第二十五話
目の前の光景に、思わず唾を飲み込んだ。
棘だらけの地面や壁。ネリアが守ってくれた、ナキ達のいる場所だけが、以前のような地面を維持していた。それ以外はどこもかしこも棘だらけ。中途半端に曲がっている棘も、地面に繋がっているものもある。切断された棘の先端が、そこかしこに散らばっている。三人の奮闘が、この場に溢れ出ていた。
それでも目の前には、王様しか立っていない。涙を流した王様は、棘だらけの地面の中で一人くつくつと、血塗れのルフリアを眺めていた。
「家族を、破りおって....」
王様の影に身を隠すように、血塗れの少女は倒れている。大蛇の棘に支えられて、上半身は起き上がっていた。
「はぁ...痛いな」
「しぶといな。痴れ者が」
大蛇の猛攻を耐え切ったのだろう。ルフリアの全身から血が噴き出ている。口調はいやに落ち着いていて、感情の読めない瞳で王様を睨みつけていた。
「万死だ」
「...くっそが」
苛つきを吐き捨てて、ルフリアは身悶えする。あの状況でも諦めていない。きっと最後の最後まで、ルフリアは諦めないのだろう。
見ているだけの自分に腹が立つ。ここで行かなければ、ナキの覚悟は塵同然だ。何も役に立たないで、一丁前に火だけを灯す。
そんな人間にはなりたくなかった。
「...っ!」
意志より先に、体が動いていた。棘だらけの地面を縫うように進みながら、ルフリアの元へと駆け寄る。
走っている間にも、王様の肩は上がり、ルフリアへと構える。
間に合え。間に合え。間に合えーー。
「っ...!!」
自分で割り込んだと言うのに、一瞬理解が出来なかった。我武者羅に目的に到達したら、爆発みたいな衝撃がこの身に降りた。力の方向に、ナキの全速よりも速い勢いで壁に叩きつけられる。地面に生えた大蛇の棘をもぶち破って、壁の棘の間に激突した。
「かはっ..!」
ゆっくりと剥がれるように体が落ちる。壁の棘がナキを支えて、遅れるように衝撃で咽せる。未だ完治していない左肩の傷が、呻くように痛みを増した。涎がだばだばと、眩暈がする。
「なんだ?」
どすの効いた苛立った声が、ナキを震撼する。王様はこちらを向いて、憎悪の視線をナキに浴びせていた。
咽せる喉を我慢して、涎の塗れた顔で王様を見る。たった一発喰らっただけなのに、こうも痛く、恐ろしいものか。あの三人は、こんな恐怖と闘っていたんだ。
身じろぎでもしたら、身の内まで握りつぶされそうだ。
「ジェメド・ハイレリア」
「ああ..?」
勝てる想像がつかない。きっとガランは、これだから拒否したのだ。こんな化け物に勝てるわけがないのだと、思ってしまったのだろう。
「お前の名前だこの野郎」
勘違いをしていた。この少女は王様ではない。町長でもない。ただのか弱い少女なのだ。可哀想で、無垢な女の子だ。今はそう、思い込め。
今度は自分の意思で、大蛇の壁を蹴る。一直線に王様に向かう。
「小癪!」
迎え打つ左拳は、またもやナキにぶち当たる。先程と同じように、力の方向に吹っ飛んだ。
考えなしに突っ込んではいけない。これでは何も出来ないではないか。今のジェメドは弱っている。右腕を負傷して、左手では自由が効いていないように思える。ナキの透剣でも勝機はあるかもしれない。三人の与えた傷は、確実に実っている。絶望的だからって、それを無駄にしてはいけない。
「ナキくんを!た、たたた助けて!やっちゃえ!あんな奴殺せぇ!」
キョウの素っ頓狂な声が響く。麻痺しそうな頭を振って、ジェメドを伺う。
ネリアが長太刀を構え、ジェメドへ向かう。信じられないことに、その肩にはキョウが乗っていた。キョウの足とネリアの肩が、溶けたようにくっついていた。
勇気を出して、融合してくれたんだ。
巨漢姿の少女と紅い騎士は、じりじりと近付いていく。
「邪魔だぁ!!!」
ジェメドの咆哮に反応するように、ネリアは長太刀を振り下ろす。ジェメドよりも二回り以上もでかいネリアは、機敏にジェメドを捉えている。肩にいるキョウは背中を丸めて、怯えたように小さく身を縮めている。
振り下ろされた紅の長太刀は、ジェメドの左肩に直撃した。まるで煙が舞ったかのように、その場が薄ぼんやりとする。
「あぁあああ!!!」
ジェメドの咆哮が、煙を掻き消した。鮮明に見えた場面は、ネリアの大剣を、ジェメドが左腕で掴んでいた。
