第三十話
「誰?」
「なんか、ナキちゃん見てない...?」
「すっげぇ剣幕」
ルフリアとセディア、キノは、怪訝に正面に立つ龍人を眺めていた。イトが心底嫌そうにナキを見下すが、こちらは心底心外だ。
「お前、何かしたか?」
「何かするどころか、見たこともない..」
「ナキくん、頑張って...!」
キョウが無責任に応援してくれるけれど、早々にネリアの背後に陣取っている。怖い気持ちは分かるが、もう少し分かりにくくして欲しい。
馬車は完全に止まっていて、悪物は動く気配もない。白髪龍人の視線は以前ナキに向けられている。それでも、彼のような龍人は見たこともないし、そもそも龍人という人種だって昨日初めて会ったのだ。この十四年間ロジバルトにいたし、面識は絶対にない。
「ゼラニムさん。何かありましたか」
ハクビが問い掛けても、ゼラニムと呼ばれた白髪の龍人は視線をナキから移さない。
「ハクビ。俺はそいつに聞いてんだ。その馬は何だってな」
ハクビは何も言わない。他の皆も、沈黙を選択している。先程まで流れ出ていた柔和な空気が、一気に刺々しいものに変わった。ゼラニムは眉を顰めて、ナキの返答を待っている。
負けてはいけない。ナキは意志を強く持って、口を開いた。
「俺の...相棒だ」
「相棒?その馬がか?」
「そうだ」
一体何が気に食わないのか、ゼラニムは益々顔を歪めてみせた。今にも噴火しそうに、ナキだけを睨みつけている。
「肌は白く、胴体には翼がある。そうだな」
「...ああ」
質問の意図が全く掴めない。ゼラニムはリリーの何に引っ掛かっているのだろうか。里へはあともう少しなのに、ゼラニムの登場で一気に切り替わる。
「最後に一つ」
空気が更に重々しくなって、澱みのある微風が向かい風となる。内包された敵意が、ナキの脳内をどんよりと覆っていくようだ。
「お前、出身は」
「...ロジバルト」
「そうか」
ゼラニムは下を向く。胸中で何を思っているのか、全く分からない。ただ、怒っていることは確実だ。何が起きても良いように、身構える。
ゼラニムは顔を上げた。彼の表情は一転して、冷静なものだった。
「その馬を引き渡せ」
たった一言。それだけ言って、彼はその場に立ち尽くしている。
「どういう事ですか。見覚えがあるのですか?」
「お前達に言う必要はねえ。黙って言うことを聞け」
なんとも強引だ。有無を言わさない迫力を持って、布に包まれたリリーを睨んでいる。
「あいつ、何だ..?」
「昨日言った森の監視人よ。森中の動物使って私達のこと見てたんでしょうね。老害よ、老害」
「聞こえてるぞ、ベーレ」
うぎ、と肩を驚かせて、ベーレは気まずそうにゼラニムを盗み見た。
森の監視人。昨日小屋までの道中に聞いた話だと、里の周辺を、自身の手懐けた動物によって監視している森人だ。森に住んでいて、里周辺で起こったことはゼラニムを通して里に伝えられる。
ナキ達を里に迎え入れるという里長の判断をハクビ達に伝えたのは、ゼラニムの筈。今になってその邪魔をしたということは、やはりリリーに思い当たることがあるのか。
「早くしろ」
「引き渡すって...あんたにか?」
「そうだ。簡単なことじゃねえか」
そんなこと出来るわけがない。会って間もない、それも敵意のある人間にリリーは渡せない。渡せるものか。
「ゼラニムくん。一体どうしたのさ。そんな顔してたら、渡せるものも渡せないじゃないか」
「うるせえよ。お前は次の作品でも考えてろ」
「うーん、それもそうか...」
センプウはドスの腹を壁にして、顎に手を当て熟考し出した。ドスは嫌そうに顔を顰めるが、センプウはお構いなしだろう。ぶつぶつと何かを呟いている。
