第二十三話
それから翌日。いつものように外へ出て、扉へ向かう。今日の食糧調達は、キノとルフリア、そして王様だ。ガランは監視で、ナキは休日。といってもすることがなく、イトやキョウは農場の手伝いをやっている筈だし、セディアは果樹園の手伝いをしている筈だ。
だというのに、ガランの食卓には、キノ、ルフリア、王様の三人以外の人間達が集まっていた。
「勢揃い..?」
「ふふー。誰のおかげでしょう?」
「やったね。ナキくん」
セディアはご機嫌な様子で、手を後ろに組んでいる。キョウはいつもの不安顔であるが、心無しか声の調子が弾んでいる。
周りにはアラギラを中心に、多くの住人が集まっていた。カラクレ達が、ナキに手を振っている。振り返しながら、一人だけいないことに気付いた。
「ドラはあそこだよ」
聞いて、小屋番の男を思い出す。死んだような表情で、無口な男。名前はハロドラだ。
少し遠くの小屋を見てみれば、確かにハロドラが小屋番をしている。まるでいないかのようにこちらを見ずに、粛々と扉の前に立っていた。
「あいつは良いだろう。もう死んでいるようなものだからな」
「あ?」
イトの発言に、カラクレの父であるクレートが突っかかる。
「お前はあいつの何を知ってんだ?」
「知らないな」
「そんなら口を出すなじじい!」
「俺はじじいじゃない。他人を知らずに話す事の何が悪い。じじいじじいと言っている割には繊細だな」
イトは腕を組み、目を閉じている。格好良さげに呟く言葉は、住人の耳には響かない。どうやらイトは、一部の住人に嫌われているらしい。そしてじじいと言われていることに憤っている。言われ過ぎて、気にしているのだろうか。
なんにせよ、ナキに向けたような失礼な物言いが通常通りならば、致し方ない。
「よしな。怒鳴っても何も変わんないよ」
「婆さん...」
イトのおかげで一悶着が起こりそうな現場に、はらはらと胸焼けするようだ。キョウも、おどおどと不安げに見守っている。セディアは笑顔に見守っているが、内心では違うことを思っているに違いない。
なんともなしに向けた視線は、カラクレと目が合った。ナキに気付くと、楽しそうに、にっと口を弧に曲げた。
「まあいいさ。すぐにやるよ」
一体なにをやるつもりなのか。そんなナキをお見通しに、住人の中から頭布の少年が前へ出る。
目の前に現れた少年は、待ち侘びたと言うようにナキを見る。少し体が身構えるけれど、前のような敵意の溢れた視線ではなかった。敵意があるのは、少年の隣にいるレディという少女の方だった。彼女は一貫して、ナキ達を敵視していた。
「僕も協力するよ」
ガランは、澄んだ声で言い放つ。感情の読めない目で、ナキを見る。
頭布の中から発せられたであろう言葉は、しかしナキの耳には通らなかった。
「..もう一回良いか?」
「何でよ!」
レディは腰に手をつけぷんぷんと怒っているが、なんだか今日の彼女は、いつもより敵意が無い気がする。ガランは隣のレディに嘆息しながら、ナキに告げる。
「僕も協力するって言ったんだ」
今度はちゃんと聞き取れた。ガランの口から出た言葉の数々を反芻していると、薪を入れられたみたいに瞳が揺れる。
「決意表明なんだって」
不承不承に、レディは言う。大蛇の地面を靴で擦りながら、両手は後ろに組んでいる。余程気は進まないのだろう。でも、レディがナキに話しかけることなど初めてのことだった。
「けついひょうめえ!」
「けついひょうめーー!」
ロドレーとカジャクが元気よく復唱する。元気な姿に、周りの雰囲気は和らいだ。
最初の方舟の雰囲気は、どこか煤けていた。住人の表情も暗く、子供たちも大人しかった。それが今では、こんなに笑顔に笑いあっている。
「君のことは嫌いだけど」
「.....」
「お互い生きてたら良いね」
