第十話
「やっと来たー」
抱きかかえられ、なけなしの力で暴れたまま、どのくらいが経っただろうか。
少女一人でも厳しいのに、敵が増えてしまえば、絶望的な状況がもっと絶望になってしまうではないか。
それでも諦めてはいけない。ここから、どうやって逃げ出せるだろうか。考えろ。考えろ。考えろ。
「って、誰この子」
「いっ」
額に衝撃が来て、なけなしの暴れを止められる。ひりひりとする感覚を両手で押さえて顔を上げると、金髪の女がナキを見ていた。デコピンという奴か。
「面白い奴」
「面白い奴って...え?この子あっちじゃん!」
「..なに?」
金髪の女が口を開けて爽快に驚くと、どこからか鋭く男の声が聞こえて来る。
「うん。でも、他とは違う。取り敢えず生かしてみようと思って」
「ふーん?」
適当さが目立つ調子で、金髪女はナキの身体中を見回す。首筋に鼻を近付け、くんくんと匂いを嗅いでいる始末だ。
「...??」
どこか軽めの雰囲気に絆されてしまったのか、ナキは困惑を前面に表して、今の状況を傍観していた。
「んふー」
観察が終わったのか、金髪女は天晴れと言いたくなるくらいの笑顔を咲かせている。
「ちゃんと私のこと見てるね」
その眼に吸い込まれそうになった時、金髪女は笑顔のまま立ち上がって、視界の端へ消えていく。
「イトもそれで良い?」
「..どちらでも」
「よし!それじゃあゴーゴーゴー!」
ご機嫌に歩き出す金髪女に、ナキを抱えた少女はついて行く。イトと呼ばれた男の元に、ニ匹の天馬の姿があった。
「ちょっと、待て」
三人の雰囲気にどこか拍子が抜けたのか、警戒心は解けてはいないが、声を掛ける。この雰囲気では、殺される、ということは当分なさそうだ。
「なに?」
「リリー、が」
「リリー?誰だそいつ」
「...リリーが、どこかにいる、筈だ」
何を無くしても、リリーだけは亡くしてはいけない。ナキをここまで助けてくれた、ここまで支えてくれた友達なんだ。このまま連れ去られてしまう前に、リリーだけは。どこかで倒れているならば、助け出さないと。
「お前が言っているのはあいつのことか」
男、イトがそう言うと、突然と視界が回転した。少女がそれに合わせるように調整したのだ。
視界が止まると、ぐらぐらした頭の中、白い馬を見つける。鎧も着ていない真っ白い身体に、所々に血が塗れていた。
ここからでも分かる。リリーだ。
リリーはちょこちょこと歩き出す。ナキに向かって歩き出す。近づいていく度に、胸に何かが溢れるようだった。
三人は信じられない。素性も知れぬ三人組で、恐らく、これまでナキが悪魔と見做していた人間達だ。その人間達に半ば捉えられ、どこかに連行されようとしている。
なのに何故か、ナキは安心していた。
リリーは、もう目と鼻の先だ。その口元には、落とした筈の、獅神ライギルドの仮面が、ゆらゆらと揺れていた。
「こいつか?リリーって奴、は....」
少女はナキを見下ろして、確認する。
少女の言葉が止まったのに不信を抱いたのか、金髪女がナキの傍に屈んで、先程のように観察する。
両目一杯見開かせて、金髪女は言った。
「泣いてる...」
◯
右肩の傷には、いつの間にか包帯が巻かれていた。とても痛むが、我慢できないほどではない。
包帯は、セディアが巻いてくれた。めそめそと泣いているナキに何も言わずに、ただ怪我の処置をしてくれた。
今はルフリアの前に位置して、他の想起士の相棒だった筈の天馬に乗っていた。
この天馬達は想起士を殺して、力ずくで奪ったそうだ。乗馬の経験など無いだろうに、ルフリアとイトは荒さはあれど、問題なく乗れている。
「力で脅せばなんとかなる」
そうだ。二匹の天馬は脅され、不承不承乗せてしまっているのだ。
と、こんな風に冷静な思考をしてしまう自分は変わってしまったのだと思う。少なくとも今までの思考の外にいる。そんな気がした。
「おい」
「でさー、私その時大泣き!イトちゃんが助けてくれなきゃ死んでたしー、王子様かと思ったらおっさんだしー、髭生えてるしー、もう大泣きでー!」
「おい」
