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第五話


 この地に訪れてから十日と経っていない私は、もちろん塔内部の住宅に居住できるような資格はなく、今もなお、麓に群がるテント群の、誰も使っていないテントの一つを、半ば不法占拠のように使用して寝起きしていた。

 夜になれば、多くの人がそうであるように、そう広くないテントの中で、旅装のマントにくるまって、夜の闇で身を潜める獣のように体を丸くしながら眠りにつき。朝になれば、テントの布越しに差し込む朝日と、にわかに活気立つ外の世界の気配につられて、両目を開く日々を送っている。

 だから今日も、昨日までと同じように光に当てられた瞼を開き、シナルの地に訪れた人々と合流するようにして、朝の時間を迎えた。

 あれから――窯場の女性や農耕地の老人から話を聞いて数日が経つ。ただ、数日の間も、私は変わることなく人に話を聞いては放浪し、東から西へ、北から南へと、シナルの地を縦横無尽に巡っていた。

 だから今日も相変わらず、この地に住む人から話を伺おうと思案し、今日はどこへ向かおうかと考える。

 けれど考えるよりも先に、空腹を訴える虫が耳障りな金切り声を上げるものだから、まずは腹ごしらえをしようと私は炊事場の方へと足を向けた。

 炊事場へと向かう道中。その間にも、私は職業柄(これで賃金を得ているわけではないけれど)、テント地帯に住む人々の暮らしを眺めてしまう。

 このテント地帯は、窯場と農耕地の間にある、平らになった岩場を中心として広がる居住区である。ここに住む人間は、私のようなシナルの地に訪れた旅人か、或いはこの地への移住を希望し、いつの日か塔に空き部屋ができるのを待っている人間の二つに分けられるだろう。

 だからだろうか。数日前に私が聞いた、あのニムロド王の演説で語られた塔の完成を告げる言葉を、快く思っていない人間も、僅かではあるがちらほら見ることができた。

 それもそうだろう。なにせ塔が完成するということは、ひっくり返せばこれ以上塔は高くならないということ。そしてこの塔の住人たちは、塔が高くなるにつれて、自分たちの居住区を上に移動させる習慣がある。

 自然と、塔の建設が進むほどに、最下層には空き部屋ができるのだけれど、塔がこれ以上高くならないということは、空き部屋が増えず、テント地帯に住む、移住希望者の多くが塔に住めなくなってしまうのだ。

 だからこのままでは、塔に住める見込みのない人間たちが、どうにかして自分たちも塔に住ませてもらおうと、日夜、抗議活動を続けている。

 そんな彼らにも興味はあるけれど、やはり空腹に勝るものはない。と言うことで私は、観察もほどほどにして、炊事場に急いだ。

 炊事場はテント地帯の各所に設置された配給施設であり、テントに住む人々へと、無償で料理を配っている。これも聞くところによればニムロド王の采配らしく、塔に住むことができない労働者たちへの、せめてもの施しなのだとか。

 なので私も、その施しにありがたくあやかることにしている。ここに来てから、まともに働いたのは、農耕地での草むしりぐらいだけれど、だからといって遠慮するような矜持など、私には存在しないのだ。

「ふむ、まあまあだな」

 頂いた料理は、塩味が強く効いたスープであった。おそらくは農耕地の端で作られた玉ねぎなどを雑多に入れ、それを塩と水とヤギの乳で煮込んだものであろう。わずかに残る風味からは、共に肉類も煮込まれていた薫りを感じることもできるけれど、生憎と私が受け取った器には入っていなかった。

 旅の間は保存食のパンばかりを食べていた私の腹が、もの悲しそうにくぅと鳴るけれど、ないものはないのだから仕方がない。まともに働いていない手前、ねだるわけにもいかないだろう。

 ともあれ、私は器を受けとった後、とぼとぼとテント地帯の中で落ち着いて食べれる場所を探し、そこで腰を据えて、スープを頬張った。

 強い塩が、寝起きの体にしみわたる――

「おうおう、悲しそうな顔をしてるな兄さんよ」

「貴方は……」

 と、そこで私の背中に声をかけてきた人物がいた。

「昨日ぶりってやつだ」

「船長さんでしたか」

 高い背丈に比例するように、でっぷりと肥えた太鼓腹をドンと叩いて現れたのは、ここ数日で友人となった、ある貿易船の船長であった。

 三日月のように弧を描いた口ひげが特徴的な彼は、シナルの地に限らず、世界各地を自慢の帆船で渡り歩き、様々な品を積んでは、遠い異国へと売りに行く貿易商。

 その道中は、世界を放浪する私の旅路ととてもよく似ており、おかげで先日出会ったばかりだというのに、朝から晩まで語り明かすほどの友人となるに至った。

 だから今日も、彼は愉快そうな笑みを浮かべては、前の続きとばかりに私に話しかけてきた。

「船長さんはどうしてここに?」

「船ってのは何かと金がかかるからな。だから船員どもを連れて、ただ飯を食いに来たってわけだ」

「ニムロド王が聞いたら怒りそうな話ですね」

「はっはっは! 王様がそんな狭量じゃ民が泣くぜ!」

 快活に笑う船長の背後を見てみれば、少し遠いところで船員と思しき青年たちが、私と同じスープを食べているのが見えた。

 彼らは別に、このテント地帯に住んでいる人間と言うわけではないけれど、いかんせん炊事場で働く人間たちには、船員と労働者の見分けはつかないことだろう。

 なにせこのシナルの地は、バベルの塔の噂を聞きつけ、世界各国から様々な人種が集まっている場所なのだから。だから私のような人間も、配給を受け取れているわけで、ニムロド王もその穴の開いたシステムを直す気はないらしい。

