表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
7/9

第七話

 陽が沈み、闇と星とが空を覆いつくす夜が来る。

 それは同時に、私がバベルの塔の中にある、もう一つのバベルの塔への侵入を目論む計画、その始まりの合図である。

 幸運なことに今夜は新月。空を満たす月の光もなく、世界には暗闇が落ちるばかり。その闇に乗じて私は、まずバベルの塔の大門を目指した。

 夜になると大門は閉ざされてしまうけれど、外壁部分の階段を昇れば、そこから二階に通じる通路があり、それを使えば内部には簡単に侵入することができる。

 ただし、それは同時に、私がこのシナルの地に存在する法律のいくつかを破ってしまったことになる。

 まず、このバベルの塔では、夜間の侵入は禁止されているのだ。これには過去に、夜の闇に乗じて住民を殺害し、その住居を奪い取った盗賊が居たことが関係している。

 だから大門はもちろんのこと、外壁から二階へと通じる階段にも、夜警の兵士たちがたむろしている。それらの眼をかいくぐるためにも、私は事前に一つの準備をしていた。と、言ってもそれは大した準備ではない。夕方に階段の上から、ロープを一本垂らしておいたのだ。

 この案は、日中に働く労働者から得たもので、彼らはあまりにも高い塔の頂上へと煉瓦を運ぶにあたって、ロープと木の板で作ったリフトを使っていた。それを真似して、こっそりと垂らしておいたロープを使い、外壁階段の二階入り口付近に登れるようにしておいた。

 二階の入り口付近に衛兵がいるかどうかは、正直賭けの部分が大きかったけれど、幸いにも外に務めている衛兵は階段の登り口のみであり、上った先にはいないようで、無事に私は二階へと侵入することに成功する。

 おそらくは、警備を配置するにも人手が足りていないのかもしれない。これだけの塔である。巡回するにもかなりの手間だ。なので、外側ではなく内側に多くの兵を割き、その結果が手薄な階段周りの警備なのだろう。

 ともあれ侵入を果たした私は、旅装のマントをフードのように被り、顔を隠しながら慎重に進んだ。

 そうしてたどり着いた塔の内側――中心にあるもう一つのバベルの塔を囲む、外壁部分の居住区である。

 ここはまるで蜘蛛の巣のような構造になっており、塔を囲う円形の外壁に沿ってできた通路を中心とし、外側へ放射状の通路が伸びている。

 暗い通路だ。それもそのはず、この塔は洪水に耐えうる設計のために、下層の外側に窓を設置していない。それに出入り口も限りなく少なくしているため、外から入り込む光が最小限に抑えられているのだ。

 ただ歩くだけでも進む道の正しさに不安になり、走ろうものなら一寸先の小石に躓いてしまうような漆黒。更に付け加えれば、誰のものかもしれない木箱や荷物、或いは椅子やら机やらと様々なものが通路には所狭しと設置されており、暗闇を移動するうえでそれらの障害物はあまりにも邪魔な存在だった。

 けれどこの状況もまた、私に味方した。

 塔の内部を巡回する衛兵たちは、この暗闇への対策として手に松明を持っている。それが逆に、音以上に、暗闇の中に居る彼らの存在を教えてくれた。

 暗闇を照らす光が見えた。左右に揺れながらこちらに向かってくるそれを発見し次第、私は木箱や机といった障害物の裏に身を隠す。息をひそめるのは得意技で、そうしてしばらく待っていれば、特に何事もなく衛兵たちは私の横を通り過ぎていく。

 それを何度も繰り返すうちに、私はなんとなく、この侵入劇に異様な都合のよさを感じてしまった。

 私は特段、城塞への侵入を得意とする暗殺者でもなければ、狩猟を生業とする狩人のような気配を殺す技術を持ち合わせているわけでもない。だからもしも、ここまで私が塔の内部に都合よく侵入することに成功し、さらには立ち入り禁止とされていたもう一つのバベルの塔へと近づけていることに理由があるとすれば、やはりこの塔の警備体制が原因と言えるだろう。

