第2話「揺れる企業、揺れる父心」
2024年春、ビジネスプロデューサーの鳳修士郎は急速に普及する生成AIの波を肌で感じる。家族や企業を想い、AI時代における人間の価値を探す旅を始める。
朝のミーティングを終えた鳳 修士郎は、大手メーカーの応接室へ向かっていた。前日までに準備した新規事業プランは「生成AIを活用した製造工程の最適化と、新サービス創出」という内容だ。経営陣の多くはIT推進に前向きだが、なかには保守派の幹部もおり、議論が荒れることが予想されていた。
エレベーターを降りると、すでに先方の担当役員と数人の管理職が待ち構えている。にこやかな表情で「どうぞ」と促されるが、その空気の下には一抹の緊張感が漂っていた。
「失礼します。鳳と申します。本日はよろしくお願いいたします」
丁寧に一礼して席に着くと、役員のひとりが開口一番に切り出す。
「鳳さん、ここだけの話ですが……私ども、海外のコンサルファームが開発したAIシステムの導入を検討しているんですよ。実際の生産ラインに入れて、工程管理を完全に自動化できないかと」
修士郎は驚きを隠さないよう、軽く目を見開いた。このメーカーは、これまで人材の育成や現場のノウハウを重要視してきた企業として名高い。そんな彼らが海外のAIシステムに乗り換える可能性を示唆するとは、思っていなかった。
「おっしゃる通り、AIによる自動化のメリットは大きいと思います。ですが、現場の抵抗感や企業文化とのすり合わせも無視できません。そこをしっかり検討しないまま導入すると、逆に混乱が生じる恐れもあります」
そう切り返すと、役員の表情は少し和らいだように見える。しかし管理職たちの中には、「AIで一気にコスト削減したい」「いや、熟練技術者の経験は軽んじられない」といった相反する意見が交錯している。
修士郎はノートパソコンを開き、スライドを映し出す。そこには、AIが得意とする“膨大なデータ解析”と、人間にしか担えない“判断や創造性の部分”をどう組み合わせるかについての概念図が描かれていた。
「AIは、既存データの高速処理と最適解の提示が得意です。一方で、人間だからこそ見いだせる現場の課題や、定量化できない情緒的価値もある。これを切り離すのではなく、二つを融合する新規事業を創るのが私の提案です」
一同が食い入るようにスライドを見つめるなか、一部の管理職が口を開く。
「しかし、我々は職人気質の集団です。長年培ってきた職場文化を、AIなんかに荒らされるのは少々抵抗があるんですよ」
「そうですね……。ただ、AIは文化を壊すだけでなく、新しい付加価値を生む可能性も持っています」
修士郎はあくまで穏やかに、しかし熱を帯びたトーンで返していく。相手を納得させるには、合理的なデータだけでなく、企業が大事にしてきた精神を損なわずに革新を進める道筋を示す必要がある。
一通りプレゼンを終え、緊張感のある空気の中で意見交換が続く。最終的に、「まずは小規模な部門で試験導入し、成果を確認する」という結論でまとまった。修士郎は心中ほっと息をつく。大掛かりな全面導入よりも、段階的に現場を巻き込むほうがトラブルも抑えられるし、企業の納得感も得やすい。
応接室を出ると、社内にあるカフェスペースで担当役員が修士郎を労ってくれた。
「鳳さん、今日はありがとう。やはり何でもAI任せというわけにはいかないが、完全に無視もできない。あなたの提案は、現場とデータ分析を両立させるヒントがありました。社内でもよく検討してみます」
握手を交わし、軽く笑みを交わす。その瞬間、修士郎のスマートフォンがバイブレーションで震えた。画面には妻からのメッセージ。「揚羽が塾に通うクラスメイトと大げんかしたみたい。AI学習のことで意見が食い違ったって」。
揚羽はもともと詰め込み型学習には馴染めず、自分でAIアプリを使いながら興味のあるテーマを深掘りするタイプだ。けれど、クラスメイトの多くは“中学受験対策”が最優先で、オンラインAIツールなど余分なことに時間を割くのは無意味という声が支配的らしい。
「パパはAIと一緒に仕事してるし、AIのおかげで私が得られるものも多いのに……。どうしてわかってもらえないんだろう」
娘のそんな嘆き顔が頭をよぎる。
カフェスペースを後にし、オフィスに戻るタクシーのなかで修士郎はスマートフォンを操作し、新しくダウンロードした生成AIアプリを起動する。彼はITエンジニアとしてはそこまで優秀ではなかったが、新しいテクノロジーを試してみる好奇心と行動力だけは誰にも負けない。
「塾通いか、AI学習か……俺が小学生のころは、こんな選択肢すらなかったよな」
呟きながら、AIアプリに「子どもの学習方法 21世紀型スキル 親ができること」といったキーワードを入力してみる。アプリはわずか数秒で膨大な情報を解析し、家庭内サポートのヒントをいくつかまとめてくれた。
「子どもの感性を否定せず、AIの活用を肯定的に見せてあげる――か。ま、揚羽の場合は、もうすでにそっちの道を走ってるけどな」
修士郎は苦笑しつつも、娘の将来が心配で仕方ない。AIへの好奇心は素晴らしいが、周囲から孤立してしまわないか、親として気がかりだ。
一方で、企業におけるAI導入の現場では、似たような光景が繰り返されている。新しいものを積極的に取り入れようとする人々と、それを拒む人々の間に摩擦が生じる。経営戦略とAI、そして現場の文化と従来の慣習――どちらを立て、どちらを変えればいいのか、誰もが模索しているのだ。
「揚羽の姿を見ていると、もしかしたら未来って案外、AIを“当たり前”に扱える人たちが作るのかもしれないな」
タクシーの窓から見えるビル群を眺めながら、修士郎はそう思い至る。成功も失敗も、最後は“人間”がどう行動するかにかかっている。AIに任せきるのではなく、人間が主体的に使いこなす姿勢がなければ意味がない。
車内のラジオからは、AI技術に関するニュースが淡々と流れる。2025年にはさらなる進化が訪れ、「AIエージェント元年」と呼ばれる節目になるだろうという解説だった。
「父親としても、ビジネスプロデューサーとしても、踏ん張りどころだな」
修士郎はスマートフォンを握りしめながら、小さく決意をつぶやいた。娘の未来と企業の未来は、案外似たような岐路に立たされているのかもしれない――そんなことを考えながら、タクシーは夕暮れのオフィス街をゆっくりと進んでいく。