 気づいてはいるのだろう。ただ、それでも放置しているということは、何か作戦でもあるのか――ともあれそんな施しを飲み干した私は、改めて船長へと話しかけた。

「そう言えば船長。この塔ももうすぐ、完成するらしいですね」

「らしいな。巷じゃもう、その噂で持ち切りだ」

 やはり噂は、この地に住む人間に限らず、このバベルの塔建設に関わる人間すべてに広まっているようで、船長は当然知っているとばかりに返事をした。

 それから彼も私の横に座り込み、どこからか取り出した壺も一緒に地面に置いた。どうやらそれはビールのようで、アルコールの匂いが私の鼻を刺激する。それを一口飲んでから、船長は話を再開する。

「そろそろ潮時ってやつだな」

「というと?」

 疑問符を浮かべる私に対して、にんまりと口で弧を描いた船長が語る。

「今までは異国の郷土品なんかを、ちまちまと売っちゃいたが、これからは人を運ぶ船にするってことだよ。なにせバベルの塔には興味はあるが、自分の故郷は捨てられないだなんて人間は、この世界にごまんといる。そう言うやつを片っ端から乗せて、ここに運ぶ。俺の計算じゃ、持ってる船のすべてを使えば、今までの三倍は稼げる算段だ」

「なるほど」

 噂を聞きつけ、次の商戦を見据える船長の考えに、私は素直に感心した。たしかに、世界各地から人が集まっているとはいえ、世界中の人間全員がここに集まっているというわけではない。

 けれど、塔の完成となれば話は別。神の地へと至る人類の挑戦を、せめてこの目に収めようと、この地を目指す人間は今までよりも増えることになるだろう。

 それを狙い、商船をそのまま、人を運ぶ船へと切り替える。かなり大掛かりなプロジェクトになるだろうけれど、船長の世評を鑑みれば、それなりに勝機のある戦いにはなりそうだ。

 もう一口ビールを飲んで、彼は言う。

「んで、人を運んだらそこで終わりだ」

「終わり、ということはもしかして、ここでの商売を引き上げるということでしょうか?」

「ああ、そうだ。だから兄さんも、変なことが起きないうちに、ここを離れることだな。まあ、まだしばらくは大丈夫かもしれないがな」

 そうしてやはりビールを飲むと、船長はバベルの塔を見上げた。

 同じく私も塔を見上げながら、彼の忠告の真意を訊ねる。

「何か、事件が起きるのでしょうか」

「どうだろうな。もしもニムロド王が何から何までを計算に入れた賢王だってんなら、もしかすれば何も起こらないかもしれない。だが、そうじゃあないことは、兄さんもわかっていることだろう?」

「まあ、そうですね」

 ニムロド王が賢王か否かを訊ねられれば、私は否と答えるだろう。

 それがなぜかと言えば、それはやはりこの街のシステムを見れば明らかだ。

「ニムロド王が作ったこの街は、一見すれば理想郷だろうな。あらゆる人間に仕事があり、宿がなくとも飯は出る……ただ、それが健全な働きをしているようには、やっぱり見えねぇな」

 じろりとバベルの塔を睨んだ後に、彼は周囲の――テント地帯を見回した。私は彼の瞳に映ったものが何かを訊ねる。

「何か見えますか?」

「ああ見えるね。腐った人間たちが」

 腐った人間。

 そう言った彼が見たのは、炊事場に並ぶ人間たちだった。

「兄さん。この塔に来た人間で、まともに働いている人間が、何人いると思う?」

「少なくとも、塔の中に住む人々は、より上の階を目指して働いているものではないでしょうか?」

「さぁて、どうだろうか」

 彼は意地悪そうな笑みを浮かべて、けれど器用なことに、眉根を不快そうに歪めながら話す。

「少なくとも、このテント地帯に居る人間共の半分は、バベルの塔の建設に立ち会うために来るか、或いは《《他所から追い出されてきた奴ら》》だぜ」

「確かにこの数日で、そのような話は聞きましたね。国で職を手にすることができなかったので、ここに来た、と」

「いやぁ、そいつはまだマシな奴だ。だが、お前だってわかっているだろう? ここは働かなくても飯が食える場所だってことは」

 彼がビールをさらに飲む。

 彼の顔に赤みが出てくるのに比例して、彼の語気はどんどんと強さを増していく。

「塔での居住が許可ってのは、実は誰が管理してるわけでもない。空き部屋ができた時に、一番最初にそこを取った奴のもんだ。だってのに、今の今まで文句が出てこなかったのはなんでだと思う?」

