
信じてる。そう言い残して、ルフリアは立ち上がる。月を背景に、里とは反対方向に向き直った。右手を振って、流れるように銀の細剣を創造する。
「来るよ」
ナキは、仮面を付けた。
ドスドスドスドスドスドスドスドスドスドスドスドスドスドスドスドスドスドスドスドスドスドスドスドスドスドスドスドスドスドスドスドスドスドスドス
正面からだ。この地鳴りは、正面の森の奥から聞こえてくる。ばったばったと薙ぎ倒される森の木々は、やはり幻視の類ではなく現実に起きている事なのだ。音の拡がりが尋常ではない。最初は羽音のような音であっても、一秒後には大地震を予感させる危機的状況となり得る。
やがてそれは現れる。
「暴神、ジャミ...っ」
大人三人分くらいの高さで、両手以外に、五本の手が背中に付いている。その五本の手には、どれも禍々しい斧を持っている。それに対して、顔はげっそりと痩せこけており、蒼白で、見ていて心配になる程だ。
ナキの知っているそれと、全く同じ。全く同じの姿形が、目の前に現れた。
禍々しい斧を振り翳して。
突如飛び出してきた巨大斧を、ネリアは長太刀で受けた。
その隙に、ルフリアが飛び出す。化体が攻撃しただけで、目まぐるしく旋風が舞う。それを待っていかのように、ルフリアは動き出した。
左手に、何かを持っている。
ネリアによってつくられた間隙を使って、暴神ジャミへと接近する。流れるように、左手を突き出した。
「何か企んでんな?テメェ」
一瞬の隙を付いた行動も、声の主によって阻まれる。暴神ジャミの上手から、刀身が飛び出してきた。ルフリアは後方に退いたが、すぐさま迫る。が、それも阻まれた。
横から飛び出して来たのは、やはりナキの見知ったものだ。何を隠そう、ルフリアの企みを防いだのは。白い天馬なのだから。
天馬に乗った想起士は、得意げに叫ぶ。
「こんなとこにいたのかぁ!!」
ルフリアの道を阻み、そのまま一直線に、想起士は目標へと向かう。憎々しげに叫ぶ想起士は、赤い大剣を創造している。聞き馴染みのある声は、腹の底から怒りに満ち満ちていた。
「ナキぃ!!!」
かつて友であった、兄貴分のような存在。ナキとは少し年上であり、想起士になることを夢見ていた同志。
まるで仇敵のように、彼はナキを襲った。振るう大剣に、迷いなどない。
カドレアは明確な殺意で、ナキに斬りかかる。




