第二十六話
何かが掴めた。
二回目の融合時、一回目の時には感じられなかった違和感を感じる。あと一歩。何かがあれば、ジェメドを押して裏返せるような、大蛇から、偽物を追い出せるような感覚がした。
眼を瞑って、じっくりと、違和感を探り当てていく。正面には、ジェメドがいる。融合した者にしか見えない世界は、暗く、寂しかった。
そこで、想う。
大蛇、思い出せ。
あいつは先代じゃない。
先代はとうの昔に死んでしまった。
先代は、言っていなかったか。命令していなかったか。
ーー「お前が大人になったら、大蛇様の力はお前に継がせる」
「うん。分かってる」
「ただし、その前に俺が死んじまう可能性もある。そんな時は」
父は豪快に口端を上げて、どでかい声で僕に言う。そんなに大きな声を出さなくても聞こえると言うのに、これでは喉の無駄遣いだな。
「自動的にお前に受け継がれる。その時はお前が町長になって皆を助けるんだ!華のように!ガハハハ!」ーー
儀式をした。融合した父さんが僕を見て、面会する。大蛇は父さんを介して、僕を見ている。父さんの目はいつもと違って、少し、冷たく感じた。
「ガラン」
父さんがにっと笑って、僕は安心した。視線を合わせて、一礼する。
「町長ガラン・アウェイクの息子、ガラン・ナラストリと言います。...次の、操り手となるべく、この度は大蛇様に面会をさせて頂きたく存じます」
ナラストリというのは母方の苗字で、操り手の家系は夫婦別の苗字を名乗る。名前が全て同じでは、大蛇も区別が難しくなる。そういう理由で、子供には母方の苗字を名付けていた。
「...これで良い?」
「おうよ!これでお前は、正式に後継となった!おめでとう!」ーー
慣れない敬語は合っているのかどうかも怪しくて、なんだか凸凹な面会だったけれど、一つはっきりしていることは、化体にも感情はあるということだ。
今、分かった。大蛇はずっと、この七年間ずっと、疑問だったのだ。操り手が二人いることの異常に、疑問を持ち続けていた。
ならば分かるだろう。操り手は、一人しかなることが出来ない。父さんが正式に大蛇を僕に継いだのでも、大蛇にはその記憶が無い。やっていないのだから当たり前だ。
大蛇は父さんが死んだことを、一度は理解したからじゃないのか。だから僕に権利が回った。
けれど父さんを模したジェメドが現れた。父さんの死を感知した大蛇は、それが何なのか判断がつく程の知恵は戻っていなかったのだろう。ただただ混乱した。
何が何だか分からないまま七年が過ぎた。疑問を拭えきれないまま、大蛇は不完全燃焼に二人に権利を渡して、長い間を生きていたのではないか。
嫌に生々しい音がして、眼を開ける。前方には、キノを武器のように振ってルフリアを吹っ飛ばすジェメドがいた。切断された筈の右腕が再生され、存在した筈の右脚が消えていた。
ルフリアを吹っ飛ばした後に、ジェメドはキノを投げ飛ばす。投げる動作に風を感じて、キノはそのまま投げ飛ばされる。
心配などしていられる筈も無く、身構えた。
ジェメドの右腕が消える。身体に戻っていくように、するすると消えていく。代わりに、存った筈の右脚が、消えていく右腕に比例して戻っていく。瞬時に右脚が創られて、ジェメドは振り向いた。
振り向いた突如地を蹴った。大蛇の地面が凹むくらいの勢いで、僕を殺しにくる。
頭布を広げて、目を瞑った。癪だけれど、頼むしかない。
胸一杯に空気を吸って、言葉と共に吐き出す。
「ナキ、助けろ!!」
ジェメドは何も言わずに、あっという間に右脚を振っていた。容赦なく、僕の目ではまるで追えない速度で、右脚が僕に向けられる。
言いたくもない言葉を言い終わった瞬間、横合いから何かが遮った。
ジェメドの異常な蹴りは、何かが遮った途端、停止した。
ジェメドの蹴りを、ナキが止め切った。今までのように吹き飛ばされることもなく、全身を使って止めていた。
何回吹き飛ばしてもしぶとく生きているナキに痺れを切らしたように、ジェメドは怒髪天を衝く。
「ロジバルトおおおおおおお!!!」
右脚はするすると体に戻っていく。掴むものを無くしたナキは、ぼんやりと、朦朧と立っていた。怒り狂った獅子の仮面が邪魔をして、表情が掴めない。
するすると体に戻る右脚は、既に右腕へと置き換わっていた。自由自在に動く四肢は、目の前で突っ立っているナキを殴った。
