第十五話:アラミスの葛藤と「恩義」の選択
「新たな魔導書」が、アルト王子でも、図書館長でもなく、異国の商人アラミスを選んだ瞬間、図書館を覆っていた緊迫した空気は、新たな次元の重みを帯びた。
アラミスの胸元に吸い込まれた光は、彼の全身をまばゆく輝かせ、その内に膨大な知識と力が流れ込んでいくのを、彼は確かに感じていた。
「アラミス様!これで、魔導書は我らのもの!真の歴史を公にし、世界の秩序を覆す時です!」
結社の幹部たちが、狂喜の声を上げた。
彼らの目には、アラミスが魔導書に選ばれたことが、自分たちの目的達成を意味すると映っていた。
豪商からの命令が、彼の脳裏に強く響く。
この強大な力を利用すれば、彼の商会は、世界の歴史すら動かすことができるだろう。これまで孤児から這い上がり、冷徹な判断力で今の地位を築いてきたアラミスにとって、それはあまりにも魅力的な「現実」だった。
しかし、同時に、彼の内には、市場で指輪を拾ってくれたかさねの純粋な瞳と、彼女が命をかけて守ろうとした図書館の真実の重みが宿っていた。
魔導書は、まるで彼の「意思」を試すかのように、彼の心に潜む野心や欲望を呼び起こそうとする。
強大な力が、彼に囁きかける。
「全てを手に入れろ。お前は、その資格がある」
アラミスは、胸元に宿る魔導書の光を見つめながら、深く、深く息を吐いた。
彼の青い瞳は、一瞬、激しい葛藤に揺れた。
目の前には、満身創痍でかさねを守り抜いたアルト王子が、自身が選ばれなかった悔しさを押し殺し、それでもなお、かさねの安否を案じる複雑な表情で立ち尽くしている。
かさねは、自身の写本がアラミスを選んだことに、驚きと共に、ある種の運命を感じているようだった。
(……恩人に、仇をなすことはできない)
アラミスは、静かに、しかし確固たる決意を胸に、自らの選択を下した。
それは、彼のこれまでの人生の全てを覆すような、「恩義」を優先する選択だった。
「下がれ」
アラミスの声が、図書館に響き渡った。
その声は、これまで彼が発してきたどの言葉よりも、重く、そして力強かった。結社の幹部たちは、彼の言葉に戸惑う。
「何をおっしゃいます、アラミス様!今こそ、我らの目的を……」
「愚か者め」
アラミスは、冷たく言い放った。
彼の全身から、魔導書から得た強大な魔力が、紫色の光となって噴出した。
それは、暴走ではなく、完全に制御された、圧倒的な力だった。
「この力は、貴様らが弄ぶようなものではない。そして、彼女が命をかけて守ろうとした真実を、貴様らの欲望のために汚すことは許さない」
アラミスは、魔導書の真の力を制御し、結社の幹部たちへと向かって、一歩踏み出した。
彼の周囲に、見えない障壁が展開され、幹部たちの攻撃を弾き返す。
そして、彼は指先一つで、空間を歪ませ、幹部たちを次々と図書館の外へと強制的に転移させていった。
彼らの顔には、恐怖と、アラミスの裏切りへの驚愕が浮かんでいた。
「……アラミス……?」
アルト王子は、その光景に呆然と立ち尽くした。
アラミスが、敵であるはずの結社を退けたことに、驚きを隠せない。
かさねもまた、アラミスの行動に目を見開いていた。
アラミスの顔には、苦渋の表情が浮かびつつも、どこか吹っ切れたような清々しさが宿っていた。
彼は、自身の内に宿った魔導書の力を、豪商の命令ではなく、自身の「恩義」と「良心」のために使うことを選んだのだ。
彼は、かさねに向かって、しかし誰に聞かせるでもなく、かすかに呟いた。
「この力は、私が持つべきものではないのかもしれない……だが、貴女が託したものを、私は決して悪用しない」
アラミスの選択により、図書館の争奪戦は、ついに終わりを告げた。
しかし、この選択は、彼自身の運命を大きく変え、かさねとアルト、そして世界の未来に、新たな螺旋を描き始めることとなる。