第十話:多勢力入り乱れる争奪戦(ルチルの情報戦)
大図書館の「禁じられた書架」から放たれる魔導書の暴走は、その激しさを増す一方だった。
図書館内部では、アルト王子がかさねを守るため決死の防衛線を張り、異国の商人の結社や王族内の対立派閥が、目的の魔導書へと迫っていた。
その混沌とした戦場の片隅で、第二王女ルチルは、冷静沈着に状況を掌握し、自身の「情報」という武器を最大限に活用していた。
「こちらへ! その書架は古い構造です。敵を誘導しなさい!」
ルチルは、埃と瓦礫が舞う通路の奥から、図書館の警備隊長に矢継ぎ早に指示を飛ばした。
彼女のドレスは汚れてはいたが、その表情には一片の動揺もなく、むしろ戦場の指揮官のような鋭さが宿っていた。
彼女はただの「本の虫」ではなかった。王宮内のあらゆる情報に通じ、誰よりも宮廷の裏表を知り尽くした、稀代の処世術の使い手だったのだ。
「レオナルド殿下の私兵は、先ほど第三閲覧室を経由しました。彼らの狙いは、禁じられた書架への最速ルートですわ」
彼女は、無線魔道具を通じて、アルトの守備位置と連携を取りつつ、敵の動きを予測していた。
王宮内の噂話、高官たちの日常の癖、兵士たちの配置転換……ルチルが日頃から収集していた何気ない情報が、この危機において、全てが意味を持つピースとして組み合わさっていく。
彼女は、王宮内の情報網――それには、女官や下働き、果ては密偵のような者までが含まれていた――を駆使し、瞬時に敵の動きと意図を読み解いていた。
「異国の商人たちの主力は、どう動いていますか?」
ルチルは、図書館長に問うた。
図書館長は、普段の穏やかさとは打って変わり、厳しい表情で答える。
「彼らは、図書館の最深部に隠された、とある転移魔法陣を起動させようとしています。それが成功すれば、禁じられた書架へ直接侵入されるでしょう」
ルチルの青い瞳が、鋭く光った。
「転移魔法陣……なるほど、彼らは正面突破だけでなく、奇襲も仕掛けてくるのね」
彼女は即座に警備隊に指示を飛ばし、その魔法陣のある場所へと向かわせた。
それは、アルトが剣で敵を防いでいる間に、別の方面から来る脅威を未然に防ぐための、緻密な戦略だった。
彼女は、アルトとかさねの状況も常に気にしていた。
アルトがどれほどかさねを守ることに必死になっているか、そしてかさねの写本がどれほど切迫しているか、その全てを把握していた。
ルチルは、直接戦うことはできなくとも、情報で彼らを援護し、勝利への道を切り開こうとしていた。
その中で、ルチルはアラミスの動きにも警戒を怠らなかった。
彼は確かに結社の一員として動いているが、その行動にはどこか不可解な点があった。
他の商人たちが強引に書架を突破しようとする中、アラミスはしばしば、わざとらしく時間を稼いだり、敵の注意を逸らしたりする素振りを見せていた。
ルチルは、アラミスがかさねに抱く個人的な好意と、彼が背負う任務との間の葛藤を敏感に察知していた。
(あの商人は……もしかしたら、利用できるかもしれないわね)
ルチルは、その鋭い洞察力で、アラミスの心に揺らぎがあることを見抜いていた。
彼女は、アラミスの動きを監視しつつも、彼が意図せずかさねたちに有利に働くような状況を、さりげなく作り出すことを試みた。
例えば、警備隊を配置する際、アラミスのいる場所を一時的に手薄にすることで、彼が結社内で有利な位置を取れるように誘導する、といった巧妙な策を講じたのだ。
図書館の混乱は最高潮に達し、全てが崩壊寸前の様相を呈していた。
しかし、ルチルの冷静な情報戦が、この絶望的な状況に、かすかな光明を灯していた。
彼女の指示は、まるで精密な機械の歯車のように、図書館の防衛を支え、かさねが「新たな魔導書」を完成させるための、貴重な時間を稼ぎ続けていたのだ。