爆発みたいな音が、広間に響く。音はアラギラ達にも聴こえているのだろうか。こんな大きな衝撃音が聞こえない筈もない。広間の向こうで、アラギラや、子供達や、その親達が果報を待っている。もうこんなに空虚な時間を過ごさない様に、僕達に託してくれた。
今なら、追い出せる。
ジェメドの右拳を胴体に食らったナキは、為す術もなく吹っ飛んでいく。吹っ飛ぶナキを一瞥もせずに、一刻も早く殺したいのだろう。既に僕に殴りかかっている。
これを喰らったら終わりだ。創造が得意ではない僕がジェメドの拳を受けてしまえば、一撃で殺される。皆のように強ければ、もっと早くにジェメドを追い出せていたのかもしれない。
「大蛇、行け」
長い間、不安にさせてしまったことを詫びる。すまないと、申し訳なく思う。七年間も異物を追い出せなかったこと、自分の殻に閉じこもっていたこと、町長として、方舟の平和を守れなかったこと。
もう遅いけれど、遅すぎるけれど、ジェメドという少女を止めることを、協力してくれ。
圧力を感じた。まだ当たっていないのに、風力で吹き飛んでしまいそうだ。ちかちかと、スローモーションで拳が近づくように見える。
死ぬ間際のお情けで、少しでも生きた人生を振り返れる様にと、神様が采配してくれたように思った。
ジェメドの拳が、僕のマフラーに触れた頃。
大蛇の、特大の大棘が、ジェメドの胸から上を真っ二つに切断した。
◯
意識が飛びそうになるのを懸命に抑える。あともう一息でジェメドを殺せるのだから、死んででも達成しなければいけない。
大蛇の棘が跋扈した時は道が半ばで死ぬかと思えたが、どういう訳か死んでいない。
いつもより速さも威力もなかったからか、右腕が切断されるだけだった。今更四肢が無くなるくらいは厭わないが、それが腕だったのは暁光だった。足の方が威力が出る。
そう思って飛び込んだけれど、結局は良いように利用されてしまった。吹っ飛ばされてしまった。
ジェメドが過る。七年前からもずっと、頭の中に流れるのを止められない。あいつの笑顔や、怒った顔や、泣き顔や。
今もまだ、ジェメドという人間のことが理解出来ないでいる。何を思って、何を経てああなってしまったのか。
でも、けじめをつけなければいけないのは分かる。
空中で、体勢を整える。体をジェメドに向ける。両脚を壁に向ける。すると、棘壁に到達する前に、柔らかい感触が左足に接触した。
「よく分からないが」
背後から声がした。柔らかい感触はどんどんと後ろに押し込まれていく。それでも吹っ飛ばされた勢いは徐々に消されていき、遂には押し返していく。
近くに人の気配がする。
そこには、血塗れのイトの姿があった。イトは前を向いて、口を開く。
「お前が決めろ」
前を向いた。吹っ飛ばされた方向、ジェメドを見据える。
心の中で感謝をして、両脚に踏んだ糸は、速さを伴ってキノを前に押し出していく。
「行け」
イトの号令で、脚に力を入れた。これまでに体験したことのない凄まじい速さで、ジェメドへと向かっていく。速すぎる世界に、視界がどうにもならなかった。風に全身吹かれて、視界にまで集中が行かない。集中していても、細かな情報を得られないだろう。
それでも、ぼんやりと二つの姿が映る。奥に一人、手前に大きな人間が一人いる。しかし大きな人間の上には、何かが乗っかっているように思えた。
「ジェメドオオオオオオォ!!」
腹の中から声を上げて、全力で創造する。足裏に刃を創って、先のように、刃をジェメドに集中する。
今度こそ頭を切って、取り出してやる。
そう思った瞬間、ジェメドの上の、乗っかった何かが消えた。いや、消えたのではなく、生き物のようにジェメドの上から退いたのだ。
退いた先には、空白だった。形がおかしい。ある筈のジェメドの胸から上にかけてが、抉れていた。
「キノ!突っ込め!」
ガランの叫びで、感覚的に理解した。足裏の創造を戻し、左手に力を込める。
ジェメドの体に辿り着く。
勢いのまま左手をジェメドの断面に入れた。正確には、ジェメドが創った町長の断面に入れる。今までに与えた傷や、イトが創ってくれた勢いで、硬い断面を貫通する。力任せに突き破った。
遂に見つけた。
