第十四話
カーーーーーーン!
「うぎっ?!」
耳につんざく甲高い音が聞こえる。じりじりとした頭は、ようやく鐘の音だと理解する。
ガランの方舟にはナキ達以外に十九人の住人がいるが、その誰もが物音一つ立てやしない。家の外を見ても、寝そべっている老人は動かないし、青年が通り過ぎても挨拶もない。一人一人が他人を見ていない。一人で生きているという感じがした。
この時点で、ナキはガランの方舟という場所を、異常なものとして見ていた。
家族。ガランのいう家族とは、どういったものだろう。
ぐるぐると思考を回しながら、ガランの食卓へと赴いた。
「なんだこれ...」
広場の真ん中に置かれた長机に、おそらく全員分の椅子と、料理が並んでいた。大きな肉が三つ、彩り豊かな料理の真ん中に鎮座していた。
痩せぼての男、ジョンハットが、料理を持って自分の椅子に座った。前とは打って変わって、笑顔になっていた。にこにこと笑んで、礼儀正しく座っている。他の住人も同様だ。
頭布を巻いた少年とレディ、ガランの三人は遠目から何か、和気藹々と話していた。外野から笑い声や相槌が、楽しそうに長机を囲んでいる。
「こっち」
声がすると、セディアが手招きしていた。隣にイト、ルフリア、キョウが並んでいる。キョウの隣に腰掛けると、目敏くガランは感知する。
「これで全員か!」
「いや、まだキノさんが来てない」
「キノがぁ?!」
「うん」
ガランは目玉が飛び出る勢いで、少年を凝視する。少年は臆すことなく目の前の料理を見ていた。ナキがあんな顔で見られたら、料理どころではない。それこそ、昨日の様に極限まで腹を空かせていなければ出来ない芸当だ。
「何故だぁ!!」
覇気が、ここまで伝わった。ガランの怒声で、この場の誰もが口を閉ざす。恐怖がこの場を支配した。
「..なんで」
先程まで和気藹々と話していたレディも、額に玉の汗を浮かべている。今の今で玉の汗など、よっぽど感情が動かないとなるものではない。
事態の急変にはらはらしていれば、ガランが立ち上がる。苦虫を噛み潰したように、苦しい表情になっていた。
ガランは椅子から離れ、どこかに行こうと一歩踏み出した時、頭布の少年が右腕で、ガランの腕を掴んだ。
「父さん、もう少し待ってみよう」
「もう少しぃ..?!」
「ああ、毎回言ってるけど、誰だって遅刻はある。寝坊だったり、体調が悪かったり」
少年は平坂とした口調で、冷静沈着につらつらとガランを諭している。少年の態度はいつも通りだ。ただ、その雰囲気にはいくらかの危険が孕んでいる。
「もちろん、遅刻は許されない。そんなのフェアじゃない。だけど、少しくらいは勘定してあげても良いんじゃーー「家族は遅刻をしない!!!」
これまで以上の大声で、少年の言葉をぶっ潰す。力技の遮りに、少年の頭布が大きく揺らぐ。
「家族は家族が大好きだ!!家族は家族を想うもの!!だが俺は決めねばならん!!家族を破った者は、父の俺が決めるのだ!!」
少年の耳元で、声を抑えず叫んでいる。少年は左腕で、頭布を口元に押し付ける。眉は歪み、目は懸命にガランを見つめていた。
その状態のまま、数秒が続く。空気はとうに凍っていて、ガランが今にも爆発するのを今か今かと恐怖する。
懸命に見つめていた少年の目が、段々と閉じていく。額に汗が流れているが、気付かない程なのか、頭布は押し付けたままだ。
少年の目が完全に閉じた頃、同時に少年の右腕も、ガランから離されていた。
ガランは悲しそうな表情で、少年を見つめる。振り返り、決死の表情に切り替わる時、その人は現れた。
「ごめんごめん。遅れちまった」
ぼろぼろの緑の外套を全身に纏って、ぽりぽり髭面を掻いている。がに股に歩きながら、悠々自適な声音を発する男が、長机に向かっていく。
