第84話「見えない溝」
医師たちとの対話を試みる修士郎だったが、AIセカンドオピニオン導入への反発は予想以上に根強かった。特にベテラン医師たちは、自らの経験や勘を軽視されることへの反感を隠そうとしない。一方、若手医師の中には慎重ながらもAI活用に前向きな姿勢を示す者もいた。修士郎は、この溝をどう埋めるべきか模索し始める。
修士郎は大学病院の医局で、実証実験に協力する医師たちとの打ち合わせに臨んでいた。厚生労働省の意向を受け、AIセカンドオピニオンの運用テストが本格化するが、現場の空気は冷たい。会議室には、40代から50代のベテラン医師を中心に、若手医師や事務スタッフが顔を揃えていた。レイラが用意した資料をもとに、修士郎はAIセカンドオピニオンの目的を説明する。
「この実証実験の目的は、AIが医師の診断を補完し、より精度の高い医療を提供することにあります。決して医師の判断を否定するものではなく、診断の質を客観的に評価し、改善点を見つけるためのツールです。」
修士郎の言葉が終わるや否や、年配の医師が腕を組みながら口を開いた。
「つまり、我々の診断を監視し、AIの診断結果と比較して評価をつけるということですね。AIと競争させられるというわけだ。」
「そういうことではありません。」修士郎は冷静に応じる。「患者にとって最適な治療方針を探るのが目的です。人間の医師が見落としやすい疾患や、最新の医学論文に基づいた診断をサポートすることで、医療の質を向上させるのが狙いです。」
「しかし、患者の側からすれば、AIの診断が正しくて、医師が間違っているかのように映るかもしれませんよね?」若手の医師が控えめに発言した。
「その通りだ。」別の医師が続ける。「特にメディアが『AIの診断のほうが正確だ』などと報じれば、患者の信頼はAIに向き、我々の判断は疑われることになる。」
修士郎は、この点が最も大きなハードルになると感じていた。技術的には、AIが医療データを分析し、疾患の可能性を提示することは可能だ。しかし、それをどう医療現場に溶け込ませ、医師と共存させるかが課題だった。
「では、AIの診断精度をどのように位置づけるべきでしょうか?」修士郎は逆に問いを投げかけた。「例えば、AIの診断を参考情報の一つとし、最終的な判断は医師が下すという形にすれば、信頼性は担保できるのでは?」
「それならば、これまでの診断プロセスと変わりません。我々は常に最新の論文やエビデンスを基に診断しています。AIに頼る必要がどこにあるのですか?」ベテラン医師は反論する。
修士郎は、ここで話の切り口を変えることにした。
「では、過去の診断データをもとに、AIの診断精度がどれだけ向上するかを試してみるのはどうでしょう? 過去の症例を分析し、AIがどの程度正確に病状を予測できるかを検証すれば、導入の意義が見えてくるかもしれません。」
若手の医師が興味を示した。「それは面白いですね。AIが過去の診断結果とどの程度一致するかを調べることで、診断の補完効果を測るということですね。」
「そうです。実証実験の第一段階として、まずは過去のデータを分析し、AIがどこまで精度を高められるかを検証しましょう。」修士郎はノートに簡単なフレームワークを書きながら話を進めた。
年配の医師たちは依然として懐疑的な様子だったが、若手医師の一部は実験に関心を示していた。レイラが横からフォローを入れる。
「医療の未来を考えたとき、AIが全く関与しない医療というのは、あり得ないと思います。では、どのようにAIを活用するのが、医師にとっても患者にとってもベストなのか。その答えを探すのが、今回の実証実験ではないでしょうか?」
「……まずは様子を見ます。」ベテラン医師の一人が言った。「私たちの仕事がどう評価されるのか、慎重に見極めさせてもらいます。」
修士郎は、現場の温度感を把握しながらも、少しずつ議論の方向を前向きなものに変えていく手応えを感じた。しかし、このまま順調に進むとは思えない。日本医師会の長谷川が、どこかのタイミングで大きな一手を打ってくることは間違いなかった。
会議の後、修士郎はレイラとともに病院を出た。
「少しは糸口が見えてきたかもしれないわね。」レイラが言う。「でも、長谷川はただ傍観しているとは思えない。」
「だろうな。」修士郎は夜空を見上げながら答えた。「ここからが本当の勝負だ。」