次第に大剣は上がっていく。ネリアの込めた力の方向とは逆に、強制的に上がっていく。
それは然るべき所で止められる。
「びびり!」
ガランが叫ぶ。声はキョウには届かない。キョウは身を縮めて、今もネリアの頭に抱き付いている。
その時、ネリアが引っ張られたような気がした。
「ああああああ!!」
どんどんと、紅い巨体は持ち上げられていく。長太刀を通して、ジェメドは力をネリアに浸透させていく。キョウが泣き喚き、一層縮こまっていた。キョウの頭の中は真っ白だろう。融合しているネリアも、それに同調するように動かない。これでは、融合しない方がもっとまともに戦えた。
ジェメドの左腕が、人一人くらいの太さに大きくなる。その腕が、一気に動いた。
すると、挙動がないままに、ネリアが一気に投げられた。巨体が後方に、信じられないくらい遠くに吹っ飛んだ。ネリアの背中が、無数の棘壁に直撃する。咄嗟にネリアが守ったか、大きな掌には、キョウが気を失ったように握りしめられていた。
「ま、ずい..!」
次に起こる事を想定して、ナキは力を振り絞る。足腰に力を入れて、想像する。
ーー「私の突きを、お前は防いだだろ」
弱っていたとはいえ、ジェメドの体をも貫く程の威力を持ったルフリアの攻撃を、瀕死のナキは完璧に防いだ。
ならばいけると自信を持って言えた。
あの爆発みたいな殴りだって、防げる。
ジェメドはルフリアを無視して、ガランを見続けていた。
もはや何もいうことはないのだろう。随分と悲しんだというように、ジェメドは準備する。
左肩が上がり、拳を握る。
ナキは、ガラン目掛けて、全速で壁を蹴る。
ギリギリーー間に合った。
衝撃で、ナキの頭はおかしくされそうになる。歯を食いしばっておかなければ、仮面が着いていなければ、もうとっくにオシャカだ。
透壁を腕に、ナキは吹っ飛んだ。壁の棘を防ぐ為、背中や後頭部に透壁を創造する。吹っ飛ぶ先で、ガランとすれ違う。
「がああああ!!」
ジェメドの怒りの前に、ガランは、眼を瞑っていた。汗を垂らし、頭布を押さえて。何回も見てきた少年の癖が、そこに立っていた。
壁の棘に叩きつけられる衝撃を気合いで制す。死に物狂いで声にならない声を出し、痛みを勢いで無くす。
壁際にいるガランは、吹っ飛ばされても近くにいる。壁を蹴り、瞬時に駆けつけた。
ぎりぎりだ。駆けつけた瞬間、一気に吹っ飛ばされた。
「無駄じゃないっ」
今度は、壁にまで到達しなかった。棘が障壁となり、ぶち破られることなく、三つ目の棘でナキの体は止まった。
また、立ちあがろうと歯を食いしばる。くらくらとする体を懸命に叱咤する。ジェメドだって無敵ではない。傷を与え続ければ疲れるし、弱る。切断された右腕は戻らないし、体力だって無限ではない。
まして中身は、小さな少女だ。町長を装っているのだとしても、節々にはジェメドを隠し切れていない。
ここで倒れてしまえば、今までが無駄になる。
「...っあ」
体は、とうに限界を超えていた。創造はまだ出来るのに、主体の体が動かない。力を入れた先から、滝のように抜け落ちる。目眩のいいように、ふらふらと棘に体を預けてしまう。このままでは間に合わない。
ジェメドが、ガランに肉薄している。ガランは気付いていないのか、頭布を押さえながら、立ったまま微動だにしていない。
瞳孔が開くのを感じる。ジェメドの左肩が浮き上がり、拳がガランに届く頃。
ジェメドの左腕に、一筋の銀の細剣が突き刺さっていた。
ーー「俺の剣は通用しないって言ってるけど、三人のは通用するってことなんだろ?」
「おそらくは」
「おそらくはって...通用しなかったらどうするんだよ」
「その時はその時」
大胆不敵。銀髪の少女は勝気に笑う。
「...」
「嘘だ。ちゃんと秘策はある。...刺さなければ意味は無いけど」
怪訝な目をしたナキに対して、罰が悪そうにそっぽを向いた。ガランを倒せなければ次へ進めない。倒せなければ、恐らくナキは死ぬだろう。冗談ではない。
「秘策..?」
ナキの心情を察してか、ルフリアはぶっきらぼうに言った。
「勢いよく創造すれば良いだけ」
更に怪訝になるナキを、今度はほくそ笑む。今に見てろ、というような表情だーー
「よくやった」
一言何かを呟いて、血だたる少女がそこにいた。
貫かれた左腕が、細剣の辺りから急激に膨らんだ。
