第十一話:多勢力入り乱れる争奪戦(アラミスの葛藤と見えぬ協力)
大図書館の深奥で魔導書が暴走し、戦場と化した書架の合間を縫いながら、アラミスは自身の置かれた状況に、深い苛立ちと葛藤を覚えていた。
豪商からの厳命は、この混乱に乗じて「隠された魔導書」を確実に手に入れること。
それは、彼の商会の未来を決定づける、最重要任務だった。
しかし、彼の青い瞳は、絶えず写本を続けるかさねと、彼女を命がけで守るアルト王子の姿を追っていた。
(あの女に、仇をなすことだけは避けたい……)
市場で偶然出会い、失くした指輪を見つけてくれた少女。
その純粋な瞳と、本に愛される不思議な力は、アラミスの心に深く刻まれていた。
商売一筋で生きてきた彼の人生において、これほど個人的な感情が、己の使命を揺るがすなど、初めてのことだった。
彼が率いる結社の部下たちが、アルトの決死の防衛線を突破しようと殺到する。
アラミスは冷静な声で指示を出す。
「迂闊に突撃するな!あの王子の動きは計算されている。無理に突破すれば、崩れる書架に巻き込まれるぞ!」
彼の言葉は、あたかも味方を気遣うようだが、その真の意図は、アルトがかさねを守るための時間稼ぎを助けることにあった。
彼は、アルトの献身を目の当たりにし、焦りを隠せない。
アルトがかさねへと向ける真摯な眼差しは、アラミスがかさねに抱く感情とは異なる、清廉な「騎士の愛」のようにも映った。
二人の間に確かに存在する、彼には入り込めない絆が、アラミスの心を締め付ける。
嫉妬にも似た感情が胸をよぎるが、それよりも先に、かさねの安否を気遣う気持ちが勝っていた。
(あの魔導書は、彼女の写本によってしか、真の力を引き出せない。ならば、彼女が無事であることこそが、任務達成の前提条件だ……)
彼はそう自身に言い聞かせながら、自身の信念と、目の前の現実、そしてかさねへの秘めたる感情の板挟みとなり、深く葛藤していた。
アラミスは、その卓越した状況判断能力と、長年の商人としての経験で培った「裏の顔」を巧みに使いこなした。
結社の通信魔道具を介し、わざと誤った情報を流す。「禁じられた書架の入り口は別の場所にもある」と伝え、敵の主力を別の書架へと誘導する。
これにより、アルトの防衛線の負担を軽減した。
乱戦の中で、味方の足元に滑りやすいインク壺を投げつけたり、重い書物を故意に落下させたりして、それとなく彼らの進軍を遅らせた。
それは偶然に見える小さなアクシデントとして処理され、彼の忠誠心を疑われることはなかった。
かさねが写本に集中する傍らで、かすかに聞こえる声で「もう少しだ、集中しろ」と、周囲の雑音に紛れるように励ました。
それは、彼女の無意識下に届くよう、囁きかけるような声だった。
彼の青い瞳は、常に魔導書の中心にいるかさねを追っていた。
彼女の眉間に刻まれた集中線、震える指先、そして時折漏れる苦痛の声。
その全てが、アラミスの心を揺さぶり、彼に「これまでの自分」とは異なる選択を促していた。
彼は、この混沌とした状況の中で、自身の信念と、目の前の現実、そしてかさねへの秘めたる感情の板挟みとなり、深く葛藤していた。
豪商の命令は絶対だ。
だが、かさねの恩を仇で返すことなど、アラミスにはできなかった。
彼は、自らの内に新たな感情が芽生えつつあることを自覚していた。
それは、単なる「恩義」を超え、一人の人間としての**「好意」と、彼女の純粋さに触れたことで生まれた「守りたい」という衝動だった。
彼の心は、これまでの商人の論理では測れない、新たな感情に揺さぶられ始めていたのだ。
「ぐっ……!」
背後から迫る商人の部下の一人が、彼が写本中の魔導書へ目を向ける。
その視線に、アルトは一瞬で殺気を放った。
かさねが集中を乱されることだけは、何としてでも阻止しなければならない。
「かさね殿は、この図書館の、この国の未来だ!あなたたちのような者に、弄ばれてはならない!」
彼はそう叫びながら、剣を振るう。
その一撃一撃には、かさねへの揺るぎない想いが込められていた。
ロマンチストな彼の心は、今、彼女を守るという一点に集中していた。
写本師として、そして何よりも一人の女性としてのかさねの存在が、アルトの決死の覚悟を支えていた。
彼は、もし魔導書が自分を選んでくれるのなら、その力を使って全てを守りたいと願っていた。
しかし、今はただ、彼女がこの危険な作業を終えるまで、時間を稼ぐことだけを考えていた。
アラミスもまた、アルトの決死の戦いを目の当たりにしていた。
彼は結社の命令に従い、魔導書へと近づく道を模索している。
しかし、アルトの献身的な姿、そしてかさねを守ろうとする彼の純粋な想いは、アラミスの心を強く揺さぶっていた。
彼は、アルトの戦闘を邪魔しないよう、別の敵の注意を引きつけたり、わざとらしく足音を立てて敵の動きを誘導したりと、間接的ながらもアルトの戦いを助けるような行動を取り続けていた。
図書館全体が、魔導書の暴走によって、今にも崩壊しそうに軋んでいる。
天井からは砂埃が舞い落ち、書架は歪み、いつ倒れてもおかしくない。しかし、アルトは決してひるまなかった。
彼はかさねの背中を守るように立ち、迫りくる敵の一撃を剣で受け止める。
その衝撃で、アルトの腕から血が滲み出た。だが、彼の瞳は、ひたすらにかさねを見つめていた。
「もう少しだ、かさね殿!必ず、私が守り抜く!」
アルトの声は、図書館の轟音にかき消されそうになりながらも、かさねへと届くように、強く響き渡った。
彼の決死の防衛が、かさねに写本を完成させるための、かけがえのない時間を与えていたのだ。




