願い桜
桜並木の下を2人で歩いた記憶がまぶたに焼き付いていた。
桜の花びらを踏みつけないようにゆっくり歩くミズキは、優しい人なんだなと思った記憶がある。
それを本人に告げると、心底可笑しそうに「うっかり毛虫とか踏みそうで、嫌なだけ」って言われてしまった。その素直さが可愛くて、初めて惹かれた春の朝だった。
「ユウ、おはよ」
千鶴に肩を叩かれて、我に帰る。どのくらい此処に立ち尽くして居たんだろうか。
「ちぃ、早いね」
「あと10分で始業だよ?」
「嘘、マジか」
「何かぼーっとしてた?」
「春だからなぁ」
春だから、封じ込めてきたはずの記憶が、少しだけ蘇ってしまったみたいだった。
千鶴と小走りで教室へ向かう。幸いまだ先生はきておらず、教室は騒がしい声で溢れかえっていた。
「ちぃちゃん、ユウ、こっちこっち」
後ろの方の席で、よく見知ったヤツが手招きしているのが見えた。右手をあげ、教室の段差を越え、タツキの隣に座る。
「おはよ、ってか、ミズキ来てたんだね」
「きてちゃ悪い?」
「いや、珍しいじゃん」
千鶴が驚くのも無理はない。ミズキは授業をサボる常習犯だから、一限から教室にいるなんて快挙に近い。
始業時間から10分がたっても、先生は教室にあらわれなかった。春眠は老若男女平等にばらまかれるものなのかもしれない。
「はぁ」
頬杖をついてミズキが溜め息を吐き出した。機嫌が悪いのかもしれない。なまじ綺麗な顔立ちをしているせいで、ミズキのしかめっ面は変な迫力がある。そして同じくらい憂うミズキは綺麗だった。
「はぁ…」
隣からも溜め息が聞こえる。
「ちぃまで溜め息ついて、どーしたの?」
問いかけると、千鶴は困ったように笑って首を振った。
「なんでもないよ」
なんでもなくはないはずだ。溜め息は移る。気付けばタツキと同時に、大きな溜め息をついていた。
溜め息でもつかなきゃやってらんねー、タツキがいつだか顔を歪めてそう呟いていたのを思い出した。
「先生来ないなぁ」
「ねねっ、花見しない?」
「でも授業じゃん」
「休講だって、どーせ」
それもそうだな、なんて4人で教室を抜け出した。中庭には大きな桜の木があって、そのしたにはベンチと机が並んでいる。
千鶴がベンチに駆け寄り、手招きした。
「すっごい綺麗!」
タツキが千鶴に駆け寄り、ホントだ!と肩を並べた。
ミズキは躊躇いがちに桜の木の下へ歩み寄る。強がっているんだろう。
「こっちから見ても綺麗だけどな…」
思わず呟いた。だけどミズキは気付かなかったのか、そろそろとタツキの隣へ歩いていった。
かなわないなぁ、かなわない。とてもかなわない。ミズキの視線はまっすぐ、タツキだけをうつしている。
苦しい気持ちが胸から込み上げた。逃げ出したい衝動にかられた。それを拒むように突風が吹く。
「うわっ、すごい!ユウもおいでよ!」
まるで雪のようだった。逃がさないためのさくらの豪雪。みんな逃げ出したい筈だ。辛いはずだ。だからひとりで逃げるわけには行かないのだ。3人のほうへ足を向けた。
「さくらの花びらを地面につくまでに捕まえると、願いが叶う」
唐突にミズキが言った。なにそれ、と千鶴がミズキに疑問を投げかける。
「迷信、うちのじーさんが昔言ってた」
タツキが黙って手を伸ばした。宙を掴む。空振りに悔しそうに舌打ちをして、再び風を待つ。
千鶴も腕をまくり、花びらを目で追っている。
みんな何を願うのだろうか。誰かの願いが叶えば、壊れてしまうこの関係に、何を望むのだろう。
不意に花びらがゆっくり落ちてきた。思わず手を伸ばす。
「あ」
その手はミズキの手と重なり、2人で手を引っ込めた。花びらはゆっくり地面に落ちていく。
「ミズキはなんてお願いするの?」
問いかけに曖昧に微笑んだまま、首を振った。どうやら内緒らしい。
「毛虫が居ませんように、とか?」
「そんなわけないだろ」
「嫌いなクセに」
「みんな嫌いだろ」
「みんな好きだよ」
「は?」
みんな好きだよ、みんなのことが。
私は飛び上がって花びらを一枚掴み取り、願をかけた。
願わくばこのバランスが崩れませんように、と。
みんな一枚ずつ、願いをかけた花びらを、そっと根元にかえした。同じ願いであればいい。
タツキが髪をかきあげながら、戻ろっかと呟いた。
桜の木の下を離れだす3人の背中をみながら、叶わぬ私たちの気持ちの行方が、どうか平和でありますようにと、桜の木に念をおして私も歩き出した。
登場人物についてひとつ。
櫻井優花→ユウ 女の子 ミズキが好き
水樹桂太→ミズキ 男の子 タツキが好き
立木菜々→タツキ 女の子 千鶴が好き
芦谷千鶴→千鶴 男の子 ユウが好き
そんなささやかな四角関係のお話。
プチ性別トリックになっているのですが、深い意味はなかったり。
実際に失恋したときに、心の中の物を吐き出すように、携帯に打ち付けたお話でした。四角関係、それもそのまま。
現実のバランスはそううまくはいかないけれど、せめて物語の中だけでも、4人がハッピーエンドな着地点を見付けてくれることを願っています。