金魚味のキス
名は体を表す、なんて言葉があるけど、本当にそうなのだろうか、と俺は常々疑問に感じている。いや確かにそうと当てはまる事例はいくつかあるのかもしれないが、こと正裏陽澄においては全く持って当てはまらない。何故なら彼女はその陽光を想起させる名前に反して陰気くさい印象が強いからだ。身長は高く痩せ型であり、よく見ると顔もそこそこ整っているのだが、その長所を台無しにするように、常に猫背でフラつきながら歩いており、長く伸ばした黒髪も相まってその姿はまるで幽鬼のようだ。おかげで彼女には友人と呼べる存在がほぼ居らず、小さい頃に近所同士だった俺以外の友人は0である。陽澄がこんなにも暗くなってしまったのには原因がある。それは彼女の幼い頃に経験した両親の死だ。あんまり詳しいことは知らないが、まだ幼い陽澄を残してある日突然心中をしたらしい。そのショックで陽澄は塞ぎ込むようになり、現在の性格に至るというわけだ。
そんな陽澄からある日メールが届いた。
『こんにちは、突然だけど今日、熊野神社でやる祭り一緒に行けないかな?用事とかあるなら全然良いんだけど、たまには、ね?』
何が『ね?』なのか俺にはよくわからないが、特に用事もなく家で暇を持て余していた俺は『いいよ、今からそっち行く』とだけ返し、財布と携帯を持ってチャリンコで陽澄の住むアパートへと向かった。つい最近まで親族に預けられていた陽澄は、現在独り暮らしをしており、俺と近所だった頃の家とは少し離れたところに住んでいる。その関係で前ほど遊ぶ事は少なくなり、思い出したかのようにする時偶のメールが俺と陽澄を繋ぐ唯一の導線になりつつあった。
陽澄の住むアパートに着き、インターホンを鳴らした瞬間、ガチャン!と大きな音を立てて勢い良くドアが開き、続いて開いたドアを盾にするようにひょっこりと顔を覗かせて陽澄が現れた。彼女の性格から察するに、メールを送った直後からずっと扉の前で待機していたのだろう。
「へ、へへ、あの、ね?その、久しぶりに出かけ、たくてさ?だから、ね?祭りもあるし、一人だと気まずいから、ね?」
「そんな言い訳じみたこと言わなくてもわかってるってば、メール見たし。俺も暇してたし、今日は目一杯楽しもうぜ」
「う、うん、楽しみ!こうやって一緒に遊ぶの、久しぶりだから!い、行こ!金魚、陽澄、金魚掬いしたい!金魚好きだから、ね!」
「楽しみなのはわかったからあんま腕引っ張んなって、ほら、開けっぱにしないで、ちゃんと家の鍵閉めな」
「あ、そっか、そうだよね。閉めなきゃだよね。しばらく家出てないから陽澄、うっかりしちゃった、へへ」
「家の鍵の存在忘れるとかどんだけ家出てないのさ⋯⋯」
早くも不安を抱えながら、俺達は祭りへ出かけた。道中陽澄が転んだり、俺の顔を見ながらボーッと歩いていたせいで車に轢かれかける、なんてアクシデントがありつつも、なんとか祭りの会場へと辿り着くことが出来た。
「わ、わぁ!見て!提灯だ!久しぶりに見た!キラキラしてるねぇ〜!あ!やきそば!目玉焼き乗ってるよ!ほら!おいしそう!そうだ金魚!金魚掬いはどこ!?ねね、はやくいこ!」
「おい!わかったからあんま走るな!またズッコケんぞ!」
「あっ!金魚掬いあっちにあるみたい!早く行こ!」
「だから待てって!!!」
走り出した陽澄をなんとか宥めつつ俺達は祭りを楽しんだ。目玉焼きの乗った焼きそばを食べたり、射的で陽澄の欲しがってたマスコットを取ってやったり、お揃いの仮面を被って記念撮影をしたり、わたあめでベタベタになった陽澄の顔を吹いてやったり、お目当ての金魚掬いをして盛り上がったり。普段の陽澄とは少し違う明るい表情をした陽澄に俺は少し⋯⋯惹かれていた。
だが、楽しい時間というのはあっという間に過ぎる物で、いつの間にか屋台も人も少なくなっていった。俺達は片付けの邪魔にならないよう、人気の少ない神社の裏手で休憩を取る事にした。
「はぁ〜!ひっさびさに祭りを満喫したわ!」
「え、えへへ!すごーくたのしいね!ね、ねぇ、次はどの屋台で遊ぼうか!」
「うーん、みんな片付けてるしそろそろお開きなんじゃねぇか?」