茶髪に茶髭。一際目をひいたのは、黒と灰の、綺麗な虹彩異色だった。
「何故遅れた!!」
「新顔なんて初めてだろ?家族がどれだけ大事なものか、知っておくべきさ」
言いながら、歩を進める男。それをじりじりと見つめるガランは、一体何を考えているのか。握られた拳が更に握られ、血管が深く濃く、浮き出ていた。
「な、ガラン」
ガランの名を呼んだ男は、しかしガランを見ていなかった。男の目線は、頭布の少年に置かれていた。
「そこの人達。これで分かった?ガランの方舟じゃ、これがルールだ。ここは幸せだけど、家族を破ったら、御法度だからね」
少年はナキ達を見て、眉と目が笑った様に窄められる。
「ガハハハハハ!!そういう事か水臭い!」
「ははは。そういう事」
キノと呼ばれた虹彩異色の男はちらとこちらに目をやって、ガランを見据える。口端を上げて、ぼろぼろの外套を脱いだ。
「まあ、家族に迷惑かけたんだ。それは反省しなきゃな」
「家族の大切さを実体験で説こうとしてくれたのだな!その心意気は華だ!だが...」
ガランは腕を組み、キノの心持ちを満足そうに頷いていた。すると一変、悲痛な顔に切り替わる。
「もっと他にやり方があったんじゃないのか?」
「ごめんな。親父」
キノの瞼が閉じる。両手が握り締められ、その腕で力が込められているのが分かった。
そんなキノを悲痛な表情で見遣るガランは、一歩一歩ゆっくりと近付いていく。右手が浮き肩が上がった頃。
「..は!?」
「....ひ!」
ガランの右拳がキノを捉えた時、何かが破裂したような音が、ガランの拳から空気を伝って食卓に降り積もる。破裂音と共に、キノの身体は床に叩きつけられた。
床が歪み、キノは身動きもしない。思わず、ナキとキョウは叫んでしまう。あり得ない状況と、ありえない威力に。
「こんなことさせて...ごめんな親父」
死んでしまった。そんな心配を覆すように、キノは上半身を上げた。顔には血がべったりと漏れているが、当の本人は気にせずに、ガランに謝罪をしていた。
「顔を洗って出直してこい。キノ」
「...あいよ」
◯
「今日は豪華だな」
「ガハハハハハハ!なんせ家族が増えたからな!」
記憶など無かったように、二人は笑い合っている。先ほどまでの光景が嘘だったかのように、住人が笑っていた。
包帯で顔を隠しているものの、時折血反吐を吐くのはやめて貰いたい。見ていて心配になるが、それを言うべき空気ではないことは百も承知だ。
ガランは掌を合わせる。
すると、住人の皆もそれに合わせて掌を合わせる。倣って従うと、少しの静寂の後、ガランが叫ぶ。
「頂きます!!」
「「「頂きます!」」」
挨拶の後、ガランは一目散に肉に齧り付く。鉄皿の上の大きな奇形動物の肉を各々がナイフで切って、口に入れる。わざとらしく頬に手を乗せはふはふと言っている女を、ガランは楽しそうに見つめている。
ばくばくと食べ始めた住人を見て、ナキも控えめに、手前の生野菜を口に入れた。汁物も、肉も、全てが美味しかった。
言いようのない違和感を感じながら食べ続けていく。その内会話が流れ始めて、家族と言っても差し支えないだろう空気が流れ込む。ただそれは、偽物だ。空元気な空気が、ナキの胃を縮めていた。
◯
ナキの家で、四人が長椅子やら寝椅子やら寝台やらに座り込んでいる。キョウの家の方が良いと言えば、立地が悪いと断られた。どういうことだ。
あれから、二回の鐘が鳴った。朝昼夜かは分からないが、頭布の少年の言う通り、ここでは一日三回の鐘が鳴るらしい。その度に広場の中心で、食事をしなければならない。二回目の鐘が鳴った時点で、ナキは鬱屈とした気持ちを抱えながら、ガランの食卓に赴いていた。