 縦に伸びたバベルの塔。そのすべての網羅する警邏網など敷けるはずもなく、またその全てを照らす明かりも、用意するのはそう簡単なことではない。結果として、塔の内部には地下世界のような闇が生まれ、今に至るまで放置されてしまっているのだろう。

 そんなところにも、このバベルの塔の危うさは滲み出ていた。

 それでも彼らは空を目指す。そこにたどり着けさえすれば、何事も些事に過ぎないとばかりに。

 そう思うたびに、私の中にとある感情が渦巻いて行く。

 その感情とは疑問であり、疑問とはニムロド王の心中についてだ。

 大洪水より何十年と空を目指し突き進んできた彼は、いったいこの穴だらけの塔を見て、何を思っているのだろうか。その真相を確かめるためには、やはり王に拝謁するしかないのだろう。

 ならばやはり、私も上を目指すべきだ。

 彼らが神の地を目指すように。

 私も王を目指して、彼の住む天頂を目指すべきなのだろう。

 そのためにもまずは、小さなバベルの塔を登らなくてはならない。物事には順序があり、その順序を守らずしては何も得ることはできない。だから私は、当初の予定通りに塔の中心を目指し、衛兵の警備網を潜り抜けて、昼に訪れた広場へと到着した。

 やはり昼間にした予想は正しく、太陽が失われたこの時間、広場にも暗闇が広がり、昼間には賑わっていたバザールの、露店の合間合間を、数組の衛兵が巡回しているのが明かりの動きで見えた。

 そして二階から一階へは、塔の内側――広場方向に設置された窓からロープをたらし、それを使って降下することで移動した。これが昼間の日の光の下であれば、即座にその存在が露見したであろうけれど、今は新月の闇の中である。それに降下する時には、全ての光がある程度、遠のいているところを見計らった。そして時間をかけずに勢いよく、音を立てないように細心の注意を払って、私は広場へと到達する。

 それからは、昼間同様に軒を連ねるバザールを障害物として隠れながら、慎重に周囲の様子を伺う。

 広場の衛兵たちもまた手に明かりを持っていて、露店のような障害物が多いバザールにおいても目立って見える。その明かりの動きを頼りに私もまた露店の合間を移動し、ついには小さなバベルの塔の前にたどり着いた。

 けれど、ここで問題が起きる。

 やはりと言おうか、当然と言おうか、夜間の小さなバベルの塔の前には、門衛が二人、陣取っていた。

 彼らを無視して門を通ることは不可能に近く、よしんば一時的にその場から彼らを離すことができても、戻ってくるまでに素早く侵入することができるかどうか。

 果たしてどうしたものか、私は暗闇の中で息を潜めながら悩む。

 小さなバベルの塔に侵入できる通路は一つではない。昼の広場で空を見上げた時、天頂へと至る吹き抜けの中に、いくつかの通路らしきものが見えた。それは外縁部の壁から、この小さなバベルの塔に繋がっており、その通路を使えば、小さなバベルの塔に移動できるようになっているのかもしれない。ただ、それが本当につながっているかどうかを、私がこの目で直接確かめたわけはなく、またここ以上に厳重な警備が敷かれていたら、時間の無駄でしかない。

 そもそも、確認できた通路は相当高い位置にあった。あそこまで移動するとなると、時間はかかるし、衛兵に見つかるリスクは高まる。それはあまりにも分の悪い博打だ。であるならば、その移動時間を使い、この場でなにか彼ら門衛を引きはがす妙案が思い浮かぶのを待った方が、幾分かマシであるといえよう。

 けれどやはり、すぐに思いつかなかった妙案である。時間をかけたところで、それが私の頭からにじみ出てくる望みは薄い。

 先も言った通り、正面突破は難しい。私も旅をする人間として、最低限の腕っぷしは備えているつもりだけれど、軍備に携わる衛兵――それも帯刀した軍人を相手どれるわけがない。