「えっ?あっ、うん⋯⋯。そう⋯⋯だね。そう、だよね!」
「まだ遊び足りないけどなぁ、でも遅いしそろそろ帰ろうか」
「う、うん。かえ⋯⋯るよね」
「名残惜しいのはわかるけど、ずっとはいられないもんな。そろそろ終わらなきゃ」
「ずっと⋯⋯。いられ、ない?おわ、る?」
「おい?大丈夫か?」
「ねぇ、ど、どうしても終わらなきゃダメ、かな?」
「そりゃまぁ⋯⋯」
「終わったら⋯⋯ま、また、ひとりぼっちになっちゃう⋯⋯やだよぉ⋯⋯さびしいのは⋯⋯もうやだ⋯⋯ひとりのへやは、くらくて、さむくて、む、胸がキュってなって⋯⋯つらいから⋯⋯」
俯きながら消え入りそうな声でなんとか言葉を紡ぎだす陽澄を見て俺はなんて言葉をかけていいのかわからず、無力にも呆然と立ち尽くすことしかできなかった。
「またあし────」
────明日もどこか遊び行こうぜ。
そう言おうとした瞬間だった。
陽澄は金魚の入った袋に手を突っ込み、そのまま金魚を1匹つまみ上げると、なんの躊躇いもなくごくり、と飲み込んでしまった。
あまりに自然に行われた一連の動作に一瞬理解が追いつかず呆気に取られてしまった。だが直ぐに気を取り直し陽澄の口をこじ開けて指を突っ込もうとするが、
「バカ!!!何してんだ!吐け!スグに吐き出せ!!!」
「やだぁ!み、みんないなくならないように陽澄の中で大事にとっておかなきゃ⋯⋯!とっておかなきゃ⋯⋯!パパとママみたいにいなくなっちゃうから⋯⋯!陽澄がちゃんととっておくの!!!」
陽澄は頭を振りながら抵抗する。それでもなんとか指を突っ込み、喉の奥を刺激して吐かせることに成功し安心していると、ふとズキリと痛みが走り、左手を見れば陽澄の唾液と吐瀉物に塗れた薬指が赤黒く、月の光でてらてらと輝いていた。どうやら吐かせるのに夢中になって気が付かなかったが陽澄に噛まれてしまったらしい。傷の深さを確認しようと陽澄から意識を外した瞬間。
「うっ、うえぇ⋯⋯!ひっ、酷いよぉ⋯⋯!みんな、みんな流れちゃった⋯⋯!陽澄の思い出が⋯⋯!やだ、やだよぉ⋯⋯!なくならないで⋯⋯陽澄、いい子にするから⋯⋯ま、まだどこにも行かないで⋯⋯」
陽澄は泣きながら地面に流れ出た吐瀉物をすくい上げ、またもや口に運ぼうとしていた。
「やめろバカ!!!」
言い訳をさせてもらうが、俺はこの時特に何かを考えていた訳ではない。強いて言うなら陽澄に噛まれた傷が痛み、よく考えが回らなかったのが原因だろう。だから必要以上に勢いがついてしまった。陽澄の両手を掴むまでは良かった、問題はその後、そのまま抑え込むように倒れ、勢いのまま口で口を塞いでしまった事である。つまりは、キス。そう知覚した瞬間、俺が離れるよりも早く陽澄が俺の頭を抑え込んだ。訳がわからずフリーズする俺の舌を陽澄の舌が蹂躙していく。優しく歯茎を撫で回したと思いきや、いきなり激しく上下に動かし始めたり、俺の舌を思いっきり吸ったり、更にはぐりぐりと喉の奥まで舌を突っ込んできたり。何時間と続いたかのように思えた一瞬の間、お互いの耳には荒い息遣いと、衣擦れの音と、ぴちゃぴちゃと舌を絡め合う音しか聞こえなかった。
「え、えへへ⋯⋯すごかったねぇ」
「⋯⋯」
屈託なく笑う陽澄の前で俺は恥ずかしさと興奮と情けなさでどうすればいいのかわからなかった。
「⋯⋯あの、ね?ごめんね?その、お祭りではしゃぎすぎちゃって、ね?陽澄おかしくなっちゃった」
「いや、俺もその、焦りすぎて結果的にこうなっちゃって⋯⋯悪かったと思う。ごめんな」
「ううん、あやまらないで!そ、それに、陽澄うれしかったよ。遊上君から⋯⋯その⋯⋯キ、キス⋯⋯してもらえたの。さびしいときになる胸のキュって感じじゃない、しあわせなキュって感じがね、すごーく暖かくて⋯⋯うれしかった」
「そ、そうか」
「だからねぇ⋯⋯また、またしようねぇ。えへへっ」
俺はこの時、名が体を表している瞬間を初めて見た。
陽澄、歪み、ひずみ。
陽光の様に澄んでいる笑顔を見せる、少し歪んでしまった女の子。
俺のファーストキスは胃酸と金魚で苦く青臭いものになってしまったけど、やっぱりとても甘いんだ。