第22話「AIと人間の境界線」
買収された学習塾の変革を担うプロジェクトが始動。プロジェクトオーナーである橘沙織は、詰め込み教育の成功者でありながら、総合型選抜の波に直面し葛藤するお受験ママ。AI導入に強い警戒を示し、初会談は対立ムードに。修士郎は価値観の転換が鍵になると確信する。
朝のオフィス。鳳修士郎はカップのコーヒーを手にしながら、前日の橘沙織との会談を振り返っていた。彼女の主張は一貫している。
「子供がAIに頼るようになると、自分の頭で考える力が育たない。大学受験までは思考力を高めることに専念し、大学でAI活用を学べば十分だ」
確かに、基礎的な学習能力を高めることは重要だ。しかし、AIが加速度的に進化し、AIネイティブ世代が登場する中で、「大学からでも遅くない」という考えが本当に通用するのか。
「おはようございます、鳳さん!」
デジタルネイティブ世代の若手コンサル、真鍋航が明るい声でオフィスに入ってきた。手にはタブレットを持ち、すでに最新の学習データを分析していたらしい。
「昨日の会談を受けて、改めてAIネイティブ世代と非ネイティブ世代の学習能力の違いを調査しました。特に、探究型学習と従来の詰め込み型学習の違いに焦点を当てています」
修士郎は画面を覗き込んだ。そこには、AIを活用した生徒と、AIをほとんど使わない生徒の学習成果の比較データが表示されていた。
「探究型学習を行った生徒のほうが、学習内容の応用力が高く、思考力の幅が広がる傾向がある。でも、従来型の詰め込み教育を受けた生徒のほうが、基礎知識の定着率は高いですね」
「結局、どちらの学び方も必要ってことだな」
「はい。ただ、AIネイティブな生徒のほうが、情報の取捨選択や、AIを活用した課題解決能力に優れているんです。逆に、AIをほとんど使わない生徒は、知識の蓄積はあるものの、応用力に欠ける傾向が見られます」
「この差は、大学入学後に埋められるのか?」
修士郎は静かに呟いた。
「それが問題なんですよね。AI活用を後回しにした場合、その差がどこまで広がるのか、データがないんです。だけど、これまでの技術革新の流れを考えると、一度遅れたものを取り戻すのは相当な努力が必要になるはずです」
そこへ、藤堂レイラがゆったりと歩み寄ってきた。
「また難しい顔してるわね、鳳さん」
「考え込むなって言われてもな」
「ふふ、どうせまた何十手も考えてるんでしょう?」
レイラは微笑みながら、真鍋のタブレットの画面を見つめた。
「橘さんが懸念してるのは、**AIが子供の思考力を奪う**ってこと。でも、本当に奪うのかしら?」
「どういうことだ?」
「例えば、文章を書くとき。AIがサポートすれば、論理的な構成を学びやすくなる。でも、最後にどう組み立てるかは人間が決めるでしょう?」
「確かに、そうだな」
「AIは道具よ。問題は、使い方を間違えたら、人間の思考力を鈍らせる可能性があるってこと。でも、正しく使えば、むしろ思考力を鍛えることもできるはず」
「結局、AIをどう使うかは人間次第ってことか」
修士郎は深く頷いた。
「なら、次の会談では、その視点で話を進めよう」
翌日、創慧ホールディングスの会議室で、橘沙織との二度目の会談が始まった。
「前回はAI導入に対する懸念を伺いましたが、今日は少し違う視点から話をさせてください」
修士郎は、最新の教育データを示しながら続ける。
「これは、AIネイティブ世代と非ネイティブ世代の学習成果の比較データです。AIを適切に活用した生徒は、知識の応用力や課題解決能力が向上しています。一方、AIを使わない生徒は基礎学力がしっかりしているものの、応用力の面で差が出ています」
橘はデータを見つめながら、静かに言った。
「だからこそ、基礎学力をしっかりつけることが重要なんです。AIに頼ることで、その基礎を作る力が弱まるのでは?」
「その懸念は理解できます。しかし、AIを適切に使えば、思考力を鍛えることもできます。問題は、使い方なんです」
「……どういうことですか?」
「例えば、探究型学習では、生徒が自分で問いを立て、情報を収集し、解決策を考えます。AIは情報の整理を助けますが、最終的に判断するのは人間です。つまり、AIは思考を奪うのではなく、思考の幅を広げる道具になり得るんです」
橘はじっと修士郎の言葉を聞いていた。
「確かに、AIネイティブ世代との差が生まれる可能性はあります。大学からのAI活用で十分かどうかは、まだ分かりません。でも、AIが学びの選択肢を広げるなら、適切に導入することも考えるべきかもしれませんね」
修士郎は微笑んだ。
「私たちの提案は、AIを全面的に導入することではなく、適切に活用することです。従来の学習法と組み合わせることで、より良い学びの環境を作れるはずです」
橘はしばらく考え込み、ゆっくりと頷いた。
「……少し考えさせてください」
彼女の声には、前回とは違う色が含まれていた。完全に納得したわけではない。しかし、確実に一歩は進んだ。
会議室を出ると、レイラが軽く微笑んだ。
「少しずつ、ね」
「そうだな。でも、まだ決着がついたわけじゃない」
修士郎は静かに息を吐いた。
AIと人間の境界線をどう定めるか。その答えを見つけるために、もう少し時間が必要だった。