第66話「黒服直樹のセクハラ講座」
修士郎はアフターの模擬体験で、優菜から「本気で口説いてみて」と無茶振りされる。周囲の期待と黒木の指示に翻弄されながらも、自分のやり方で誘いを決行。予想外に真剣な口説き文句が場を静め、優菜も思わず動揺する。接客の本質を学ぶ一方で、修士郎は再び理不尽な試練に巻き込まれるのだった。
LUX ROUXの営業前、修士郎はソファに深く腰掛け、疲れた表情を浮かべていた。アフターの模擬体験を終え、ようやく一息つけるかと思った矢先、黒服の黒木直樹が近づいてきた。
「修士郎さん、次の研修に移りましょうか」
「……まだ何かあるのか?」
「ええ。今度は“セクハラ防止講座”です」
「……俺、さっきまでセクハラ客をやらされてたんだが?」
「だからこそ、セクハラがどのように発生し、どのように防ぐべきかを学んでもらいます」
「お前、俺を加害者から被害者に転向させるつもりか?」
「そういうわけではありません。むしろ、加害者側の心理を知ることで、キャストを守るための適切な対策を検討できるはずです」
黒木は冷静な口調で続ける。
「セクハラを完全になくすことは難しいですが、AIを活用することで抑止力を高めることは可能です。そのために、実際にどのようなセクハラが発生しているのかを検証します」
「……だから、なんで俺がやるんだよ?」
「適任だからです」
「適任ってなんだ!」
「それに、キャストたちも了承済みです」
「お前ら、何でも事前に了承取ってるのな!」
優菜が横で苦笑いしながら口を挟む。
「修士郎さん、今回は黒木さんの指導のもと、どこまでがセーフでどこからがアウトなのか、具体的に学ぶことになります」
「だから、学びたくないんだよ!」
黒木は修士郎の肩を軽く叩く。
「安心してください、ちゃんとフォローしますから」
「フォローが必要な時点で、すでに問題なんだよ!!」
修士郎の抵抗も虚しく、セクハラ防止講座が開始された。
黒木の指示で、修士郎はキャストたちと向かい合う形で座ることになった。目の前にはひなた、美咲、玲奈、そして他のキャストたちも並んでいる。
黒木が口を開いた。
「では、まず基本的なセクハラのパターンを確認しましょう。修士郎さん、キャストに“ちょっと髪型変えた?”と聞いてみてください」
「……そんなの、普通の会話じゃないのか?」
「言い方次第です。さあ、やってみてください」
修士郎は観念し、ひなたに向かって言葉を発した。
「ひなたちゃん、ちょっと髪型変えた?」
ひなたは笑顔で答えた。
「はい! 気づいてくれて嬉しいです!」
「ほら、普通の会話じゃないか」
「では、次にこう言ってみてください。“お前、なんか今日色っぽいな”」
「……絶対アウトだろ」
「やるんです」
修士郎は頭を抱えながら、しぶしぶ言う。
「ひなたちゃん、なんか今日色っぽいな」
ひなたは少し戸惑った表情を見せたが、すぐに笑顔を作った。
「そうですか? ありがとうございます」
「ほら、問題ないだろ」
黒木は首を横に振る。
「今のはキャストが気を使って流してくれたから問題なかっただけです。本来なら、この時点でアウトです」
「……俺、めちゃくちゃ気まずいんだが」
「では、次の段階に進みましょう」
「次があるのか?」
「もちろんです」
黒木はさらに踏み込んだ指示を出す。
「修士郎さん、ひなたさんの肩をポンと叩いて、“今日は特別に俺の隣に座ってくれよ”と言ってみてください」
「完全にアウトだろ!」
「やるんです」
「もういい加減にしろ!!」
優菜が笑いながら助け舟を出す。
「修士郎さん、ここまでくれば、どこがセーフでどこがアウトか、少しは分かってきましたか?」
「いや、最初から分かってるわ!」
「でも、実際にやってみると、グレーゾーンの会話がいかに曖昧か理解できますよね?」
「……まあ、それは確かに」
黒木が頷く。
「そうなんです。セクハラの問題は、完全なブラックとホワイトではなく、その間のグレーゾーンが厄介なんです。そして、AIが検出しにくいのも、まさにこのグレーゾーンの部分です」
「……なるほどな」
修士郎は納得せざるを得なかった。
黒木は続ける。
「AIを導入すれば、客の発言パターンを分析し、セクハラのリスクを事前に検知することができます。しかし、そのデータをどう活用するかは、結局のところ人間次第なんです」
「つまり、キャストや黒服がAIを上手く活用するために、何がセクハラに当たるのかを理解する必要があるってことか」
「その通りです」
修士郎は大きくため息をついた。
「……結局、俺が体を張るしかなかったわけか」
「おかげで、良いデータが取れましたよ」
「俺の精神的ダメージが測定不能だ」
キャストたちは笑いながら、修士郎の奮闘を讃えた。
こうして、セクハラ防止講座は無事(?)に終了した。
しかし、まだAIドリブン変革の核心には至っていない。次なる課題が待ち受けていることを、修士郎はまだ知らなかった。