「やばいぞ、あれ」
「やばいというか、怖いですよ...」
「うん。狂気だねー」
一回目以外の食卓も、豪勢では無かったが、同じようなものだった。ガランを中心に、少年とレディが聞き手。間にキノの茶々が入り、住人が頷いたり、笑ったりする。すこぶる異様だ。キノは顔中包帯まみれで食べるのにも苦労していそうだったのに、和気藹々とガランと話していた。
「ここ、避難場所じゃないのか?」
「避難場所?」
ぽかんとしているセディアに一瞬危機感を覚えたが、得心がいったように笑顔になった。
「あー、シェルターのことねー?いや、私たちもさ...」
「?」
「あんまよく分かんないんだよね」
頭をかきながら、ちょっとした申し訳なさを感じる口調で言った。
「...え?」
「というのもあのカード。一千年以上前のものなんだって」
「..分かんないってことか?」
セディアの顔がキョウに向けば、キョウは慌てたように話し出す。
「え、ええっと..このカードをガランの跡地、三角大岩の頂上に入れなさい。そうすればシェルターが開く」
「ネリアさんが貴族なんだ。その息子がキョウさん。ネリアさんは、カードを持って、私達を逃がしてくれた」
言葉足らずなキョウの代わりに、ルフリアが説明してくれる。
ネリアさんというのが巨騎士。そのネリアさんがカードを持って、守護神ではなく化体になって、カイルから大勢を逃したのだ。あの巨騎士は今も家の近くにいる。
巨騎士もといネリアのお陰で、ナキは今生きれているのだ。
「中身は異様な光景だったがな」
「そうなんだよねー」
そうなのだ。今、生きれているのは有り難い。腹も膨れたし、爆睡も出来た。が、永住などもっての外だ。ガランの提案には乗れないし、あの住民達も、なんだか見過ごせない。
「とはいえここは大蛇の中だ」
「あの二人を怒らせちゃったらどうなるか分かんないよ...?」
セディアが自分で肩を抱きしめる。怯えているふりをしているが、おそらくおどけている。
「その、ネリアさんは、どうなんだ?同じ化体なんだから、互角だと思うんだけど..」
「外にいたらねぇ。ここは中だから、あの子の言った通り確実に負けちゃうね。何回串刺しにされるか分かんないよー」
にへらと笑うセディアに、緊張感は一欠片も感じられない。では、どうやってこの状況を打開するのか。
「あと、あのガランとかいう裸男。あいつ、凄く強い」
ルフリアが言い切った。彼女が言うのなら、相当強いのだろう。ナキから見ても、ガランはとてつもなく強い。あの威力は、どう足掻いても死ぬ。キノが生きているのが本当に不思議だった。
それが無くとも、まだ未熟なナキでさえ、素人でさえ分かる程の威圧感が、ガランにはあった。それこそ、化体のような重圧が、体の節々から漏れ出ているかのようだったのだ。
「今の私達の戦力じゃ、ここを手籠にするのは無理だ」
「しばらくは、大人しく従った方が身のためだね」
「遅刻するなよ」
「私はイトさんが一番心配だ」
避難場所と思っていた所は、操り手が独裁する方舟だった。一先ずの前途多難は終わったと思っていたが、まだまだ先になりそうだ。
「それと、あの糸目野郎のことだけど」
糸目野郎というのは、ガランの方舟に落ちる前、地上でライギルドと共にいた想起士のことだ。あのまま戦闘が続いていたら生きていたのかも怪しいが、信じられないことに、糸目想起士はナキ達を見逃した。
何か考えが無ければ、そんなことはしない筈だ。
「絶対なんか企んでますよね...」
「ナキはなんか知らない?ロジバルト出身として、何が情報へるぷみー」
