第四話:図書館の異変と不穏な影
大図書館での日々は、かさねにとって発見と驚きに満ちていた。
アルト王子との知的な交流は、彼女の知識欲を深く満たし、ルチル王女との温かい時間は、孤独な写本師の生活に安らぎを与えてくれた。
そして、市場で出会った異国の商人、アラミス。彼の聡明さと、どこか掴みどころのない魅力は、かさねの心に微かな波紋を広げていた。
しかし、その穏やかな日常の裏で、大図書館は静かに、しかし確実に、その均衡を崩し始めていた。
かさねは、写本作業中にしばしば、これまで感じたことのない強い「声」を耳にするようになっていた。
それは、通常の書物が発する「読まれたい」「修復してほしい」というような穏やかな声とは全く異なっていた。
まるで、深く閉ざされた地下の底から響いてくるかのように、助けを求めるような、あるいは何かを訴えかけるような、切迫した響きを伴っていたのだ。
その声の源が、図書館の奥深く、一般には存在すら知られていない「禁じられた書架」にあることを、かさねは本能的に察していた。
ある日、修復を終えたばかりの古書が、突然、微かに震え出した。
書架の端に置かれていた他の本たちも、呼応するようにざわめき始める。
それは、まるで目に見えない波動が図書館全体を揺らしているかのようだった。
他の写本師たちは「古い建物だから仕方ない」と首を傾げるばかりだが、かさねには分かった。
これは、図書館の「声」だ。図書館全体が、何か異常事態を訴えているのだと。
その異変と時を同じくして、異国の商人たちが大図書館に頻繁に顔を出すようになった。
彼らは表向き、貴重な異国の書物や交易品を求めるために訪れていると語る。
その中心には、先日市場で会ったアラミスがいた。彼は相変わらず人好きのする笑顔を浮かべ、流暢な言葉で図書館員たちと会話を交わす。
時折、かさねの修復作業を興味深そうに覗き込み、「相変わらず素晴らしいお力だ」と称賛の言葉をかけることもあった。
だが、かさねには分かっていた。アラミスの青い瞳が、しばしば書架の奥、特に「禁じられた書架」の方向へと向けられていることを。
彼の結社が、その書架に隠された「隠された魔導書」を狙っていることを、彼女は漠然と、しかし確信的に感じ取っていたのだ。
彼の言葉や表情は穏やかでも、その奥に隠された鋭い探求心と、目的のためなら手段を選ばないであろう冷徹さが、時折垣間見えた。
アルト王子もまた、アラミスたちの動向を警戒していた。
彼は図書館の廊下でアラミスがかさねに話しかけている姿を目にするたびに、その眉間に微かな皺を寄せた。
アルトは、アラミスがかさねに近づくことに、密かに焦りを感じていた。
彼はかさねの持つ特別な能力の危険性も理解しており、それが外部の勢力に利用されることを何よりも恐れていたのだ。
「あの異国の商人たちは、ただの書物愛好家ではない。彼らの目は、もっと深い場所にあるものを見据えている」
アルトは、書物を調べるふりをしてかさねにそっと耳打ちした。
彼の言葉には、王族としての情報と、かさねを案じる個人的な感情が入り混じっていた。
図書館の天井から、微かに砂が落ちる音がした。
それは、ただの砂埃ではない。図書館全体が、何かに耐えるように軋み始めている。
書架の奥から響く「魔導書の声」は、日増しに強く、切迫したものになっていた。
かさねは知っていた。この異変が、やがて図書館を巻き込む大きな嵐の前触れであることを。
そして、その嵐の中心に、自分と、「禁じられた書架」に眠る「隠された魔導書」があることを。