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アースガルドの写本師 ~魔導書が選んだ、禁断の真実~  作者: ましろゆきな
第一章:選ばれし写本師と二つの出会い 
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第一話:偶然の選定と図書館への道

 かさねは、インクの匂いが染み付いた指先をそっと古書に滑らせた。


 十五歳の細い体には不釣り合いなほどの分厚い歴史書が、今にも彼女の膝から滑り落ちそうになる。

 市井の小さな写本工房で働くかさねにとって、それがいつもの日常だった。


 朝から晩まで、古くなった羊皮紙に新しい文字を写し、時には虫食いのページを修復する。

 誰もが「地味な仕事だ」と笑うが、かさねは違った。彼女にとって、本はただの紙束ではなかったのだ。


「ああ、このページ、早く修復してほしいって言ってるわ」


 かさねが呟くと、工房の親方は「また変なことを言ってるのか」と苦笑する。


 彼女には、古くなったものや使い込まれたものから微かな「声」が聞こえることがあった。

 それは、物が持つ記憶の欠片のようなものだ。


 特に本は、何人もの手に渡り、長い時間を経てきたせいか、はっきりとその「声」を届けてくる。

 文字がかすれて読みづらい箇所は「もっと読まれたい」、綴じがほつれたページは「バラバラになりたくない」と、まるで生き物のように語りかけてくるのだ。


 親方はかさねのこの奇妙な癖を、単なる感受性の高さとしか思っていなかったが、かさねにとってはそれが当たり前の感覚だった。

 黒い髪の下で、彼女の紫色の瞳はいつも好奇心に満ちていた。



 ある日、工房に大きな仕事が舞い込んだ。


 この国で最も大きく、最も古いとされる「大図書館」からの依頼だった。

 歴史に残る書物の破損が激しく、修復のために数名の写本師が招集されることになったのだ。


 かさねも親方に連れられ、生まれて初めて巨大な図書館の門をくぐった。



 圧倒された。


 天を衝くかのような書架の列。

 これまで見たこともないような装飾が施された写本たち。


 図書館の空気は、インクと古い紙、そしてかすかな魔法の香りが混じり合い、かさねの心臓を高鳴らせた。


 修復作業が始まると、かさねは黙々と自分の仕事に打ち込んだ。

 他の写本師たちが苦戦する難解な古語や、特殊な筆致の書物も、かさねにはなぜか不思議と読み解けた。



 その日の午後、かさねは、通常の修復リストにはない、一冊の古い書物に手が触れた。


 それは、書架の奥深く、埃をかぶって忘れ去られたかのような場所にひっそりと置かれていた。

 冷たいはずの書物の表紙から、ふと、かすかな熱を感じた。


 そして、他の本からは聞こえない、もっと強く、はっきりと語りかけてくる「声」があった。


「……待っていた。私を、読め。私を、写せ」


 まるで直接脳内に響くような、強い「声」だった。


 かさねは吸い寄せられるようにその書物を手に取った。

 分厚い表紙には、何の題名も記されていない。ただ、奇妙な紋様が複雑に刻まれているだけだ。


 それが魔導書であることなど、市井の写本師であるかさねには知る由もなかった。



 その瞬間、書物が淡く、しかし確かに光を放った。


 周囲にいた他の写本師たちが、驚きに目を見開く。

 何が起こったのか分からず呆然とするかさねの前に、一人の老人が静かに現れた。


 深いフードを被り、その顔は陰に隠れてよく見えないが、彼が発する落ち着いた雰囲気は、ただ者ではないことを示していた。


「……君か。君が、選ばれたのか」


 その老人は、大図書館の図書館長だった。


 図書館長は、かさねの目の前にひざまずき、深々と頭を下げた。


「かさね殿。貴女こそ、古の魔導書に認められし者。我々大図書館が長年探し求めていた、『魔導書を写本し、その力が持ち主を選ぶ』という稀有な能力を持つ写本師です。

 我らが図書館の繁栄と、知識の継承のため、どうか我々の元へ来てはいただけませんか」


 図書館の写本師は、市井の写本師とは比べ物にならないほどの社会的地位と、破格の給金、そして何よりも無限の知識に触れることができると聞く。


 本を愛する者にとって、これほど魅力的な提案はない。


 魔導書? 魔法?

 かさねにはまだ全てを理解できなかったが、彼女の心が、強く誘われるのを感じた。


「……はい、喜んで」


 かさねの返事に、図書館長は静かに顔を上げた。

 その目には、深い安堵と、かすかな期待の光が宿っていた。


 こうして、かさねの日常は一変した。


 豪華な図書館の住み込み写本師として、彼女はこれまで見たこともないような貴重な書物や、奇妙な魔導書に囲まれて暮らすことになった。


 最初の頃は、自分の能力が本当にそんなに特別なのか、そしてこの新しい生活に馴染めるのか不安もあった。

 しかし、書架の奥深くから聞こえてくる、知識の囁きや、魔導書たちの生き生きとした「声」が、彼女の好奇心を強く刺激した。



 かさねが初めて魔導書を写本した時、その魔導書は記された文字を書き写すだけでは機能しないことがわかった。


 彼女の筆致、彼女自身の魔力、そして何よりも魔導書に愛された「かさね」という存在そのものが、魔法を紙に定着させていたのだ。


 そして、完成した写本は、まるで意思を持つかのように、特定の人物にしか開けず、彼らの手に渡ると初めてその真の力を発揮するという、「持ち主を選ぶ」という特異な性質を示した。



 かさねの新たな生活が始まった。


 それは、魔法とは縁遠いと思われた少女が、世界の深淵に触れ、やがてその運命を大きく変えていく、長い旅の始まりだった。

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