ガランは頭布に包まれていて表情は見えない。それでも、言葉には熱があった。
ガランの後ろには、住人達の精悍な顔つきが見渡せる。レディはいつも通りに不貞腐れているような態度だが、それでも、ここで何かが変わる予兆を感じる。それは光と言っても差し支えようのないものだろう。ナキは両手を力強く握る。ガランに頷き返して、一層覚悟を決める。
◯
「まず前提として、あいつはこの中の誰よりも強い。圧倒的にだ」
「誰よりもって、ネリアよりもか?」
「ネリアよりもだ」
「....まじでか」
キノはそれっぽい眼鏡をくいっと上げる。全くと言って良いほど似合っていないが、いつまで付けているのか。気が散る。
「いいか?化体ってのは、操り手がいないとどうにもならない、らしい」
「らしい?」
「ガランに聞いた話だから俺もまだよく分かんねえが、化体になった人間ってのはある程度の知能は残っていても、命令だけじゃ心許ないみたいだ。んでそれを解消するために、操り手が体の一部を化体と融合する」
融合。聞き慣れない言葉に違和感を感じる。想像は出来るが、信じられない。
「ガランだったら、手足を地面に付ける。大蛇を受容れる感覚を持てば、自然と足がくっつくんだと。その状態で想像すれば、直で大蛇を操れる」
キノの解説を咀嚼しながら、脳内に過去の場面が流れ出す。ナキ達が大蛇の中に初めて降り立った時、ガランは命令をしないで、縦横無尽に無尽の棘を差し向けた。
あの時に、そういった力を使っていたのだ。
「キョウは融合してなくても命令出来てたぞ?」
「もちろん、化体だって元は人間...っつうのは今でも信じられねぇが、そこはどうだって良いさ。化体になっても、そこそこの知能は残ってるみたいだな。言葉はある程度理解してるんじゃねえか」
化体は元人間。そんな重大な事実をどうでも良いと言えるキノは、大した大物だ。この事を知っているのは、ナキ達とガラン、王様、そしてキノだけだ。他の皆に知らせていないのは、知らせてはいけない理由があるからだった。
大蛇という化体は神様であり、私達人間を龍人やロジバルトから守ってくれた守護神なのだ。
古くからここで生きているアラギラなんかがこんな事実を知ってしまえば、王様の討伐など言っていられなくなってしまう。
「じゃあ、食料調達の時のは?ガラン、命令してた気がする」
「原理は分からんが、深く融合して命令をすれば、より高度なことも出来るっつう話だ。大蛇の五感を共有出来るんだと」
よく分からねえよな。いまいち納得していなさそうに、キノは眼鏡を不似合いに掛けている。レディが創った眼鏡は、左右の鏡が不釣り合いで、縁もでこぼことしている。誰が掛けても違和感しか感じなさそうな具合だ。正直言って、全く似合っていない。
レディはキノを許していない。ガランを不幸にしたキノを、今もなお嫌っている。それでもガランの為というのか。
ーー「これ付けたら許してあげる」
この不格好な眼鏡を渡された。
「べーーーだ!!」ーー
きっと、レディなりの許し方なのだろう。本当に嫌いな人に、あんな風に接したりはしない。
そんな訳で眼鏡を付けているのだが、気が散るのでそろそろ外して欲しいところだ。ナキの胸中など知らないで、キノは続ける。
「そんで、びびりくんにはそれが出来ない。そもそもあの騎士も、元から戦う為に生まれてないそうだ。話聞く限り、逃げる為、守る為に化体になったんだろ。あーっと...あーそうだそうだ。これは姉ちゃんから聞いた話だが、化体っつうのは、なる前の思いが影響する」
姉ちゃんというのはセディアのことだ。セディアやガランから聞いた情報を、キノを伝に教えてもらっている。そこで固まったものを、王様にぶつけるのだ。
「あの騎士は、逃げる為、守る為に化体になった。特にびびり君の為に。だからびびり君の姉ちゃんは、戦いには向かない。ということで、お前達と一緒にガランのお守り係だ」
