第八話:アラミスの介入と葛藤
大図書館の「禁じられた書架」から放たれる魔導書の暴走は、図書館全体を揺るがし、その影響は帝都の空にも不穏な紫色の光として立ち上っていた。
アースガルド王国の王族が介入し、宮廷内の権力争いと結びついた暗躍が本格化する中、混乱の極みにある図書館の一角に、一人の男が姿を現した。
「これは……思った以上に派手にやっていますね」
そう呟いたのは、異国の商人アラミスだった。
褐色の肌に青い瞳の彼は、図書館全体を包む尋常ならざる魔力の渦と、そこから漏れ聞こえる人々の悲鳴を冷静に分析していた。
彼は王宮からの「調査団」に紛れ込み、この混乱に乗じて「隠された魔導書」へ近づく機会を窺っていたのだ。彼の背後には、彼にこの任務を命じた豪商の結社の影がちらついていた。
アラミスの足は、自動的に魔力の中心へと向かっていた。
彼が向かう先にあったのは、激しく暴走する禁断の魔導書と、その前で筆を走らせるかさねの姿だった。
彼女の黒い髪は紫色の光を帯びて逆立ち、瞳からは制御不能な魔力の奔流が迸っている。
その傍らで、アルト王子がかさねを庇い、迫りくる危険から彼女を守ろうと必死に奮闘していた。
「……まさか、ここまでとは」
アラミスは驚きを隠せない。
かさねの内に眠る力が、想像を遥かに超えるものであることを、彼は肌で感じ取った。
同時に、彼の中で激しい葛藤が渦巻き始めた。彼は豪商からの厳命を受けている。
この混乱に乗じて魔導書を手に入れることこそが、彼の、そして彼の商会の未来を確固たるものにするはずだった。
しかし、彼の脳裏には、市場で指輪を拾ってくれたかさねの純粋な瞳と、その時彼が感じた深い恩義が鮮やかに蘇っていた。
(このまま、彼女を利用して……いや、だが……!)
アラミスは、目の前で必死にかさねを守ろうとするアルト王子の姿も見ていた。
アルトの顔には、迷いなど微塵もない、ひたすらにかさねを案じる真摯な想いが漲っている。
二人の間に確かに存在する、彼には入り込めない絆が、アラミスの心を締め付けた。
彼は、かさねへの好意と共に、アルトへの複雑な感情を抱かずにはいられなかった。
結社の部下たちが、魔導書へとさらに近づこうとする。
アラミスは、それを制止するかのように、そっと手を上げた。
「迂闊に近づくな。この魔力は、並の者では太刀打ちできない」
彼の言葉は冷静だったが、その意図は部下たちを足止めし、かさねたちが安全を確保する時間を与えることだった。
彼は、自身の任務を完全に放棄するわけにはいかない。
しかし、かさねに直接的な危害を加えることも、彼女がこの状況で危険に晒されるのを傍観することもできなかった。
アラミスは、壁に隠れるようにしながらも、常に魔導書の中心にいるかさねから目を離さなかった。
王族の調査団と称する兵士たちが禁断の書架へ殺到した際には、彼はわざとらしく他の書架の方向へ目を向け、注意を逸らすような素振りを見せた。
あるいは、足元に小さな石を転がし、敵の注意を別の方向へ向かわせるなど、微かな、しかし確実な形で、かさねたちを助けようと試みた。
(この魔導書は、彼女にしか写せない。ならば、彼女が無事であることこそが、目的達成の前提条件だ……)
アラミスは、そう自身に言い聞かせながら、任務遂行という大義名分のもと、かさねへの個人的な想いを隠そうとした。
しかし、彼の青い瞳は、常に彼女の背中を追っていた。
彼は、この混沌とした状況の中で、自身の信念と、目の前の現実、そしてかさねへの秘めたる感情の板挟みとなり、深く葛藤していた。
彼の心は、これまでの商人の論理では測れない、新たな感情に揺さぶられ始めていたのだ。