第二十九話
センプウは、里の思術師として名の通った有名人だそうだ。幼い頃から変人で、人を驚かすことに人生を賭けている。そんな性格だから、皆に嫌厭され、思術師として名を馳せた。
「そしてその僕が創った傑作がこの樹蚊っていう訳。見てよこのフォルム。良いでしょ。良いでしょう..?」
淡々と自己紹介を済ませるセンプウは、巨大蚊の悪物ーー樹蚊を紹介する頃には目をぎらぎらに輝かせ出していた。胡乱な目付きで、樹蚊の胴体を手のひらで撫でている。巨大蚊の悪物は嬉しそうに羽をばたばたと振っている。羽音が凄い。
「センプウさん。早く終わらせてください。彼等の怪我は重症だ」
「えぇ?仕方ないなぁ」
思術師とは何ですか。そんな質問が湧き出てこない程に、ナキ達は怯えていた。察しが付いていたからだ。
「まあ、確かに早くしないとやばそうだね。特にそこのお嬢さん」
びくっと肩が震えるのを、ナキは目撃した。
センプウが指差したのは、全身が血で塗れているルフリアだ。銀髪は自身の出した血で固まっており、顔つきも蒼い。ふらつきなどは無いものの、今まで倒れていなかったのが不思議なくらいだ。
顔つきはこんなに蒼ざめていただろうか。
「最初に聞くけど君達のその傷、毒とかじゃないよね」
「...はい」
「見る限りもそんな感じだね。じゃ、やろうか。これから血を吸うけど、そんな多くないから。お嬢ちゃんはぎりぎりだけど、まあ大丈夫だね」
あっさりとした態度が、何故か恐怖を与える。何の気無しに近づいていくセンプウの腕には、選抜された樹蚊がルフリアを捉えた。そして、センプウの腕から離れていく。
羽音を立てて飛んでいく巨大蚊は、不規則な飛び方で、ルフリアの顔面へと突入した。
「.....」
人間と悪物は分かり合えない。ルフリアの気持ちなんか、樹蚊は理解出来ないし、しようとも出来ない。所詮、悪物は悪物だ。
「うわぁ...」
キノとセディアが一緒になって引いている。ルフリアの顔面に張り付いた樹蚊は、蚊足を動かし体の向きを変えた。ルフリアの右上腕に口吻を近づけると、そのまま刺した。
ちゅーーーと、樹蚊は体を振って血を吸っていた。血を吸うたびに胴体が赤く膨らんでいく。
意外にも速くそれは終わったが、膨らんだ胴体が、ルフリアの死んだ顔に押し付けられている。
地獄だった。
そんな感想を全員が持った時、そろりそろりと音を立てずに、ラバウが植木鉢を持ってきた。馬車から持ってきたのだろう。センプウに渡して、そそくさと戻っていく。
植木鉢には、花の咲いた小木が植えられていた。大人の上半身ほどあり、白色の花びらが咲いている。花びらは一つ一つが大きくて、花弁一枚で人の手のひら程の大きさがあった。
「これは寮木といってね。そんな面白くはないけど、樹蚊を創るに当たって多大な功績を成した便利な作品だよ」
説明ではない説明をして、センプウはそのまま突っ立っている。
戻ってきた樹蚊は、迷いなく寮木へ張り付いた。寮木と樹蚊の体長は然程変わらず、異様な光景だ。樹蚊は先程のように蚊足を動かして、やがて決めたようだ。口吻を幹に刺し、赤く膨らんだ胴体が萎んでいく。
やがて全ての血を入れ終わった樹蚊は満足したように、センプウの腕へと戻っていった。
「うん。ビリーメルちゃん。お嬢ちゃんのこと見てあげてて。寮木が色付いたら片っ端から貼ってっちゃっていいから」
こくこくと頷きながら、ビリーメルは寮木の生えた植木鉢を小屋まで持っていく。扉を開けて、ルフリアに手招きしていた。完全に蒼ざめているルフリアは、素直にビリーメルに従っている。余程堪えたのだろう。彼女らしさは消え失せ、萎れている。