「..成程。分かった」
「ガランが大蛇の力を相殺している間、俺、嬢ちゃん、おっさんがあいつの相手をする」
お守り係。ガランの融合で、王様の融合を相殺する。大蛇の操作をなくした所に、キノ、ルフリア、イトの三人が王様に仕掛ける。
三人よれば文殊の知恵だ。キノやガランも、これで勝てると踏んでいる。
ナキは正直、悔しかった。お守り係というのは、ナキでは王様に太刀打ち出来ないし、乱戦でも足を引っ張ってしまうということだ。
それでも、これが今のナキの実力なのだ。今はガランを守る。その為に備えておくべきだ。
キノはようやく眼鏡を外す。頭部に眼鏡を掛けて、にっと口端を吊り上げた。
「明日やるぞ。覚悟決めろよ、ナキ」
初めて名前で呼んでくれたことに、瞳が揺れる。灰茶の虹彩異色に、間抜けな表情が映り込んだ。
「て、俺の方が頑張らないとな」
キノはようやく眼鏡を外す。頭部に眼鏡を掛けて、にっと口端を吊り上げた。
意外にも若々しい笑顔に、ナキは思い出す。
この人、二十歳なんだよな。
よく見てみれば、小汚く髭は生えているものの、しゅっとした眉に、高い鼻。大きな目元に、肌は綺麗だ。
そんな気の抜けた事を考えてしまった事を後悔しながら、気を正す。
ここが正念場だ。ナキは掌を硬く握りしめ、明日に臨む。
◯
翌日。ガランの食卓にて。
二十四人と一匹が、一堂に会した。食卓の先にあるのは、扉だ。扉の奥には王様が待っている。王様は従順にしていれば、とても優しい人物だ。お祝いがあるから広間で待っていてと言われては、素直に従うしかない。彼はとても嬉しそうに、広間へ入っていった。
けれど今その王様を倒す為、二十四人と一匹は集まっていた。
「ラン坊」
ガランは振り返ると、アラギラが真剣な表情で立っている。いつもの笑顔な老婆は鳴りを潜め、緊迫とした空気が充満している。不安そうに子供達がこちらを見ている。七歳以下の彼女達は、王様の恐ろしさを分かっている。今ナキ達がしようとしていることは、とても危険な事なのだと理解している。安心させるように、親達が子供達を抱き寄せる。
「頼んだよ」
ガランは頭布を押さえつける。アラギラを無視して、扉へと向き直る。
「行くぞ」
イトは気にせず先を行く。それに続いて、五人は扉に集まった。
「心の準備は良いか?」
「当然だ」
「いいよ」
ルフリアは声を出さずに頷いて、キョウはぶるぶると曖昧に首を動かしている。緊張しているのだろう。キョウの隣にはネリアがいる。キョウの姉であり、化体である巨大な騎士は、紅い鎧を纏いながら、粛々とキョウの隣に立っていた。毎日見ても慣れない圧倒的な威圧感が、ネリアから漂っている。
そんなことを考えていると、気付けば周りの視線はナキに集中していた。
心の準備。慌てて頷こうとするけれど、一つ大事な事を思い出す。
腰に付けてあるのは、凹凸のある仮面だ。木彫りのよく出来た仮面で、表面には色が付いている。それは馴染みのある姿を模している。獅神ライギルドの顔が、細かく再現されていた。
これを付けていないと締まらない。そう思って、仮面を付ける。ライギルドを知っているルフリア、イト、キョウの三人は少し渋い顔をするけれど、それでも何も言わずに見守ってくれている。
ナキは開幕の火蓋を切るように、ゆっくりと首を縦に振った。
◯
土色の地面が広がっている。ざらざらとした表面には、今でも慣れることはない。壁には灯りが付いていて、ゆらゆらと呑気に揺れていた。これから何が起こるかも想像もしていないだろう。大きな巨漢はこちらに気付いたようだった。
振り返り七人を認めると、漢らしい相貌はこてんと首をかわいらしく傾げて見せた。
「揃いも揃って、お前らどうした?」
「ちょっと親父に聞いてもらいたいことがあってさ」