「うーん。臍の緒もまだ使い道あると思うんだよなぁ...。今度は子宮を煮沸してみたりしたらどうかな。熱に強い動物が出来たら面白いぞ」
「本当、気持ち悪いこと考えますね」
ドスが辟易と疲労を隠さないでいる。馬車に揺られている時間、ドスは側で延々とセンプウの呟きを聞かされ続けているのだ。無理もない。
ただ、今は同情している場合ではない。ゼラニムの物言いは傲慢で、それでいて目的が不明だ。だからこそ、ナキは慎重な発言を意識する。口を開きかけた時、横にいたハクビが一歩前へ出る。ナキと、その後ろにいるリリーを守るように。
「何が目的ですか。知る必要はないじゃ済まされないでしょう」
「目的?そんなの簡単だ。そいつを埋めるんだよ」
「それなら結構。里の墓場に埋めることとなっていますから」
「なんなら小僧も一緒に来ればいい。ペットなんだろ?」
「馬鹿にしないで頂きたい。己の愛した動物が死に至る。その気持ちを解らないあなたではないだろうに」
「墓場にこだわらなきゃ良いだけだ」
平行線だ。ゼラニムには全く聞き入れる様子がない。かといって、ナキだって嫌だ。リリーを看取ると決めたのだ。どこぞの龍人に好き勝手されて堪るか。横柄な態度で譲歩されたって、信用出来るわけがない。
ナキはゼラニムに、凄く憤っている。
「リリーは渡さない」
「あぁ?」
「お前みたいな奴に、リリーを渡せる訳がないだろ」
気持ちのままを言ってやる。精一杯の威勢を込めて、ゼラニムを凌駕する程の怒りを込めて。
「良い度胸じゃねえか。小僧」
「小僧じゃない。ナキだ」
「そんな所で威張られても、説得力の欠片もねえな。そんなに馬が好きなら、仲良く埋めてやるよ。ハッピーエンドじゃねえか」
「上等だよ。ぶん殴ってやる。」
ナキはすぐさま馬車を降りようとする。縁に手をかけた辺りで、肩やら腕やらを抑えられた。これでは降りられないではないか。
「離してくれ」
「い、いや、ちょっと待ってナキちゃん!」
「落ち着けよ!」
「ナキ君。ここは私にーー」
「すみません。ハクビさん。でもーー」
ナキはハクビの龍然とした手首を握る。裾越しにでも、彼が鍛えていることが分かる。掴まれた肩に、爪は食い込んでいない。人間の掌とは全く違う感触だ。ごつごつとしていて、指の辺りがチクチクと少し痛い。
「黙ってられないです」
◯
「あいつって、意外と怒りっぽいよな」
キノはゼラニムの元へ歩いていくナキを眺めながら、誰にともなく呟いた。肩を怒らした歩き方は、完全に周りが見えていない。赤髪が燃えているようだ。腰に付けた仮面が歩くごとに揺れている。
「そういえば、ガランにロジバルトを馬鹿にされた時も怒ってました」
「んー...やっぱり故郷は大事なんだね」
「洗脳が解けていないだけだ」
イトが、塵を見る目でナキを睥睨していた。この男はよく分からない。方舟でも幾度か話した事はあるのだが、いかんせん憎まれ口以外叩かれた事がないのだ。キノは見上げて、しょうがないものでも見るように言った。
「お前、あいつに厳しいよな」
「お前は随分入れ込んでいるようだ。ロジバルト君という呼び方は辞めたのか?」
「ああ、辞める。入れ込んでるつもりはないけどな」
「ロジバルト君って、よく考えたら恥ずかしいよね」
「確かに。蓋を開けてみたらどの口が言っているのか分かりませんね」
ぐうの音も出ない。段々と刺すルフリアの言葉には邪なものなど何もなく、ただセディアに納得しているだけだ。