「じゃ次は...君かな」
センプウの指差す先には、ナキがいた。じわじわと近づいていく樹蚊に、身構える。
かさかさと動く癖に、体躯は大きい。羽も大きいので、更にでかく見えるのが憎たらしさを増している。
樹蚊のは羽音を伴って、ナキに向かっていく。どう見ても気持ち悪い。こんな悪物を創って、センプウは一体どういうつもりなのか。
樹蚊の奥に見えるセンプウの目は、楽しんでいる。
「ぐっ...」
先のルフリアのように、樹蚊ーー悪物に、顔面を触れられる。蚊足が口吻の刺せるところへ、目紛しく動いていた。
悪物が、ナキを蝕んでいる。
ナキは、透剣を想像していた。そして、完全に、完璧に殺すために、悪物へ向ける。
「はぁ...はぁっ」
「ちょちょ、ちょっと!何してんの!」
センプウが、慌てたように駆け寄った。視界にうろつく悪物が鬱陶しい。息を荒げて、ナキは自身のしたことを他人事のように俯瞰していた。
ナキは、悪物を振り払っただけだ。悪物はナキから離れ、センプウが喚いた。しかし実際にナキがしようとしたことは、樹蚊を透剣によって殺すことだった。創造力が残っていなかったお陰で最悪の結果にはならなかったが、周囲はどう見るのだろうか。
「今、殺そうとしたよね?」
「...すまん」
「はぁ?」
「すまんっ.....」
「お、おい...どうした?」
キノが心配を表に出している。セディアが難しい目でナキを見る。センプウは責めるように目尻を窄めた。
一瞬だけ、湧いてきたのだ。樹蚊を見た時、刷り込まれてきた思考回路が流れ出した。悪物とは、悪魔から発される瘴気に飲まれた、忌まわしい動物ということ。その言葉通りに、体が動いてしまったのだ。今はもう衝動は無くて、己のちぐはぐさに苛まれていた。
「もう大丈夫だ。すまなかった」
「いや、すまなかったじゃなくてさ」
「怪我は治さなくて良い。すまなかった」
一方的に言ってから、頭を下げる。センプウの目も見れずに小屋の壁に腰掛けた。心のざわつきを落ち着かせるには、どうすれば良いのだろう。とにかく、一人にならなくては、皆に迷惑をかけてしまう。
「受けて貰うぞ」
襟元にぐいっと引っ張られる。頭上から降りてくるのは、ハクビの声だった。
「処遇は里長に会ってからだ。それまでは、多めに見るさ」
ハクビはまたも微笑して、ナキに笑いかけた。
◯
樹蚊の吸った血を、植木鉢に生えた寮木に注入する。すると注入された血を栄養分にして、寮木の花弁は開花する。色付くのだ。白色だった蕾はは緑色の花弁を咲かせて、その花弁を傷跡に付ける。すると傷跡は癒やされて、みるみる回復していく。寮木と樹蚊は一緒になっているようだ。
「ぎゃあああああ!」
これまで気絶していたキョウも、目が覚めたようだ。樹蚊をやろうと思ったのだが、ネリアが邪魔をして断念になった。幸いキョウの傷は然程でも無い為大丈夫そうではあるが、なんとなく卑怯だと思った。
「寝たら治ってるよ」
センプウの言に従った。従うしかないのだ。ロジバルトから逃げてから、まだ何も分かっちゃいない。
小屋には天然の絨毯が敷いてある。羊毛が気持ちよくて、これであれば床でもぐっすり寝られそうだった。花弁が剥がれないように気をつけて床につくと、疲労もあって、皆気絶するように眠ってしまった。花弁のひんやりとした冷気が心地良い。疲れていたのだ。ネリアは入れないので、キョウと一緒に野営している。つくづく面倒臭いとベーレが愚痴を溢していたのをハクビが嗜めていたが、初対面であれば致し方ないだろう。
