第二十話
「こるああああ!!」
大蛇の壁を、革命団直伝のアンカーで登っていると、喧騒に紛れて、一際大きな声の主が現れた。俺達革命団の最大にして最後の宿敵。この檻の王、ガラン・アウェイク。怒声を発する大男は、ガランの方舟の町長だ。
「見つかった!」
「強行突破だよね!ね!」
「当たり前!」
にやりと闘志を燃やしながら、キノは壁を登る。アンカーとは、キノが考えた創造だ。壁に創造した突起物を刺し、中からアンカーのような形を創り、壁に登る。まだまだ拙いが、三人ともアンカーを駆使して、壁を登っている。
「こんの馬鹿者どもめがぁ!」
大きな声の後、壁から音がした。音は振動をつくり、壁からもりもりと棒が飛び出る。
「うぇ!」
キノの胴体を棒が押し出す。アンカーのせいでキノの胴体と棒は拮抗状態になる。
「む、無理だ!」
「痛い!...あああああ?!」
ジョンハットとジェメドの二人が、棒に押し負けた。アンカーは折れて、二人と一緒にきらきらと輝き落ちていく。
とうとうキノも我慢の限界だ。このままでは胴体が千切れてしまう。そこまでは行かないまでも、こんな状態では上に行けないではないか。
びきびき。壁の中のアンカーから、不穏な音が身に響いた。これはやばい。そう思った瞬間、キノは既に押し出されていた。
「うおおおおおおおおおお!」
五臓六腑が浮く感覚。普段は見せない隙間に普段は入らない空気が入り込み、気持ち悪い感覚がキノを襲った。登った壁が台無しになってしまった悔しさと共に、キノは綺麗に町長ガランの両腕に収まってしまった。
「馬鹿者供がぁ!何度言ったら分かるんだ!」
お姫様抱っこ。屈辱の状態にキノは暴れるが、ガランの太い腕は逃げることを許してくれない。
「いいぞー町長」
「こらしめてやれぇ!」
「あはは。革命団頑張れー!」
呑気に茶々を入れながら行き交う住人に、憤りを感じる。保身の為の方舟なんかに、キノの人生は左右されない。
「うるさい間抜け共!」
「そうだそうだ!」
キノに同調するように、一人の少女が天高く跳んだ。革命団の一員、ジェメドだ。キノの妹分であり、革命団の最終兵器。
「私達はこの世界をありったけ楽しむんだ!おまえたちに笑われる筋合いはなー「馬鹿者が!」痛い!」
激昂した様子で、町長ガランは三人を見回す。ジェメドは涙に暮れ、ジョンハットは未だ倒れながら不貞腐れている。キノは敵対的に、ガランを睨んでいた。
「地上にゃ出ちゃいかん。あそこには危険しかない」
「なんで分かんだよ」
「そういう教えだ。地上には人を襲う獣や、ロジバルトが大陸を監視している。お前達が万が一外に出ても、直ぐに殺されるだけだ」
「...龍人がいるじゃんか」
「龍人と私達ではまるで対抗出来ぬ脅威なのだ。ロジバルトというのは、人間ではない。災害だ。仮にお前たちが外に出て、ロジバルトに見つかってしまったらどうする。ここの平和は一瞬で崩壊だ!家族を危険に晒すんじゃねえ!」
これは何度目の口上だろう。話で聞いただけなのに、よくもそんな自信満々に語れるものだ。口を開けば家族が危険になる。もう嫌になる。実際に見てみないと分からないではないか。人を襲う獣はいないかもしれない。弱いかもしれない。強くたって弱点はある筈だ。
ロジバルトだって同じだ。本当は、愉快な所かもしれないじゃないか。伝承の通りだとしても、それが外に出ない理由にはならない。
「この野郎共が!」
「この野郎共が!」
「この野郎共が」
三人は踵を返し、町長ガランから逃げる。
一生方舟の中なんてごめんだ。三人一緒に、絶対に出てやるんだ。
あの頃は、そう思っていた。
といったって、大蛇の操り手である町長には敵わない。大蛇の首に繋がる扉だって警備があるし、壁を登って上に行ったとしても、そこには大蛇の天井が阻んでいる。
三人じゃ無理だ。もっと他に人数を。そう考えても、ジョンハットやジェメド以外にキノに同調してくれる奴なんかいやしない。皆、ここの生活に満足しているから、地上がどうとか考えてもいないのだろう。
「ここが地獄になりゃいけるか..?」
町長が人格者だからいけないのだ。悪の権化のような奴が大蛇の操り手になれば、ここも地獄になるだろう。皆痩せぼての不幸になって、外に出たがる。
「あいつが性格悪くなればいける?」
あいつ、というのは、町長の息子のことだ。今は八歳という若さだが、彼が後々この方舟の町長となることだろう。化体を操る操り手は、代々その血筋の者、同じ名前の者しかなってはいけないのだ。
だから、町長と息子の名前は同じ名前だ。どちらもガラン。呼びにくいので大体は、町長の方は町長と、息子の方をガランと呼んでいる。
ガランは生まれた頃から知っている。町長が皆にお披露目するのだ。こいつが俺の息子だと。高らかに宣言するものだから、皆ガランのことを気の毒に思っていたりする。愛しているのは分かるが、町長はその時だけ、どうにも周りが見えていないのだ。
そのお陰かなんなのか、当のガランは町長を若干嫌っていそうな雰囲気だ。
これを利用して、どうにかガランを悪の王に仕立て上げれば、自ずと反乱が起きるだろう。それに準じてこっそりと、革命団は外に出る。
完璧な作戦だ!