セディアは姉ちゃん、ルフリアは嬢ちゃん、イトはおっさん。あの時はそれで良いと思っていた。ジェメドを倒せれば良いと思っていたし、地上になんて出るとは思ってもいなかった。
「セディア、ルフリア、イト、だな」
思い出しそうになるのを誤魔化すように、彼女等を名前で呼ぶ。最後の方には力を込めて。セディアは満足したように、その口端をにんまりと上げた。
「でも、ここで勝ったら格好良いわね」
愉快に眦を歪めて、ベーレはナキとゼラニムを見物している。何度見ても不思議だ。見たことのない姿形。本でしか聞いたことのない龍人という人種。御伽話の中だけのものとしか思っていなかったキノには、目の前にいても信じられない。
「ハクビ、どうして行かせたんですか。どすはあの子供がゼラニムに勝てると思えねえですよ」
ぶつぶつと呟いているセンプウを腹に携えながら、ドスは納得のいかない様子でハクビに聞いた。
「私が止めてもその場凌ぎになるだけだと思った。追々問題が募るなら、ここで決着をつけるべきだ。なに、ゼラニムさんは機嫌が悪いくらいで生き物を殺すような人ではないさ。それに、私達がいる。ゼラニムさんの目的が叶う事はないんだ」
「あの人、なんで今更邪魔しに来たんだろ」
心底分からないというように、ベーレは縁に顎を乗せた。
「ナキくん。勝てるかな...」
ネリアの後ろから、心配そうにキョウが顔を出す。キョウはキョウで、本当にナキを心配しているようだ。確かに、ゼラニムの強さは未知数で、しかも相手は龍人だ。何をしてくるか分かったものではない。
「まあ、あの人あんま強くないし、大丈夫じゃない?」
あっけらかんとベーレは言うが、果たして信じて良いものか。
ゆっくりと歩いていくナキは、腰につけた仮面を握った。それを顔につけ、立ち止まる。
キノには分かる。それは戦闘の合図だ。
◯
馬車を降りて、ゆっくりと歩いていく。ゼラニムはその場から微動だにしない。ナキが一歩踏み込む度に、ゼラニムの表情は強張っていく。
踏み締める草はナキの体重をも受け流して、元気に酸素を取り込んでいる。空気はロジバルトにいた時よりも格段に澄んでいて、息を吸うだけで気持ちが良い。
ゼラニムを正面に、ナキは立ち止まる。
「さっさと馬を引き渡せ」
「嫌だ」
緩急を持たせずに即答する。空気を切るような、煽るような返答に、ゼラニムは些か驚いたようだった。
ナキが腰につけてある仮面を被りだしたからだろう。仮面は獅神ライギルドを模ったものであり、幼馴染であるアイザがくれたものだった。怒り狂っている獅子の仮面は、通常のライギルドの表情だ。そんなこと知るはずも無いゼラニムは、ナキの行為をどう捉えたか。
「はっ」
吐き捨てるように、ゼラニムは笑う。敵意に満ちた目は、ナキだって同じだ。
ゼラニムの空気が変わり、右足の爪を地面に食い込ませる。膝小僧が動き出したのを見て、透壁を創造する。
ゼラニムが飛んだ。ナキに向かって、小手を嵌めた右拳をぶつけるつもりだろう。
腰に力を入れる。意志を前に向け、迫ってくるゼラニムの拳をーー受けた。
鉄の籠手の感触が、透壁越しから伝わって来る。威力の振動が、全身を震わせた。びりりとした重い痛みが血流のように流れる。
けれど、体勢は崩れない。
左拳の面に透壁を創造する。ゼラニムの纏っている籠手のように、左拳の面に透壁が創られた。
透壁で守っている隙に、左拳で横にぶん殴る。
「ごはっ..!」
それは、ゼラニムの横っ面に完璧に当たった。ゼラニムはよろけて、咳き込んだ。見上げたところを、ナキは見逃さない。
「本気でかかってこい。ぶっ倒してやる」
ゼラニムの表情は、直ぐに本気に切り替わった。