小屋の周りには龍人達が警戒をしてくれていた。これでは補導ではなく護送と言っても良いほどの待遇だ。ハクビを思い出して、なんとなく安心する。彼の笑顔は、ナキを肯定してくれているようだったから。
微睡の中、ナキはじっくりと瞼を閉じた。
「うお、治ってる」
キノの驚く声が目覚ましとなって、目を覚ます。羊毛の心地が良すぎて、まだ眠っていたい。そんな誘惑を断ち切るように、ナキは上半身を無理に起こした。すると、ぱらぱらと花弁が落ちていく。羊毛絨毯に、くしゃくしゃになった花弁が落ちていた。一本の毛の先に支えられる程軽くなった花弁は、埃色に変色していた。
全身は、漲るくらいに快調だ。目覚めたすぐでまだ眠たいが、体の調子が良いので直ぐにでも動ける。
一番重症であったルフリアが傷一つない。キノの右腕は治らないが、もう創造で傷口を塞ぐ必要はなさそうだ。皆怪我は治っていて、樹蚊と寮木、センプウの凄さを実感した。
「皆おはようー」
「あのハゲの言ったことは本当のようだ」
セディアの間の抜けた朝の挨拶に、イトは仏頂面でいつも通りに人を刺した。聞かれていないか少し怯えるが、傷が治ったのと、快眠出来たことが左右して、お腹が鳴った。
「はは、そりゃそうだ。あんな動いてこれまで何も食ってないからな。あー、俺もお腹空いた」
「キノ、邪魔だ」
「あ、すまん。お前また寝んのか?」
キノを無視して、羊毛に包まるようにしてイトは寝息を立てた。ご丁寧に花弁を集めている。
「ルフリアちゃん、大丈夫だった?」
「地獄ですよ。あれは」
「もう怪我したくないよね」
ルフリアはげんなりした様子で顔を歪めていた。各々付いた血は昨日の時点で取り払っているから身も綺麗にはなっている。
ナキは扉の方へ歩く。彼等に会って、話がしたかったからだ。
「たのもー!」
「ぶへっ!」
ばきばきばき。取手を掴むと同時に扉から嫌な音が鳴り出した。声がすると、扉が開き、ナキを殴った。鼻面に当たって、壁際まで押しやられてしまう。勢いが良すぎる。
木製の扉の先から、ちょこんと不思議そうな顔のベーレがこちらを見た。
「何してんの?」
痛そうに鼻の辺りを抑えるナキを見て、湧き出る感想がそれか。純粋な疑問に、色々な感情を見失ってしまった。
ただ、これだけは言いたい。
「それ、外開きだからな...」
「え?」
ベーレは惚けた顔をして、握る取手を見やる。手前に引くと、皮一枚で繋いでいた命が軽々と壊れてしまった。
壊れた扉を茫洋と見るベーレの顔が、段々と蒼ざめていく。あわあわとし出すと、案の定、外からハクビの声が襲い掛かった。
「ベーレ」
「ご、ごめんなさい!」
「あっははは!」
壊した扉を慎重に立て掛けてから腰を折って謝罪するベーレに、セディアが面白いものでも見るように笑い出した。
「お前、大丈夫か?」
「...痛い」
キノが心配の言葉をかけるが、十中八九冷やかしだ。にやにやと下から覗き込んでくる。
その下から、銀髪が視界の隅に映った。
「気をつけて。怪我したらまたあいつの餌食だから」
ルフリアの顔は冗談ではない。出てくる鼻血を必死に拭って、ナキは胸を張った。
ベーレの謝罪も粗方済んだところを見て、外に出る。
以前から焚き火の匂いが鼻腔を擽っていたので、予想はしていたのだ。イトもやはりお腹が空いていたのか、いつの間にか起きている。
目の前では、肉を炙るドスがいた。大きな焚き火に、大きな肉。溢れそうになる涎を飲み干して、思わず期待の目を向けてしまった。
ドスは、その視線に気付かなかったようだ。獲物を見る目を光らせて、焼かれた肉に肉薄した。
ドスが食べる前に、肉は簡単に奪われた。獲物の目をしたドスが一瞬呆気に取られて隣を見ると、ベーレが呆れ顔で肉を持っていた。