「何思ってるのか分かんないし見てよあの背中。私が大声で罵倒してるのにあの態度だよ?可笑しくない?こんな美人が罵倒してるのに澄ました顔するなんてありえなくない?可笑しくて大泣きよあっはははははは」
「..おぃ」
「でもでもさっきだって危ない所助けてくれたしー、ありがとうって言ったらああって言うのよ?きりっと、ああって。ほっぺたまで赤らめて言うのよ?年齢聞いたら二十歳って言うの。あの人なりにふざけてるのかなーねぇどう思う?」
「...知らな「あ、そういえばあの二人のマントちゃん達はね、偶然逢っちゃったのよ。違うイトちゃんだったら運命だと思うんだけどこのイトちゃんだしねー。だからなのか知らないけど私達のこと急に襲ってきてー、ただでさえ動物達に襲われてるのに!こっちの美少女ルフリアちゃんは激強だから余裕のヨーヨーだったんだけどー。二人の顔がね、ほんと鬼みたいになってーーーー」
信じられないくらい喋っている。会話が成立していないというのに、ありえないくらい饒舌だ。
自分の知らない未知の人間に会うと、こうも圧倒されるのか。矢継ぎ早過ぎて、会話の隙が見つからない。
「諦めるしかないね」
ナキは今、ルフリアと呼ばれた銀髪の少女の前で、リリーではない天馬に乗っていた。リリーはその背後に付いてきている。前にはイトが、一度も後ろを振り返らずに天馬で駆けていた。
そしてうんざりする程喋って来る金髪の女、セディアが、隣り合うように天馬に乗っていた。
「諦めるしかって、いつまで続くのか...」
「元はと言えば、お前が泣いてるせい。あの時のセディア、見た事ないくらいあたふたしてた」
「...ああ、そっか」
「まあ、あたしもニ日そこらの付き合いなんだけど」
「.....」
「ちょっと無視しないでよ」
無視をすれば気付くらしい。セディアは目をうるうるさせて、ルフリアに抱き付いた。
「何?」
「若さの補給」
「...いくつなんですか?」
「んー?」
聞いてはいけなかったようだ。セディアはほんわかな笑顔を浮かべてこちらを見ている。
少しの罪悪感が芽生え始めた頃、セディアは目を見開いた。これまでの印象で、何か来るのではないかと身構える。
「泣き止んでるじゃん!良かったよー!」
セディアのおかげ、と言うのはいささか疑問ではあるが、毒が抜けたと言う意味では、認めたくは無いがそうなのだ。
心底安心した様子で、セディアはルフリアをもっと抱きしめる。よくもその態勢で天馬に乗り続けられるものだと感心するが、当の天馬は飛びづらそうだ。
ルフリアがセディアを押し除けると、ようやくというようにため息を吐いた。
「ようやくだな」
背中に視線を感じる。突然の刺すような視線に、ナキは身震いする。ルフリアが見ているのだ。逃げ場はないと言われるように、声が、全身から聞こえて来るようだった。
「お前、何があった」
◯
三人に、これまでの事を話した。悪魔と戦い、気付いてしまったこと、友に殺されそうになり、命からがら逃げ延びたこと。その先で三人に出逢ったこと。
話しているうち、自分の事ではないように感じることがあった。他人の人生を話しているような他人事の風があった。とても、嘘みたいなことだからだ。
「そう...」
二人は思案しているようだ。それもその筈で、自分でも何が何だか分からない問題を、第三者が解くのは無理難題だ。何かきっかけがあれば良いのだが。
「まあ、それは置いといて..ルフリアちゃん」
「あぁ..私達は、空から来た」
ルフリアは人差し指を天高く上げる。釣られて、穏やかな夜空を視界に収めることが出来た。綺麗で、とても落ち着く。
「なに、言ってんだ?」
「お前の国に堕ちた化け物の中に住んでいたんだ」
「はぁ...?」
摩訶不思議なことを真面目に言っているルフリアに、渋面を隠しきれない。
化け物の中ということは、胃袋辺りで生活していたということだろうか。そもそも、絶叫が聞こえただけで、あれは生き物などではないのかもしれない。
「もしかして、生き物じゃないのか?」
「?あれは正真正銘人間。お前の所のあの獅子と同じ、私達の罪でしょ」
罪?