ぐちゃ。
音がした頃には、ジェメドの左腕は宙に舞っていた。目眩に支配された体は鳴りを顰めて、目の前の光景をただただ茫洋と見つめる。
銀の細剣は左腕を貫いた後、膨張した。膨張した細剣はぐちゃぐちゃと左腕の中を侵食し、そのまま左腕をはち切ってしまった。
ふと、長髪の想起士を思い出す。王よ王よとうめく長髪の想起士を、ルフリアは銀の、太い何かで胴体を貫いていた。それは、細剣が膨張した姿だったのだ。
ジェメドの両腕が無くなった。けれど、無機質な切断面は軽々と肌色に修復されていく。
まるで痛みはないのだろう。背後のルフリアに、後ろ蹴りをお見舞いした。ルフリアは避ける。ジェメドは切断された腕の断面で、ルフリアに反撃する。それでも避ける。ルフリアはかわすので精一杯の様相だが、ジェメドは確実に弱っている。
「ああああああ!!!」
弱っていても、両腕が無くとも、ジェメドの力押しは侮れない。ルフリアは徐々に後方に押されていく。このまま棘の地帯に踏み込んでしまえば、ルフリアもただでは動けない。
「ジェメドぉ!」
遥か遠くから、声と共に小さな姿が落ちてくる。
キノだ。
切れた外套が紐のようになって、キノと認識出来る頃には、外套はキノから離れていく。ひらひらと棘に飾られて、ジェメドに向かうキノを見送るようにたなびいていた。
見えた姿には、右腕は存在していなかった。
ルフリアに集中していたジェメドは、キノの再来に反応が遅れる。キノの右足裏に創られた刃は、綺麗に、泥臭く到達する。ジェメドの首元に、鋭利な刃が牙を剥いた。
「さっさと...戻って来い!!」
捨て身の攻撃は功を奏す。ジェメドの首元が、刃によって断たれていく。じりじりと、これまでの過去を斬るように、首が切断されていく。
あと、一息だ。
「笑止....千万っ!!!」
ジェメドがキノの右足を掴んだ。
掴んだ。
切断された筈の右腕で、キノを振り回す。まるで物でも扱うように、ルフリア目掛けて横に振る。面食らったようにルフリアは、横に振られたキノを諸に食らった。
血なんてありったけ吐いただろうに、搾り取るように、ルフリアの口から吐血が飛び散った。
かろうじて背中を創造で守ったのか、棘に刺されずに吹っ飛んだ。棘に支えられるようにして倒れたルフリアは、これ以上動く気配もなく、ただそこに消沈していた。
まるでそれが自分の武器かというようにキノを握るジェメドは、右腕を後方に構える。
空気が、キノを中心に渦を巻く。渾身の速さで、ジェメドは己の武器を投げた。されるがままになるしかないのだ。キノはそのまま、右手から離れていく。
ジェメドは、左足で立っていた。
「まさか」
振り返り、ガランを見る。もう言うことはないと言うように、全てを諦めたような虚脱の表情をしながら、切断されかけている頭は無口にガランへ目標を決めた。
同時に、右腕が己に吸い込まれた。吸い込まれた右腕は生まれ変わるように、右足を創った。
ジェメドは、体を創ったのだ。
今度は余裕などない。ジェメドは本気で、地を蹴る。ガランは未だ眼を瞑り、何かを待っていた。
このままでは、殺されてしまう。せっかく皆で創った好機が、何もかも白紙になる。
急に、怖くなった。この後のことを考えて、負けた後を考えて。
この場にいるナキ達は、ジェメドにあっさり殺される。有無を言わさぬ大蛇の圧倒的な手数で、殺されてしまう。
中にいるアラギラ達は、出てくるジェメドをどう思うのだろう。血塗れに、悲しそうに出てくるジェメドは、きっとアラギラ達をまだ家族だと思っている。
あいつらは、家族を破った。そう言うだろう。
希望はたちまち絶望に変わり、ここに来て最初の頃のような、煤けた方舟に戻ってしまうのだろうか。もしかしたらそれ以上の苦しみを味わうのかもしれない。
ナキを失ったリリーはどうするだろうか。怒り狂い、無謀にもジェメドを襲うかもしれない。一瞬で頭部を握りつぶされて、殺されてしまうかもしれない。
手が震え出す。痺れた体は、いつの間にか震えも伴っている。
けれど、思い出す。皆が繋げた勝機を、ナキの透壁は、ジェメドの威力をも耐えうる事を。
仮面を触る。木で出来た仮面の手触りは、少しざらざらとしていた。
仮面は、壊れていない。
だからーー
「ナキ、助けろ!!」
傷だらけでも、動ける。




