第三十三話
「親父殿。客人を連れて参りました」
親父殿。トウロウの呼び掛ける大樹の中の龍人は、ゆっくりとこちらに向いた。
しわくちゃで、瞳が眼窩に隠れている程だ。背中は丸められ、白髪の長髪がぼさぼさとしどろもどろに混雑している。乾燥しているのか、所々の毛束はあぶれるように飛び出していた。
見るからに老齢、見るからに動くのも辛そうな親父殿と呼ばれた龍人は、それでも精気を感じさせる動きで首を動かしている。
「おお...お主達が」
精悍な声だった。しわくちゃの顔が優しい笑みをつくり、それから湯呑みをずるっと飲む。卓袱台に音もなく置き、こちらに正面になるように正座を組み直した。
「儂はロドス・アンテール。ここの長じゃ」
「あなたが..長」
「といっても、引きこもりじゃがな」
感傷にも似たセディアの言葉に、ロドスは飄々と態度を切り替える。重苦しかった大樹の中身が軽くなる。
「まあ、座れ座れ。特徴や名前は聞いてあるから省いて良い。話したいことがあるんだろう。聞いてやるぞい」
ロドスは奥から座布団を取って、を横一列に敷き始める。自身はその正面真ん中に一つ座布団を敷いて、ひょいっと軽く胡座を掻いた。
「親父殿と会う時は毎回こうでな。質素だろう?」
トウロウが困ったように笑うと、一番端の座布団に座った。次にハクビが対極に座る。
「本当に良いんですか?」
セディアが心配しているのは、ネリアのことだ。明らかに異質な紅の鎧は、里に入った時にはそれは奇異の目で見られたものだ。ただでさえ人間でも奇妙なのに、ネリアまで入られたら怪訝な顔もするだろう。それでも何事もなく入れたのは、トウロウが根回しをしてくれたからだ。実質的な里長は彼なのだと、ハクビは言っていた。
「良いとも。仲間外れにする必要はない」
トウロウの一言には、妙な説得力があった。不安を払拭されるような声だ。得体の知れない安心感にナキは一つ息を吐くと、歩き出す。皆も同じだ。座布団は使い古されていて、体重を乗せると地面の感触がありありと感じられた。ネリアなんかは、座布団の効果を完全に発揮していない。大きな身体は律儀に正座をするが、立ち上がる頃には座布団はこの後使うことはないだろう。
そんなことを気にする素振りもなく、ロドスは満足そうに笑う。
「歓迎する。ようこそ。儂の隠れ家へ」
そう言って、ロドスは座布団に座る全員を見回した。うんと軽く頷くと、見上げた先にはナキがいた。どきりと胸が跳ねる頃には、ロドスは頭をこちらに下げていた。
「まずは謝らせてくれ。儂の孫がすまなかった。あやつにはきっちりと罰をやる」
「ま、孫..?」
「ゼラニム・アンテール。儂の孫じゃ」
「「えぇ?!」」
思わず叫ぶ声は、セディアやキノやキョウと被さった。驚くのも当然で、澄ました顔をしたルフリアとイトが異常なのだ。異常というより、人に興味が無いのだ。
「あ、あいつ坊ちゃんかよ!!」
「そそそんな人をナキくんは...」
「ナキちゃんは...」
「ぶん殴ってたね」
ルフリアは何事もなくナキを見る。意味を含んだ視線に、複雑な思いになる。
ナキは悪いことはしていないと思っている。あれだけ馬鹿にされて何も言わないなんて、自分には出来ないことだ。だから、ナキは悪くない。しかし。
「す、すみませんでした...」
ロドスだって悪くない。孫の不手際に謝られてはナキだって罰が悪いし、謝罪はお腹いっぱいになる程受けてきた。それに、どういう理由であれ問題を起こしたことは事実なのだ。
「いやいや、お主が謝ることはない。あれでも孫は可愛いものでな。あやつのことを嫌いな者は多いが、これ以上増やしたくないんじゃよ」
思ったより後ろ向きな謝罪理由に肩の力が抜ける。
「でも、ゼラニムさんは何をしようとしたんでしょうか」
セディアが問うと、ロドスは嬉しそうに眼窩を揺らす。湯呑みの中の飲み物を飲み干してから、しかし仕切り直すように喉を動かす。
「その前に、お主達の目的を知りたい。まぁ、予想はついているんじゃが」
「目的..」
ナキの目的は、ロジバルトの秘密を知ること。自身の記憶の謎を知ることだ。
しかし、それはナキ個人の目的だ。ここでロドスが求めていることは違う。ナキの意識は、セディアに向けられていた。
「私..私達は、貴方方龍人に、協力を求めに来ました」
「協力?」
「はい。端的に言うなら..ーー」
その場に緊張感が迸る。セディアが息を吸う音に、皆が耳をそば立てた。
「助けて下さい!!」
突然の大声に、蛍の悪物がびくっと体を動かした。何もなかったように幹から飛んだのを尻目に、セディアは困ったような表情になっている。
自棄になるのは早くないか?