「何言ってんの」
「ぐぇ」
布団に蹲りながら考えていると、姉のラノンが鼠叩きでキノを布団越しに叩いた。
見上げると、不貞腐れたような目でキノを睨んでいる。
「また町長に迷惑かけてさ、恥ずかしいって思わないの?」
「思うかよ」
「思春期も今年で終わりにしなよ?ほんと情けない」
「...うっせ」
「はいはい。ご飯出来たから、適当に食べとくのよ」
まるで母親のように宣うラノンを無視して、ラノンがドアを閉めるまで蹲っていた。確実にいないことを確認して、窓を開ける。
退屈な奴等だ。
呑気な街並みを見て、心の中で当てつけに愚痴をいう。唇を噛み、音の出ないよう部屋を出る。ラノンは居間にいるだろうから、ばれることはない。
「待たせた」
「遅い!」
ジェメドが待ちきれないとばかりに声を出す。一歳下の彼女は、地面に仰向けになって待っていたようだ。隣のジョンハットはといえば、そんなジェメドを見ながら、無表情に胡座をかいている。視線が合うと、立ち上がる。
「今日はどうする?」
「今日はな、広場の強行突破だ!」
「いえーーい!」
大きな声で宣言する。ジェメドは元気良く喝采し、それに乗せられ、キノも胸を張る。
「いや、無謀でしょ」
冷静な声の元は、ジェメドの横にいたジョンハットだった。
やれやれと両手を手に振って、キノは呆れた声を出す。
「たくなぁジョン。やる前からそんなこと言うなよ」
「言うなよー」
「もう何度も何度も言ってるけど、本当、聞く耳持たないよね」
呑気に首も振っていると、ジェメドもキノの真似をする。ジョンハットのこれはいつものことであり、それがジョンハットなのだ。
「外には僕の知らない動物がいる。そう思ってたけどもう....」
「え?」
「...帰るね」
「いや、ちょっと待てよ」
動き出そうとするジョンハットに、キノは肩を掴む。顔付きが、どこか覇気がない。元々無かったといえば無かったが、より一層だ。
「なんだよ。帰るって」
「言葉通りの意味だよ」
視線が合わない。そこでようやく、異変を感じた。
「急にどうした?」
「急に?」
キノの言葉に、ジョンハットは肩を振るわせた。眼窩を広げ、理解不能なものを見るみたいにキノを凝視する。
「おいーーっ!」
ジョンハットはキノを嫌がるように、肩に置いた手を振り払う。キノの横を通り過ぎ、住宅街へと戻っていく。振り返りもしないそっけなさに、少しの焦りが生まれる。
これは、どういうことだ。
小さな焦りがどんどんと大きくなっていく。ジョンハットの声は小さくて聞き取れない。何を言ったか、キノにはわからなかった。
「帰っちゃった」
何が何だかわからない、というようにジェメドは、ジョンハットの足跡を見つめている。
ジェメドと同じような気持ちを抱きながら、ふわふわとした孤独を感じていた。
◯
学舎に行っても、学ぶのは方舟で生きる為の知恵だ。ここには何もない。あるのは長閑な平和だけ。地味でつまらない、檻のような場所だった。
外にはまだ見ぬ知らない景色があるかも知れないというのに、大蛇の腹の中の景色で一生を過ごすのは大損だ。
「キノみたいに考える人は少ないんじゃないかな」
「なんで」
「だって、僕らはずーっと此処にいるんだ。地上の世界なんて、想像出来ないよ」
笑いながら、ジョンハットは頬杖をつく。こそこそと話さなければならないのは、今が授業中だからだ。
世界は広いのに、此処に生まれたというだけで地上に出る事を許されない。皆はそれで納得しているのだ。
「お前、何で昨日帰ったんだよ」
「もうさ。諦めたんだ」
まるで憑き物が晴れたかのように、ジョンハットは前を見ている。
憑き物。ふと、その正体がキノかのように思えた。頭の中に浮かんだ事実に、思わず下を向いてしまう。