「まさか、知らないの?」
何故か驚いた顔をするルフリア。セディアはといえば、ナキをじっと見つめて、以前みたいに一言も喋っていない。
知らない、ではない。知っている。知っているが、それは罪なんかではないのだ。全く逆の、神聖なもの。
「守護神様は、神ロジバルトと神徒が交わる事で生まれる。それを、あの化け物なんかと一緒にして、挙句罪なんて、悪魔風情が..馬鹿にするな!!」
意識とは無関係に、怒りがどこからか溢れ出した。拒絶が急速に沸騰して、瞬間的に爆発した。吐いた言葉を反芻する。
何故、こんなことを言ってしまったんだ。
「今すぐ殺すべきだ」
イトが、冷たい声音で言った。イトの後ろに乗っているセディアは、どこか思案げに下を向いていた。冷や汗が崩れるように流れ出る。
それは命の危機、という意味ではなく、己の不確定さにだ。
「ふーん。そう洗脳されてるんだ」
背後のルフリアが、覗き込むようにナキを見下ろす。俯くナキに、何を思っているのだろう。銀の長髪がナキの背中に触れ、身動きが取れないような感覚を覚えた。
「...分からないんだ」
「何が?」
「...」
ゆっくりと、外から這い寄って来る夢の情景。己の常識。そして、ナキが見た現実。
全てが絡み合って、何が何だか分からなくなる。今どこにいるのか、何を喋っていたのか。誰といるのか、誰といたのか。誰がいたのか。
ナキとは、何だろうか。
「自分が、分からない..」
自分とは何だろう。何度も繰り返し自問自答する。答えが返って来ることはなく、全てが虚無のように感じた。
「ま!今はいっか!」
ぱちんと音がした。セディアが両手を叩いて、快活な声でそう言った。
「私達はね、ただ適当に飛んでる訳じゃないんだよ。目的地があるの。それももうすぐそこ」
「...目的地」
夢現の状態で声を出す。精一杯出したと思った声は、思う以上に酷くか細かった。
それでもセディアは嬉しかったのか何なのか、目をキラキラさせながら語り出す。その元気さが、いくらかナキの興味を惹いた。
「伽藍の跡地に、シェルターがあるのよ!」
セディアは鼻高々に、ご機嫌にうきうきとしている。
シェルター。言葉に妙な嫌悪を抱きつつ、その意味は理解していた。避難所、隠れ家が、伽藍の跡地という所にある。理解しつつ、それでもナキは、曖昧模糊としていた。
森を抜けると、見渡す限りに丘がいくつも広がっていた。その一際大きい丘の上に、大きな街がある。
あれが、伽藍の跡地。隠れ家があるというそこは、瓦礫しかない、廃れた街だった。
「その前にだが」
イトが呟くと、伽藍の跡地の、かろうじて残ったであろう石の門の先に、紅の騎士の背中が見えた。
ガアアアアアアアアアアアアアアアアアア!!!
覇気が、ここまで伝わって来る。聞き覚えのある咆哮がこの身に沁みた。
腰に付けた仮面が揺れる。仮面が当たる感触を深く感じる。
そこには、獅神ライギルドがいた。
「あいつをどうするかだ」