そんなことを思いながらも、ロドスを窺い見る。見開いた目は少し瞳が見えて、金色の色彩が眼窩の隙間からちろちろと姿を表していた。長くふさふさとした眉を上げて、直球なセディアに驚いている。
「助けるとな、どういうことじゃ?」
「私達と一緒に、この大陸を離れませんか?ということです」
「た、大陸?」
予想外の返答に、面食らったのはナキだった。てっきり、倒してくださいと言うのかと思ったからだ。
「そうだよナキちゃん。この森を出たら海しか無いの。だから龍人様のお力を借りて、敵の目に付かないところで力を蓄える!」
力強く握り拳を掲げて、セディアは陽気に言った。
ナキの頭が整理される前に、ロドスが口火を切ってしまった。
「敵というのは、ゴッドラメアか」
ゴッドラメア。その言葉が放たれた時、場の空気が一瞬で固まったのが分かった。
初めて聞いた言葉だった。ゴッドラメア。ゴッドラメア。心中で何度口ずさんでも初めて羅列する文字群だ。ロジバルトではそんな言葉は無いし、意味も無い。
だけど、妙に馴染みがあった。それが自身の夢に関することなのだということは、薄々感づいている。
セディアは一転真剣な顔になり、そうですーと、語尾を伸ばして答える。抑揚はいつものままだった。
「お主、どこから来た」
「ナキちゃんはロジバルト。キノちゃんは地中から。そして私達は空から来ました」
「...地中と空か」
「はい。地中と空です」
念押しするセディアに、ロドスは俯いていた。胡座の隙間を、考えるように見つめている。
「...」
「レッドレットをご存知ですか」
考え続けるロドスに、セディアは投げかける。
思わず見上げた。その言葉もまた奇妙に耳馴染みのある名前だったからだ。いや、今度はゴッドラメアの時以上だ。
俺は何を感じている?
「もちろん知っておる」
「なら知っている筈です。空で何が起こったか、ゴッドラメアや、フツルギドウシのことも」
「...」
両目を閉じるロドスの表情は、なんとも形容し難い。憎しみとも、後悔とも、諦めとも取れる。彼は今、何を思っているのだろう。
「レッドレットは九年前、空からやって来た」
ロドスは、訥々と語り始めた。この里に現れた、レッドレットという男について。ナキは興奮なのか、焦燥なのか、どちらともとれない胸の高鳴りを必死に押さえつけ、耳朶に意識を集中させる。
「大きな鳥を従えて、あやつはこの里に来た。大きな鳥、というのは、化体のことじゃな。丁度そこの騎士のような」
ネリアを話題に出されてみれば、キョウは自分のことのように慌てた。小動物のようにどこか隠れるところを探しているが、この場でネリアの背後に隠れるわけにもいかない。慌てたまま、右往左往と視線を彷徨わせている。
キノが驚くように口を開いた。
「化体を知っているのか...?」
「知ってるとも。レッドレットと鳥の化体は里に現れ、お主達のように、儂ら龍人に協力を求めたーー」
ナキは震える息を吐いて、居住まいを正した。緊張を解す方法を探しながら、進行する事実を受け止めようと必死に頭を回す。
「空でゴッドラメアが殺戮を繰り返している。カイルの中のゴッドラメア以外が全て死に絶えたならば、次はここだ」
淀みがなかった。一言一句というように、レッドレットの言葉を覚えていたのだろうか。そう思わせる程、真実味が込められていた。
「断る儂に対してあやつが最後にかけた台詞じゃ」
「断ったんですね」
「断った。関わりたくなかったんじゃ。わずか一日。あやつはその日のうちに現れて、その日のうちに里を出た。儂が追い返したんじゃ」
「その後は?」
「分からん。どこに行ったのかも判然とせん」
再び沈黙が訪れる。空気を読まない蛍の悪物は、悠々自適と視界を光らせる。少し首を振って、鈍った視界を元通りにしようと試みるが、その内誰かが沈黙を破る。
イトだ。
「では、俺達を邪険にしない理由はなんだ?まさか、心変わりでもしたか?」
「そうかもしれんな」
「じゃ、じゃあ、協力出来るってことか...?」
「いいや、協力はせん」
幾許か力強い声。ロドスは即答に、協力を断った。
思わずといった風に、キノが立ち上がる。
「しないのかよ!する流れだったじゃねえか!」
「期待させたのならば申し訳ない」
「次はここかもしれないんです。レットちゃんに言われたことは嘘じゃない」
「ほう」
「もうすぐそこまで来てるかもしれないんです」
セディアは自身の掛けた鞄から、二つの注射器を取り出した。からからと音を立てながら、それが証拠品のように翳して見せる。
ロドスの眉がぴくりと動いたのが、ナキでも分かった。
「これ、知っているでしょう」
「知っている」
「彼は二本持っていた筈です」
「持っていたが、前も言った通り追い出したので分からない」
「...そうですか。ところで、この注射器、いつから知っているんですか」
息を吐いてから、セディアは冷静になったようだ。手に持つ注射器の中身は空っぽで、容器だけが空空しく象られている。
「今は中身は無いですが、これはゴッドラメアが作ったものです。ある目的の過程で作られた、悪魔の注射器」
「人間を化体にする道具だろう。聞き及んでおるよ」
「いいえ、違います。この薬は、創人を化体にする」
そこで、両端の龍人達が小さく身動ぎした。トウロウなんかは顎に垂らされた髭が本当に少し揺れるだけで、その心境はいつも通りなのかもしれない。
「創造力の無い人間には何の効果もありません。では、創人と無人の混血であればどうでしょう」
「どうなるんじゃ?」
「貴方達のようになるんじゃないでしょうか」
セディアは挑戦的な目つきで、ロドスに挑んでいる。ロドスはと言えば、ただの真顔だ。何の感情も点っていない、呆けた翁のような表情をしていた。
「御名答」
セディアは悔しいだろう。感慨も何もない、ロドスとの遠い距離。それを感じているのはナキも同様だ。
ロドスは、話し合うつもりで招き入れたのではなかったのだ。




