第二十八話
「その馬は、死んでいるのか」
セディアの説明を通り抜け、一人の龍人は聞いた。ナキは死んだリリーを見つめているから、背後にいるどの龍人が喋ったのか、皆目見当がつかない。
「うるせえよ」
キノの怒気を孕んだ声が、夜の微風に乗って届いた。
「それはなんだ」
「お前、何なんだよ」
「こっちの台詞でしょうが。補導は大歓迎なんでしょ?なら従いなさいよ。そのでっかい奴、暴れないでしょうね?」
「ベーレ、やめろ」
女の龍人は、勝気に煽っている。声音だけでも、彼女が楽しんでいることが分かった。
毛並みを撫でる。
「...幼馴染だ」
「はぁ?!それが?!ばっかみたい!」
「ベーレが馬鹿を笑うとは。世も末ですね」
「どういうことよ!」
「馬鹿が馬鹿を笑い出すのは、吃驚するくれぇ下品ですよ」
「はあああぁ?!」
ダン!ダン!と、地団駄を踏む音がする。音は大きく、それだけでベーレという龍人の力を想像出来てしまう。
ナキは、やっとのことで振り向いた。この毛並みを触っていれば、振り向いてもリリーがいなくなることはないだろうと思ったから。
地団駄を両脚で踏んだと思っていたが、そんな予想はあっさりと裏切られた。彼女は長い尻尾を、地面に勢いよくぶつけていたのだ。尻尾が地面に付くたびに、地面の穴は抉れていく。尻尾の威力に、ナキの眉は微かに曇った。彼女が両頬を膨らませながら対立しているのは、風船のように膨らんだ大漢だった。顔も風船のように膨らんでいて、全てが丸い。けれど、腕や胸、腰や脛辺りの鱗が、彼を龍人として際立たせていた。
その後ろ、先程からキノを見つめているのは、袴を羽織った龍人だ。鱗は着ている袴によって隠されて、二本の角が額に付いていなければ、肌は赤みがかっているものの、この距離では人間にしか見えなかっただろう。
「ベーレ。ドス。黙っていろ」
「なんでどすまで」
「なんで私まで!こいつが煽るからいけないんじゃない!」
「ベーレがあまりに下品だから、しょうがねえじゃねえですか」
「だからその下品ってやめてよ!私は下品じゃない!」
「どすはそう思うってだけですよ。ベーレがそう思うならそうなんじゃねえですか」
「あーーーもう!ハクビ!あなた、はっ...」
ベーレの勢いが突然鳴りを潜めた。理由は明白で、袴の龍人の顳顬に、青筋が立っていたからだった。厳しい眼で、ハクビと呼ばれた龍人はベーレを見つめる。
ベーレははの口で止まり、感情のままに立っていた尻尾をげんなりと地面に付けて、そそくさとハクビの後ろへ逃げていく。怒らせたハクビの後ろに隠れるように逃げていくというのも、なんだか変である。ドスも、そっぽを向いて一歩後ずさる。ハクビは溜息を吐いて、黒い瞳をキノに向けた。そして、腰を折る。
「すまなかった」
思わぬ行動に、キノは目を見開いた。かくいうナキも、誠実な対応に肩を揺らす。
「私はハクビ・アンテールという。こちらはベーレ、ドス。重ねて詫びる。すまなかった」
もう一度謝罪をするハクビに、静寂が包まれる。間に挟まれる形となったセディアは、毒気が抜かれたようにハクビを見つめていた。思っていた対応と違かったのだろうか。いくらか力が抜けている。
「ここで一息吐くというのも可笑しなことだ。しかし里へ行くのも、些か手間がかかってしまう。近くに小屋がある。一先ずそこで応急処置をした方が良いと思うが、どうだろうか」
ハクビの後ろでは、ベーレが慌てている様子が窺える。恐らく、反対なのだろう。ドスは未だそっぽを向いて、どうでも良さそうに自然を眺めている。肥満した尻尾を、ゆらゆらと退屈そうに揺らしていた。
「お願い、します」
思わぬ提案に、セディアは承諾した。ハクビは頷き、視線はナキに移動する。
ナキだけが立ち上がっていない。置かれた状況が、酷く間抜けに思えた。不安に思って、振り返る。もう生命ではない、かつて相棒だった死体を力無く掴む。暖かかった死体は、前より冷たくなっていた。
「里には、墓があるんだ」
一際大きい声だった。ハクビの声に振り返ると、目が合った。黒の瞳がナキを移すと、彼は満足したように微笑した。
◯
いつ報告したのか。ナキには分からない。
ハクビが言うには、この大森林を監視している森人がいるらしい。その龍人は好んで森に居付き、里周辺を監視しているのだそうだ。
ナキ達がここに現れた側から、もしかしたら報告はされていたのかもしれない。恐ろしいが、だとすれば今も監視されている可能性が高い。
ハクビの腕には、死んだリリーの身体が丁寧に持たれていた。ナキは自分で持とうと思ったのだが、それだと傷が痛んで動けなかった。意地を張るナキを、ハクビは優しく応対してくれて、ナキも渋々ではあったが、リリーを預けたのだ。
キョウは、未だ気絶していて、ネリアに丁寧に抱かれている。
小屋には、三人の龍人が待ち構えていた。小屋の横に馬車があって、筋骨隆々の馬が一頭、凛々しく立っていた。
「お、本当にきた。...痛そう」
「....」
狼に乗っている龍人が、眉を顰めて苦々しい顔をした。少年のような龍人の角はやはり二本あって、肌も赤みがかっている。隣にいるのは、全身を覆う墨色の上着を羽織って、更に仮面を被った龍人だ。ナキ達の姿が見えると、仮面の龍人はぺこりと頭を下げた。つられてナキも頭を下げると、仮面の龍人はこくりこくりと嬉しそうに、感情を表現している。