断面の中に、一際違う感覚と接触する。ぬちゃりと、気持ちの悪い感覚が走る。ねばねばとした液体が、その個体の周りにへばりついている。滑らないように、けれど優しく個体をぐっと掴む。引っ張ると、ぶちぶちと繋がっていたものが破れるような音が浸透する。無視して、がむしゃらに引っ張り出す。
「あああああああああ!!!」
町長を模した創造物からようやく、人かどうかも分からない、異物に成り果ててしまった少女を取り出した。
キノの悲願が今、果たされた。
◯
全て覚えている。
これまで出会った人の顔も、言動も。
私が今日何をしたか、細かな動作まで。
昨日市場に出ていたお野菜や、値段。
一年前におばさんが話したくだらない世間話。
視覚、聴覚、味覚、触覚、嗅覚。物心ついた頃からの私の人生に巻き起こった五感を、全て覚えている。
それは、異常なことらしい。
言っていたことと違うと指摘をすれば、罰の悪い顔をするクラスメイト。面倒臭いと焦りを孕んだ表情で、私を蚊帳の外にする。
仲の良い友達も、私の一面をみれば辟易するのだろう。理解して、見せないように振る舞った。
私が生まれて十年が経った頃、そういう振る舞いを覚えた頃に、一つ年上の男の子は言った。
「革命団を創る!俺たちの目的は、この上!地上へ出ることだ!」
隣の家に住んでいるキノという男の子は、昔からの知り合いで、何度か遊んだこともある。
話しやすくて、屈託のない笑顔は、居心地の良いものだった。灰と茶の虹彩異色で見られると、肯定されるかのように落ち着いてしまう。
「地上?」
「そう!地上だ!」
最初は、言っている意味が分からなかった。そんな無理難題出来るわけが無いと、子供ながらに思ったものだ。そもそも、魅力を感じなかった。
それでも革命団に入ったのは、半ば強制。強いて言えば、キノの顔色を窺っていたから。
希望に溢れた表情は、私にとっても希望だったのだ。
でも、私は気付いた。
キノを笑顔にさせているのは私ではなく、外という希望だ。私ではないと。
天才と囃される私が入れば、ぐんとパワーアップする。私はファッション。
そう思うこともあった。けれどそれ以上に、キノといる時間が楽しかった。
完全記憶、才能、もちろんキノは見ているだろう。
でも、私のこともちゃんと見てくれている。
そう思ったのは何故だろうか。
私が、キノのことを好きだからだ。好きだから良いようにキノを見ている。
キノのことを思い出す時間は、何より楽しいものだった。
「何で楽しいんだろう?」
ママもパパも大好きなのに、友達も大好きなのに、思い出すのは楽しい思い出だけではない。傷ついた出来事がいくらだってある。
嫌な気持ちになって、考え込むことも多い。
この違いは何だろう。
「好きだから?」
でも、私は皆が大好きだ。嫌なことがあっても、それは一部分だけで、楽しかったことだって思い出せる。
「...」
キノを思い出してみる。かっこよくて、灰と茶の色の違う瞳が私を捉えている。
突き抜けた自信は、私をどこまでも連れて行ってくれそうだ。その自信は相応ではないことは、私だって理解している筈だけど、キノを見ていると関係なく勇気が湧いてくる。
俺なら出来るとキノが言っているから、私も出来ると思い込むことが出来るのだ。
「...思い、込む」
感覚というのは曖昧で怖いものだ。全てを覚えてしまうという事は、嫌なこと全てを覚えてしまうということで。楽しい事も思い出せるけれど、それと同じくらい嫌なことも積み重なって行く。
もう、嫌だった。
何かの拍子で記憶はいつでも頭を過ぎる。そんなのはもう嫌だった。
キノといる時のような幸せな気持ちだけ感じていたい。
盲点だった。こんな簡単なことに気付けなかった。
自ずと本物になるのだから、思い込めば良い。幸い、覚えている。キノを思い出しながら作っていけばいい。
感情は、創れるんだ。
◯
何かが肌を凪いだ。これはなんだろう。そう思って目を開く。瞼が開いたら、いつもと感覚がちがうことに気が付いた。
これは風だ。久しく感じていなかった。蠱毒のような心地から、心地いい解放感が得られる。
はたと、地面に落ちた感覚がした。もっと痛い筈なのに、地面に落ちても痛くなかった。それはなんでだろう。
視界はまざまざとしていて、あまり見えない。瞼は全開のつもりでも、昔の半分も開けられていないようだ。
それでも、分かった。