手を上に振って、緊張感も無くセディアは言った。確かにナキはロジバルト出身ではあるが、何も分からないと言った方が合っていると思う。
「...分からないけど、想起士が俺達をみすみす見逃すなんてのは、あり得ないことだと思う」
「ふむふむ、なんで?」
「...俺達は、外の人間を全員、悪魔と見做しているから」
「悪魔?」
「少なくとも俺は、こんなことになるまで、外の人間を、その..」
「?」
セディアは何も気にしていなさそうだ。他の三人に話すのは、どうにも緊張する。特にイトには。
こんなこと、面と向かって話すのは、相当な胆力がいる。
「躊躇ってないで、早くしろ」
だが、言わないといけない。ここまで話してしまったのなら、言うべきだ。
「...人間じゃないと、思っていたんだ」
言ってしまった。罪悪感が身体を支配する。金縛りにあったように固まってしまった。
「そんなことは聞いていない。馬鹿なのかお前は」
イトの割り切った悪口に、ぽかんと口を開けてしまう。他の面々も、いつも通りの表情だ。
「ごめんねー。ロジバルトのことは、大体知ってるんだ」
「え?」
「歴史の授業で習うんだよ。ロジバルトって国は最低最悪の洗脳大国だってな」
「...!」
洗脳大国。その言葉を聞いて、怒りが湧いた。感情の動きが分かりやすく、恐らく全員に伝わったのだろう。ぴりぴりとした空気が、肌に纏わりつく。
「それは良いから、何かある?」
「...ごめん。思い当たらない」
「そっかぁ」
拳を握り締める。洗脳なんかではない。認めない。認めたくない。それであったら、ナキは一体何の為に生きてきたんだ。
ーー「この悪魔がぁ!!」
友達に言われた言葉を思い出す。同時に、ロジバルトの仲間達が想起する。
腰に付けた仮面を、少し触る。この感覚が、切なく、安心する。
こんな所でぐずぐずなんかしてられない。
ナキは、知らねばならぬのだ。
怒りを拭って、考える。糸目の想起士がナキ達を見逃した理由を。必ず殺せる算段があるはずだ。だから見逃した。その算段は、皆目見当もつかない。ロジバルトにいたとはいえ、ナキとて分からないことの方が多い。
だから、別の方向で考える。糸目想起士がここでナキ達を見逃した理由は恐らく、このガランの方舟だ。何をしようとしているのか確認した結果、地中から大蛇が出てきた。大蛇に飲み込まれたナキ達を見て、糸目想起士は何を思ったのか。
ナキは首を振る。いくら考えても分からないなら、ここを出る為に考えることだ。
「ここを出たら、どこへ向かうつもりだ?」
自然と口を突いて出てしまった言葉は、しかし不思議に思うところだった。地上に出た所で、行く所は限られている。
「龍人の森」
ルフリアが答えた言葉は、やはりそうだった。ナキが放浪していた時に考えた逃げどころ。
龍人の里と呼ばれる、龍人が住む森の要塞だ。
ロジバルトと龍人は、遥か昔争っていた。お互いに犠牲しか出さなかった両陣は、互いに不干渉を結んだ。それが今の大陸だ。半分はロジバルトが、半分は龍人が持つこととされた。
その龍人のところに行けば、可能性はあると思っていた。ナキだけでは無謀だったが、ルフリア達がいれば。
「私達には行き場がない。ロジバルトは駄目だ。問答無用で殺される。なら、行き先はそこしかない」
ルフリアの目の奥がゆらゆらと燃えている。初めて、銀髪の少女の本音が聞けた気がした。
龍人の里へ行ってしまえば、ロジバルトであるナキは危うい立場になるだろう。
そして、味方なのかどうか危ぶまれる。
それでもナキは、ついていきたいと思った。何があっても、自分に何が起こったのか知りたい。それと同時に、この人達についても、龍人についても、知らなければいけない気がした。