「それは……」

「何十年と建てられてきた塔だ。いずれは自分の番が回ってくるって、そう思ってるからさ」

 私の言葉を奪ってまで、彼はそう口にした。その言葉は、とても酒臭かった。

「見ろよ。だから塔が完成すると聞いて、ようやく焦り始めたやつらが喚いてる」

 焦り始めたやつら、とは。きっと塔の中の住居を求めて、ニムロド王に抗議をしている人たちのことだろう。

「あいつらだけじゃねぇ。レンガに泥に農耕に、そうして膨れ上がった大所帯だ。塔が完成しちまえば、そいつらの雇用だって大きく減る。いつまでもタダで飯を配っているわけにもいかないだろう。……本来、この塔は完成させちゃいけなかったんだよ」

 船長の言う通りだ。

 この地の産業は、須らくが塔に起因している。

 バベルの塔がもたらす興奮と熱狂があって初めて、成り立っていると言っても過言ではない。そのために些細な問題は無視されていたのだろう。けれど、ついに誤魔化しは効かなくなってきた。塔の完成と言う一大ニュースをもってして、それは遂に限界を迎えてしまったのだろう。

 塔を完成させてはいけなかった。その言葉が引っかかり、私は思わず訊ねてしまう。

「ニムロド王は愚かだったのでしょうか」

 これだけの土地と人を収める王だ。私にはどうにも、彼が愚かであるようには見えなかった。あの日、演説するあの姿からしても、彼はまさしく王のようであったから。

 けれど、船長は言う。

「奴は夢見人だよ」

 中身が無くなった酒を地面に転がしながら、彼はそう吐き捨てる。それから唾を吐くように気にいらなさそうに、言葉を続けた。

「そもそも、ここにいる奴らはこの塔のことをどう考えているのかわかったもんじゃねぇよ」

「……というと?」

「そうだな。じゃあ兄さん。もしも王様の言う通り、神の地があったとしてだ。……奴らはそこに行って、何をするつもりなんだ?」

「それは……」

 船長が出したその問いに対して、私は回答を窮してしまった。

 実際に神の地にたどり着いたとして。

 果たして彼らは、何をするつもりなのか――そんなもの、決まっている。

「十中八九、まずニムロド王とその周りの奴らは、神の地を略奪するつもりだろう。だがおかしくねぇか? 大洪水の力が神の力だとすれば、例え同じ土を踏んだところで、人間が敵うわけないだろう」

「それは……」

「まさかこれ以上殺さないでくださいって頼みにでも行くつもりなのか? 問答無用で、人間を虐殺した神に? それこそ頭のおかしな話だろう」

 彼は私の言葉を聞くつもりもないのか、まくしたてるように語るばかり。その声は酔いのせいか怒りに満ちているけれど、それが何に対する憤慨なのか、私にはまったくわからなかった。

 ただ、それでも船長は怒っている。

 その矛先を向けるのは、この地か、それともニムロド王か、或いは――

「奴らは無意識に見下してるんだよ。神を。ただ特別な地に生まれた、自分たちと同じ人間なんじゃないかと」

「だから、愚かだと?」

「ああ、愚かだ。目的のために敵も見えなくなっているような奴らの、どこが愚かじゃないって話だよ」

 そう言って彼は、空を、バベルの天頂を見上げていた視線を下におろして、それから少し言葉に間を置いたかと思えば、急に謝り出した。

「ああ、悪い。少し面倒な話をした」

「気にしないでください。船長もこれから、忙しくなるんでしょう? なら、少しぐらい息抜きをしたところで、誰も気にしませんよ」

「……そうだな」

 彼が言うこの塔で起きる何かとは、それはもう凄惨な結果を引き起こすのだろう。そしてその何かのせいで、本来あったはずの収益を見込めなくなってしまったから、その心労を酒で労わっていたのだろう。

 そしてこれから、塔の完成によって出てしまった赤字を、どうにかして取り返そうと大仕事に臨もうとしている。今はその隙間。間にできた余暇時間。だからいくら酒に飲まれてしまっても、私も許そうと思った。

「おい、兄さん。あんたも気を付けろよ」

「ええ、重々承知しているつもりではあります」

 彼の忠告を聞きつつも、私はバベルの塔を見上げた。

 何せ私の目的は、この地の行く末を見ること。

 船長が恐れるその何かが起きるとして、私はその終わりまでを見届けるつもりでいるのだから。

 だから、その忠告を聞くつもりはなかった。

 そんな私は、きっと愚かな人間なのだろう。

 けれど果たして、この世界に――


 ――この世界に、愚かじゃない人間など要るのだろうか?


 私はただ、いいように利用されるばかりの人間たちを見渡しながら、ぼんやりと次に行く場所のことを考えた。

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