「よく考えてみたら、まだここの動物だって全部料理してないんだ。僕は此処で調理師になる。皆が食べたことないような料理を作る。だから、革命団は抜ける」
キノの心中などお見通しなのだろう。軽く微笑んで、ジョンハットはキノを向いた。
「無理だって。ここを出るなんて」
「ふざけんな!!」
それが何なのかは分からない。ただ情けなくなった。鬱屈とした感情が爆発して、席を立つ。
しんと静まり返る教室が、俯いていても分かる。皆キノを見ている。そして数秒後には状況を理解して、またいつものような思考に戻るのだ。
キノでは、役不足だから。
そんな対応の前に、キノは教室を出た。教師の声が聞こえて、今まで感じたことのない感情が芽生えだす。
劣等と焦りが混ざり合って、キノという人生を内から否定される感覚。現実から逃げるように、学校を出た。
行き先なんか決まっていない。ただただ走った。
「はあああああ...」
鍛えているから、こんな走りで疲れるということはない。だからこれは溜め息だ。
気付けば空き地に着いていた。革命団をつくった日から、ずーっとここに集まっていた。鍛錬をしたり、話し合ったり、遊んでいたりもした。
「...」
静かだった。今日は平日の昼間で、皆各々の仕事をしている。聞こえる喧騒なんて一つも聞こえない。
ふと、現実が見えた。このままでは圧迫されかねない速さで、キノを追い詰めている。どこかに逃げ道はないか考えあぐねても、現実は消えてくれない。逃げさせてくれない。
「あぁ」
だらりと、両腕に力が無くなる。初めて感じた感覚に、現実に飲まれた感覚に、熱が押し出されるようだった。
しかし、熱は涙にはならなかった。なっても、くれなかった。
いつからだろう。
外に出ることを、信じきれなくなったのは。
◯
気付いてしまえば、自分には何もないことに気付く。自分がやってきたことに意味が無いと、これまでいくつも言われてきた。だけれど、そんな声は無視出来ていた。熱があったからだ。
大義があった。目標があった。外に出れるという自信があったのだ。
でもその自信も、今この瞬間に無くなってしまった気がした。大切にしてきた何かを、無意識的に自分で放ってしまった感覚。それは認識するにはあまりに難しくて、認識出来てしまった時には何もかも遅かった。
キノの特性を、ジョンハットは分かっていた。現実的になる程の具体性も、本気も無かったということ。
ジョンハットは諦めたんだということを理解する。靄が晴れたみたいに、視界がすっきりとした。心地よかった靄の先には、ジョンハットが前へ走っていた。その先にはクラスメイト達がいる。クラスメイト達に追いつくと、楽しそうに、学校へ向かっていくジョンハット。
「もう、いいか」
今日は休んで、明日学校に行こう。謝れば済むことだ。
ふいに、キノを慕ってくれた妹分のことを思い出す。ジェメド。彼女と出会ったのは、家が隣だからだ。昔からの付き合いで、それこそ妹のようなもの。ジェメドにとってもキノは兄のようなものだろう。
そんな彼女に、キノの心変わりをどう説明するか。
ぼんやりと考えながら、自宅を目指した。
◯
「え?」
笑顔のままに、ジェメドは眼を大きく開ける。弧に描かれた唇が、迷ったように歪に曲がる。
「いやー、俺もそろそろ十三歳だしな」
わざとらしい棒読みだ。強がっている。だが仕方ないことだ。ジェメドはジョンハットが居なくなっても、キノについてきてくれてしまうだろう。確信できる程に、ジェメドはキノに懐いていた。
ジェメド・ハイレリア。彼女は天才だ。素の頭も良いし、運動神経も抜群。創造も巧みで、おまけに完全記憶がある。見たもの聞いたもの、全てを記憶しているのだ。十一歳にも関わらず、将来は確約されているだろう。
性格も、仲良くなれば明るく、元気に笑う。一緒にいて楽しいし、こっちにまで元気が出る。