「ドス。食いすぎよ」
「ベーレ!やっていいことと悪いことはあるんですよ!」
「いや、これあいつらの分だから」
「関係ねぇですよ!!」
そう言って指差す先には、小屋から出てきたナキ達に向けられている。ドスは聞いたこともない凶暴な声で、ベーレの肉を奪おうとする。
「本当に、良い加減にしろ」
それを止めるのは、またもやハクビ。ドスの首根っこを掴んで、どすの効いた声で凄んでいる。首に爪が食い込んで、今にも血が出そうだ。
「...しょうがねえですね」
ドスが不承不承受け入れる。拗ねた声音は、絶対に納得していない。
はあと、深い溜息をハクビは、本当に苦労していそうだ。巨漢のハクビを片手で引き摺って、こちらに寄ってくる。もう切り替えたのか、ナキ達にはもう微笑を携えていた。
「おはよう。怪我は治ったようで何より」
「お、おはようございます」
先頭はナキだったものだから、ついつい返事してしまった。こういった場にはセディアがいいのではと思うが、ハクビは満足したようだったのでほっと安堵する。
「早速で悪いが、里長の許可が出た。朝食を済ませたら直ぐに出立しようと思うが、問題は無いか」
「ももも問題無いです!」
後ろから、セディアが急いた様子で承諾する。
まずは龍人の里に行く。ガランの方舟で教えられた目的は、ようやく果たせそうだ。
◯
朝食を食べ終わり、馬車に乗ったナキ達は、ハクビに従って馬車に乗っていた。ラバウ、ビリーメルは小屋で別れた。彼等は元々あの小屋で巡回終わりの休憩中だったようだ。
筋骨隆々の馬は大人数を乗せていてもとても速い。嘘みたいなのが、この速さでネリアを乗せていることだった。壊れない馬車も、景色が見えないくらい速く走る馬の悪物も、ここに来てから驚かされてばかりである。
里までは案外近かったらしく、何事も起こることなく、あっという間に里の景色が見えてくる。
「すっげぇ..」
「でしょ?でしょ?」
キノの感嘆に、ベーレは得意げだ。得意になるのも頷ける。見たこともない景観だったからだ。
緑溢れる大木達の中に隠れるように、そこはあった。唸るような起伏の入り口の先には、起伏に富んだ家々が建てられていた。自然な崖がそこかしこに点在していて、そこには家屋の他に滝や大木郡が点在している。家屋は自然かと思う程溶け込んでいて、古代の人工物のように、枝や蔦に絡まれている。
何より壮観なのが、奥の一際大きい大樹だ。神秘ともいえるような巨大な木が、里を模っている。
入ってはいけないような気がして、手に汗が流れ出た。
リリー、あともう少しだけ待っててくれ。
後ろの相棒に声をかける。綺麗な布に包まれたかつての相棒は、当たり前のように反応しない。布越しに体を撫でても、反応なんかしてくれない。
けれど関係ない。ナキはリリーに声を掛ける。ちゃんと看取ってやりたい。そんな気持ちは、時間を追う毎に増大していく。
「ゴーン、止まれ!」
ふと、どこからともなく声がした。同時に馬の悪物が止まり出して、馬車も止まってしまう。里は未だ遠目に見れる程度だ。ここから歩いて行くというのも変な話だと思って、窺うようにハクビを見る。彼は、焦りを孕んだ感情を、その瞳に宿していた。
振り返る。するとそこには、龍人が立っていた。白髪に、二本の角。陽炎のように揺らめく尻尾が、彼以外を熱していた。長髪を一つに纏めていて、背には弓を背負っている。拳につけられた籠手には、先端に棘が生えている。
警戒心を剥き出しにした視線は確実に、ナキに向かれていた。
「そこの小僧に聞く。その馬は何だ」
明らかに、敵意があった。