 そして、力が通用しないとなれば、過去にさかのぼって人類が獣相手にそうしてきたように、やはり道具に頼るしかないだろう。

 一応、何かあってもすぐにこの地から逃げられるようにと、最低限の旅装で侵入したため、旅のお供に持ち歩く皮袋の中には、旅に使う道具がいくつか入っている。侵入に使ったロープもその一つ。けれどそもそも、私の旅道具はこのような状況を想定して集めたものではない。

 身に着けたマントは夜の寒さをしのぐためのもので、扱いこなしたロープは危険な足場を上り下りするためのもので、ポケットに入った貨幣は旅の空腹を満たすためのものだ。

 改めて、私は皮袋をひっくり返して、その中身を確かめた。水入れ、ナイフ、火打石に、火種に使えそうな枯草と、やはりどう見ても、最低限の旅道具と言った品ぞろえである。

 ともすれば、ナイフを使って襲い掛かるかとも考えたが、そうしたところで結局は、返り討ちにされるだけ。意味のない特攻である。

 お手上げとはまさにこのことだろうと、私は思う。

 けれどやはり、私の好奇心が示す進路は、あの塔の門の先へと、ニムロド王の下へと向いているのだ。

 この小さなバベルの塔を登れ、と。

 

 ――私は愚かな人間だ。

 そもそも、私は故郷を捨てて旅に出ている。その際には両親との縁を切り、二度と故郷へと帰らないと啖呵を切った。

 すべては、私の身を焦がす好奇心が故に。

 そしてこのシナルの地でも、友人の忠告も聞かずに滞在し、自らもこの地に渦巻く不穏を感じていながらも、より深くへと踏み入ろうとしている。

 すべては、私の心に渦巻く好奇心が故に。

 だから結局、私は愚かな人間なのだ。


 気が付いた時には、私はその手に火打石を持っていた。

 暗闇の中に火花が散る。その火花はほんの数瞬のきらめきの後に、先にある枯れ木へと火をつけた。そしてその火は、さらにその先にある木――バザールで使われていたであろう木箱へと燃え移る。

 このバザールに出されていた露店の商品は、果たして夜に至る間にどこにしまわれたのだろうか。こうして誰にでも侵入できる広場にある手前、放置していては盗まれてしまう心配がある。だからきっと、ここに在るのは露店を支える木の枠組みと、天幕と、空になった木箱だけ。

 ここには失って困るようなものは何もない。

 そう、私は高く燃え上がる火の手を見上げながら、自分へと言い聞かせた。

「おい! 火だ!」

 新月の暗闇の中では、火の光がよく目立つ。だから衛兵たちがこの異変に気付き、急ぎ対処しようとする声はすぐに上がった。

 それは番兵たちも例外ではない。バベルの塔の中の広間と言うこの場所は、限りなく水場から遠い。もちろん、生活用水を昼間の間に運んでおいてはいるだろうけれど、既に火の手は着々と密集した露店を覆いつくしており、桶一杯の水で消化できるような規模を通り過ぎていた。

 だから彼らは近くの人手を総動員して、ありったけの水を持ってこようとしているらしい。その行動の隙をついて、火に光を囮に私は闇に紛れ、守るもののいなくなった門に手を掛けた。

 門は簡単に開いた。だから私はそっと門を開き、急いで身を隠すように内側へと這入る。

 そして誰にも気づかれないように閉じるまでの少しの間に、私は門の外を見た。

 燃え上がる火の手と、右往左往する衛兵たち。何かが起きたからあわてるものと、起きた何かに対処しようとするものと、その原因を突き止めようと動くもの。

 それらが火の手という大きな流れに巻かれ、ひっちゃかめっちゃかに動いている。それを、私は門の内側から見ている。

 この状況で、誰が何をして、どうしてそんな行動をしているのか、私は魅入ってしまっている。

 そんな自分に気が付いて、私はすぐに門を閉じた。傍観者として、何かを見ることに抑えきれない興味を持つ私は、ついに犯してはいけない境界を踏み越えてしまった。

 その罪悪感が、今の私をおかしくしてしまっているのかもしれない。

 けれど、もしかすれば。

 愚かな私は、最初からこんな人間だったのかもしれない。

 もう、後戻りはできない。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