革命団に誘わなければ、きっとジェメドは今頃、クラスの人気者だ。
ジョンハットにも夢がある。調理師になることだ。現調理師である母に教えを乞うて、夢に向かって歩んでいる。
蓋を開けてみれば、リーダーなんてものは、それしか無い者がやることだったのだ。
気付いてしまえば、やることは一つだ。放ること。いつまでもしがみついていれば、ジェメドだって困る。
「付き合ってくれてありがとな。お前もやりたいことをやれ」
「キ、キノ..?」
「お前は天才だ。町長にはなれないけど、それ以外なら何でも出来る」
「そ、そんな、勝手に...」
「...」
ジェメドの肩は震えている。声もか細く、右手首を左手で握っていた。堪えるようなしゃっくりが、キノの耳をざわつかせる。
「あのなジェメド。...俺はやっぱり外に出たいよ」
「!だったら私もーー」
「駄目だ」
ジェメドは天才だ。だけど、主体性がない。思い込みが激しくて、気を許した人間に右と言われれば右を向くし、左と言われれば左を向く。
「何でよ!私のどこが駄目なの?教えてよ」
「違う。お前は駄目じゃない。むしろ逆さ」
「じゃあ何でよ!教えてよ!教えてくれなきゃやだ!」
ジェメドは思い込みが激しい。一度そう思うと、意識がそれにしか行かない。
真剣に向き合わなければならない。
ジェメドの両肩をがっしりと掴み、目線を合わせた。意志を込めて、本気なのだと主張する。
「俺、革命団の脱出にさ、何で町長が出張ってくるのか不思議だったんだよ」
「え?」
「だってそうだろ?三人のガキくらい、警備で十分だ。忙しい町長がわざわざ止めにくることは無い」
傲慢だった。力が無いのに、自分にはあるのだと慢心していた。
「お前がいたからなんだジェメド。ジェメドなら、警備だけじゃ心許ない。そう町長は判断したってことだ」
天才。言い切ってしまえば容易いが、ジェメドのそれはそんなものではない。
町長も、そう思っていたのではないか。
ジェメドがいれば、脱出をされる可能性があると。
つまり、キノやジョンハットだけならば、町長、あるいは警備すらいらなかったかもしれない。しかし、ジェメドなら。
「俺は外に出たいけど、そんな力は無い。諦めたんだ。だから解散だ。なに、革命団がなくなっても、俺とお前の関係は変わらない。これまで通り、仲良しだ」
「...ほんと?」
「本当だ」
「ほんとのほんと?」
「本当の、本当だ」
ジェメドは満面に笑顔を咲かせている。
所詮凡人の夢だったのだ。家の農家を継げば良い。切り替えてみれば、爽やかな気分になれる。
実際今日の夜は、健やかに眠れたし、姉のラノンとも、気兼ねなく話せるようになっていた。
これで解決だ。これからは、この方舟で幸せに生活する。
解決。
解決。
解決。
「....」
◯
「おはよう」
「おはよう」
翌日の朝、いつものように外に出ると、いつものように、ジェメドが待っていた。
少し安心しながらも、気持ちを正す。
革命団は解散したんだ。
「今日はやるの?」
「ん?」
待ち焦がれたというようにキノを見るジェメドに、思わず疑問が浮かぶ。
「だから、今日はやるのって」
「何をだ?」
何度言っても分からないものは分からない。はてなを頭に浮かべたキノに痺れを切らしたように、思い切り一歩を踏み出して、ジェメドは言った。
「だから!脱出!なんで分かんないの!」
ジェメドは元気良く憤慨している。揺れる灯りが、躊躇うように揺れている。大蛇の天井は仕方ないほどつまらなく、鬱蒼としていた。
思わず面食らってしまったキノは、ジェメドを凝視する。
本気で言っているようだった。
「いや、革命団は解散だろ?」
「え?」
笑顔のままに、ジェメドは眼を大きく開ける。弧に描かれた唇が、迷ったように歪に曲がる。
昨日の反応と、全く同じだった。
純粋な瞳に、恐怖を抱いた。