キノは一歩前に出て、鷹揚に手を広げる。ガランは頭布を押さえて、キノの背中を睨みつけている。心配なのだろうか。ここまで来たのだから、もう後戻りは出来ない。いつでも闘えるように、身構えておくべきだ。
「俺ら、もう我慢の限界なんだよ」
「?何を言ってる」
「あんたのこと、殺すってんだ」
どがつくほどの直球な発言に少し怯むけれど、キノは前のめりに、王様を睨んでいる。
「なにぃ..?」
キノの言葉を耳に入れた途端、王様の雰囲気はがらりと変わった。先程までは安心感があったのに、今ではその影もない。ひりりとした空気が、ざらりと肌に絡み付いた。
「突然こんなこと言われたってしょうがねえってのは分かるぜ。...だから、お前に一つチャンスをやるよ」
それでもキノは挑発する。王様の放つ圧迫感を感じぬ筈もないだろうに、いつも通りに突っかかる。
王様は顔を俯けて、みしみしと拳を握っていた。腕にかかる血管が、馬鹿みたいに太く浮き上がっている。ふと、ある筈もない熱波を感じた。王様から、熱風が吹かれているようだ。
「今ここで首を切れ。そうしたら許してやるよ」
キノは意地悪く笑いながら、右手で自分の首を切る動作をする。揺れる緑色の外套や、地面に映る影まで、キノの全部が王様を煽っている。
王様は、ふつふつと何かを抑えるみたいに震えていた。その迫力に怯みそうになったけれど、寸でで持ち堪える。
仮面を触り、心を落ち着かせる。息を吐いて、胸一杯に息を吸う。それから吐いて、正面にいる王様を見据える。
王様は顔を上げる。腑が煮え繰り返る。怒りと憎しみに溢れた表情に、ナキやキョウ、ガラン、イト、キノやルフリアでさえ、全員が唾を飲み込む。
来る。
「家族を、破ったなぁ...?」
怒気で震える声は、空気を伝って身に沁みる。話の通じない化け物。この一ヶ月生活していての、王様の印象だ。ただそれは、理由があった。
王様の中にいるのは、ジェメドという少女だ。かつて町長だった男の思考、声帯、身形を真似、それに飲み込まれてしまった小さな少女。
それがナキには信じられなかった。創造というのは、そこまで規格外になれるものなのか。
創剥。
創造を剥き出しにして、己のなりたいものへと変化する。主導権を創造に任せ、自身という存在は無くなっていく。ロジバルトで習ったことだ。剥き出された創造は、動く。主人の願いを遂行する為だけに生きる怪物と化する。
無論、誰もかれもが出来る訳ではない。そもそもそんなことが出来るのはロジバルトでもいるのかどうか。ロジバルトでは創剥とは王律法に背くことであるから知っているだけで、例は聞いたことが無い。
それは、ジェメドという少女の天才性と、執念が為せてしまった荒技だ。
七年間の執念を断ち切る。
今、断ち切るんだ。
「出せないでしょ」
隣の少年は、至って冷静沈着だ。この少年が声を荒げるところなど見たことはない。少年が背負ってきたものはナキにはとても想像出来ないけれど、ナキが隣にいることを許してくれた。守られてくれることを許してくれたのだから、それに応えなきゃいけない。
王様は目を見張った。瞳孔が揺れ動き、かなり驚いているようだ。
化体を操ることが出来るのは、王様とガランの二人。その二人が同時に操ろうとすればどうなるのか。大蛇は訳も分からずに、相殺される。
結果、何も起きない。
頭布の少年、ガランはほくそ笑む。
「皆、いけるよ」
「ガラアアアアアアアアン!!!!」
身構える。大蛇が操れないとなると、王様は独力でナキ達を制圧しにかかるだろう。
ルフリア、イト、キノの三人にかかれば、王様は倒せる筈だ。
「キョウ!」
「うん!」
万が一、王様がガランを狙えば、ネリアが守る。ネリアでさえ駄目であれば、保険の保険としてナキが守る。そういう手筈だ。
ここからはずっと臨戦体制だ。王様が倒れるまで、気を抜くな。