三人目は無視して、奥の小屋を見る。小屋といっても中々大きい平屋建てだ。ネリア以外の全員が入っても、何ら問題は無さそうであった。
「あれ、驚いてくれないな」
三人目は無視して、小屋を見る。木造建築で、意外に普通な小屋に吃驚する。何せ、この大森林は、木からして変梃なのが多いからだ。紫色の幹は完全に触ったらいけないし、根のようなものが網状に立ちはだかっているのも、恐らく触ってはいけない。遠くには歩いている木まであって、この大森林の悪物は、ロジバルトにいる悪物とは一線を画している。
「おーい。おーいってば」
耳元で、羽音が鼓膜を破らんが如くに犇めいている。背筋の鳥肌を必死に隠す為、三人目を無視する。
ここに来るまで悪物は至る所にいたが、襲って来る気配はなかった。
龍人は悪物に襲われにくいらしい。 龍人であっても襲ってくる獣はいるが、大体の悪物は龍人に友好的であると、ハクビは言った。
「なんで無視するのかなぁ?視界に入ってるよね?これ」
無視。無視だ。羽音に紛れる陽気な声に、人のことをなんとも思っていない抑揚の無さを感じる。
視界に黒のそれが入ってきて、逃げるようにそっぽを向く。
「あのさぁ...君達怪我治らなくて良いの?」
逃がさないと言うように、声の主はそっぽを向いた視界の先に回り込む。目線は合っているのだろうが、それを覆う虫が対面を阻んでいた。
「うおおぉぉぉ...!!」
慟哭した。頬に羽が当たる。視界にそれが映るごとに離れたくて、震える弾みでのけ反るようになっていく。
声の主の全身に張り付いているそれの形容は、明らかにそれだった。
三人目の龍人の全身に付いているのは、巨大な蚊であったのだ。
「あっははははは!中々珍しい反応!」
巨大蚊達の中にいる龍人は心底愉快な声で笑った。ナキは逃げるように小屋へ走ると、ラバウとビリーメルはドン引きだ。
「や、やめろ!来るなぁぁ!!」
「あっはははははぁ!」
目標をキノに変えた巨大蚊纏いの龍人は、気狂いのように笑っている。逃げるキノを追っ掛けて、怖すぎる。キノは必死に、左腕の中にいるジェメドを守るように逃げていた。
「ナキちゃん。ドンマーイ」
「私じゃなくて良かった...」
いつの間にか、隣にセディアとルフリアが集まっていた。ナキの肩に手を置いて、セディアは無感情な笑顔で同情してくる。ルフリアは逃げ惑うキノを青い顔で見つめている。
その後ろには、イトが腕を組んで小屋を眺めていた。腕を組む挙動がいつもより少し早いことから、イトも嫌がっていることを認識する。
それはそうだろう。あれは駄目だ。
「センプウさん。やめてください」
「こんな初々しいリアクション、楽しまないと駄目でしょ!」
「やめて、ください」
二分割したハクビの真剣さを感じ取ったのか、巨大蚊纏いの龍人は素直にキノを追うのをやめる。
ハクビはまたもや謝辞を述べる。なんだか苦労していそうで、同情の余地が湧いてしまった。
ハクビのお陰でまとまったナキ達は、取り敢えずの紹介を済ませる。
狼に乗った少年の龍人は、ラバウという。薄茶色の髪に一本角、薄茶色の瞳。眉は太いが細身で、狐のような印象を受ける。彼が乗っているのは狼ではあるが、ラバウと瓜二つだ。本当に似ている。全身の毛並みも薄茶色であり、狐のような顔立ちをしていた。
仮面の龍人は、ビリーメル。仮面は桃色で、真ん中に大きな目がついている。目の縁に段が出来ているので、立体感のある仮面だ。髪は黒で、彼女も一本角だった。声は出さずに身振り手振りで挨拶をしていた通り、彼女は人と喋るのが苦手らしい。
「ねえ、これを機に顔見せてよ。ついでに声も!」
ベーレのお願いに、ビリーメルは顔をぶんぶんと横に振っている。両手でベーレを遠ざけて、ベーレはそれがお気に召さなかったようだ。
「挙動が可愛いからって、満足するには早いわよ。あんたの笑顔を見せなさいいいいいいい!」
「?!っ!!!」
ベーレの両手が、ビリーメルの仮面に集中する。ビリーメルは心底から慌てた様子で、ベーレに怯えている。怯えながらも、迫る両手から必死に仮面を庇っていた。
ハクビが止めなければ、仮面が取れていた。少し残念に思った自分に、嫌気がさした。
「主張は良い奴だな」
キノがころころと笑うと、忙しく顔面を蒼白にさせた。予感して、正面を見る。うっと喉が閉まる感覚がして、それでも少しばかり慣れてきたのか、巨大蚊達に纏われた龍人を見る。なんとも、なんとも気持ち悪い悪物だった。
巨大蚊纏いの龍人は、両腕を目一杯に広げてみせた。すると、あれよあれよと巨大蚊達が両腕にとまっていく。止まり木に止まる鳥のように、六匹の巨大蚊達は左右に三匹ずつ止まる。
巨大蚊に纏われていた龍人は、愉快にナキ達を見回した。
「僕はセンプウ、よろしく!」
禿頭だ。角は二本生えており、目力が強い。眉も濃く、口端は最大に上がっていた。
初対面であるナキ達だけでなく、ハクビやベーレ、ラバウまでもが怪訝に眉を寄せている。
どうやら、嫌われているらしい。