キノがいる。
キノ、キノ。キノ、キノ。キノ。キノ。キノ。キノ。キノ。キノ。キノ。キノ。キノ。キノ。キノ。
キノが、目の前にいた。会っていた筈なのに、会っていなかった気もする。なんだか不思議な感覚だった。
キノの輪郭が、徐々にぼやけ出す。ちかちかと、頭の中がぼーっとするような、何も考えられなくなって、どうでも良くなる。キノのことだけを考えるだけで、全てが許されていくように思えた。
キノ。キノ。キノ。キノ。キノ。キノ。キノ。キノ。キノ。キノ。キノ。キノ。キノ。キノ。キノ。キノ。キノ。キノ。キノ。キノ。キノ。キノ。キノ。キノ。キノ。キノ。キノ。キノ。キノ。キノーーー。
◯
「ジェメドは死んだ」
棘だらけの広間の中、静寂を伴ってキノの声が響いた。勝ち鬨なんてあげる訳もなく、その声が充満するまで、ナキはただ棘に支えられていた。呼吸が冷静に、心臓を動かしてくれている。自分の体に大きな怪我はないらしいことを確認して、精一杯の力を込めて立ち上がる。キノが持っている異物ーーぬめぬめとした液体がまとわりついていて、全身に紐のようなものが付着している。ぎりぎり人間の様相をとっている細く小さな少女ーーは、動く気配も、生きている気配もしなかった。
「おい、生きてるか」
ふと近くで声がすると、イトがルフリアに声を掛けていた。キノの全身で殴られたルフリアは、血だらけの体を棘に預けている。イトの声で肩がぴくりと浮かび上がるのを確認すると、嫌な予感が弛緩して、ナキは周りを確認する。
キノが未だジェメドを見ている。イトとガランは一先ず無事で、ルフリアも意識はあるようだ。遠くにいるネリアは、気絶したキョウと一緒に仲良く気絶していた。
投げられた衝撃で棘が粉砕されたのか、ネリアのいる辺りは地面が凹んでいる。
全員穏やかではないものを負ってはいるけれど、どうやら皆、生き残った。
「何してるお前ら。さっさと報告しに行け」
ぼーっと感傷に呆けていると、イトが苛立ったように声を出す。
疑問に思っていると、足音が聞こえた。
「そうか」
棘だらけの中を縫うように、ガランは歩いて行く。歩いて行く先には、棘に塗れた扉が見えた。といっても、棘に引っ張られていてもう扉としては使えそうにないけれど、ガランは扉に向かっていく。
お前らという言葉には、ナキも入っているのだと気付いた。ガランの背中についていくように、拙い足取りで棘だらけの広間を歩いた。
ようやくガランに追いついたと思うと、ガランの背中は棘に侵食された扉の前に止まった。
すると、扉の前にあった棘は鳴りを潜めだす。するすると生物のように棘が扉に戻り、前のような、木製らしいぼろ扉に戻っていく。
棘だらけの広間も元に戻せないものかと思いはするが、それは不躾なものだろう。
ガランは扉を押して、ぎりぎりと音を出しながら開けた。
やっと終わった。心の内に、そんな嘆息が流れてしまう。ナキのこれからを考えれば、まだまだ終わっていない。むしろ始まったばかりで、これからという時だ。けれど、今だけは、心の底からの安堵がナキを包む。
まずはアラギラ達に、報告をする。
扉が開いたのを確認して、一歩踏み出す。どうにかなったとはいえ、傷も生半ではない。これからのことも話さなければならない。安堵が包んだと思えば、直ぐにそんな思考が生まれてしまう。
そんなことを考えていたら、前をちゃんと見ていなかったか、ガランの背中に当たってしまった。
「すまんーーー」
思わず謝罪を口にする。何故止まったのだろうかと思いながら顔を上げて、直ぐに後ろを振り返る。いつの間にか間違って、広場の方を向いていると思ったから。次に仮面を取る。反射か歪みのせいで、光景に間違いがあると思ったから。
そうではなく。
正真正銘に、そこはアラギラ達の住む集落だった。縦横に棘が生えていても、家々が棘に塗れ、原型も留めていないことも。
ゆらゆらと燃えるような瞳が、嘘みたいに消え去っていても。光が、無くなっていても。
小さな体達が、吐いたであろう血反吐を隠すように倒れていたとしても。その体を守るように、大きな体達が庇っていたとしても。
白く美しい胴体が、大袈裟に貫かれていても。翼が焼け爛れたように、ちりぢりに千切れていたとしても。
ナキの体は生気を失ったように、動いてくれない。




